女性学講座 エッセイ

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不惑のフェミニズム、失われた30年を問う 第4巻『権力と労働』岡野八代

2010.07.05 Mon

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第4巻、これはずっしりと重い巻である。なぜならば、旧版に新たに増補が加えられた巻のなかでは増補編の比重が重い巻であるにもかかわらず、日本の労働条件をめぐる女性たちの声、そしてフェミニストたちが挙げる批判の通底音がまったく変化することなく、あたかも日本社会の地底で鳴り響いているかのようだから、である。

しかも残念なことに、それはまさに地底でうなり続けているが、なお、日本社会にこだまする声にはなり得ていないのだ。がっくり、である、と同時に言いようのない怒りに駆られる。なので、本巻のここでの紹介は少し硬めの紹介となることを、お許し願いたい。

新編の編者でもある大沢真理さん『企業中心社会を超えて―現代日本を「ジェンダー」で読む』を90年代に読んだ後の、ザラリとした苦々しさを今も忘れることができない。

大沢さんの力のこもった論証の一つは、ジャパン・アズ・ナンバーワン――あの頃に戻りたいのか、政権奪取を目指す(気があるのか、あのテレビCMは本気?)自民党谷垣総裁は、「いちばん」を連呼――と誇らしげに語られた80年代日本の国際的な経済力をけん引してきたのは、「規模別格差、都市と農村の格差、性別格差、雇用形態別格差がかさなりあった最低の賃金層」である、農村主婦の労働に支えられていることの実証であった。[80年代「最低の労働条件で企業に奉仕する存在」としての農村女性の実態については、本巻所収、向井承子さん「婦人の農外就労」にも詳しい]

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さらには、日立製作所における単純な手作業による組立をする女性作業者の描写。

「[color=00CC00]手組はロボットのあいだに1人ずつはさまれ、ロボットによって作業時間を規定された拘束の単純反復作業であり、検査は人間の視覚や触覚の一部をくりかえし規則正しく行使する作業である。[…]この「人間を機械として使う」職種について、会社勤労課さえも「この種の作業はたえがたい」と表現した[/color]」という[本書106頁]。

これはまるで、チャップリン、 『モダン・タイムス [DVD]』 の世界である。

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日本の経済が成長していようが、退行していようが、常に女性労働者は、圧倒的な低賃金、しかも耐えがたい重労働を背負ってきた[フィクションでは、桐野夏野夏生『OUT(アウト)』が最良の読み物の一つであろう]。

そして、本巻を読めば、どの論考も指摘するように、それは、社会保障制度や税制度の前提とされ、制度的にも埋め込まれた性別役割分業を促すジェンダー構造によって、女性労働問題は、社会問題としては意識されずに済むように隠されてきたことが、よく分かる。

たとえば、男女雇用機会均等法の制定と同時に、税・年金改革によって「妻の座」が強化された1985年以降、「妻の座」に安住しない・安住できない女性は働いても貧困を避けられないことが、すでに92年初出の塩田咲子さんの論文「現代フェミニズムと日本の社会政策」で予言されており、そのことは、本巻を締めくくる赤石千衣子さんの論文「シングルマザーたちが国会を動かした」で明らかなように、深刻な現実問題となっている。

80年代以降、確かに働く女性の割合は増加した。しかし、女性労働者の過半数は、現在では非正規労働者であり、社会保障の観点からは、そのなかでも多くの女性たちは、男性正規労働者の被扶養者、つまり保険料を支払わない「主婦層」ということになる。
塩田さんは、その約20年前の論文において、「どの国も経験したことのない高齢社会になる日本であるが、一体こうした被扶養の女性たちの老後の生活保障を働く男女が社会的に負担し続けることは公正・公平で、今後も可能な政策であろうか、また女性たち自身が望んでいることであろうか」と鋭く問うている。

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ところで、大沢さんも言及しているように、マルクスによれば資本主義経済の下では、労働者は二重の意味で「自由」でなければならない。

[color=00CC00]自由な労働者自身は、奴隷や農奴などとちがって直接的には生産手段に属さないし〔その意味で自由である〕、また逆に、自営農民などとちがって、生産手段が彼らのものであるわけではなく、むしろ生産手段から切り離され、そうしたものから自由であり、もっていない、という二つの意味である[/color][今村・三島・鈴木訳資本論、503頁]。

しかし、本巻を通じて明かされるのは、現在の日本社会において労働者は「三重」の意味で自由でなければならない、ということだ。すなわち、主婦に期待されているような、家事・育児・介護などの無償労働を担わなくてよい自由を享受できる者だけが、相変わらず正規労働者として想定されている[この点については、やはり、本巻所収、村尾祐美子さん「労働市場とジェンダー」に詳しい」。

旧版出版から15年が経ち、増補で初めて憲法・労働法といった法学論文が加わり、またペイ・エクイティの観点から、一企業内の男女各労働者の職務評価と賃金を詳細に検討し、女性労働者の賃金の不当な低さを指摘する森ます美さん 『日本の性差別賃金―同一価値労働同一賃金原則の可能性』の圧倒的な実証研究が加わった。

しかしながら、そうした研究分野の広がりは逆に、日本におけるフェミニストたちが女性労働をめぐって訴えてきたことは、この30年間一貫しており、そこになんらの迷いがないことを照射している。女性の労働問題について考えるさいの必読論文「「機会の平等」か「結果の平等」か」(初出1982年)のなかで、竹中恵美子さんは、すでにはっきりと述べている。

[color=00CC00]一つは、性別役割分担を前提にしなければならないような労働時間制を改善し(時間短縮)、生命の生産のための自由な労働を獲得しうる権利としての、さまざまな休暇、休日(たとえば、育児、病人、老人の介護など)を中心とした労働条件の改善を実現すること、しかもこれを両性の権利として確立することである。同時にこの権利を前進させるためには、[…]企業の経済的負担を、社会保険や社会保障システムに移行させることが必要である[/color][本書70頁]。

しかし、フェミニストたちが一貫して訴えてきた、こうした具体的な政策案は、この30年間日本社会で活かされることがなかった。そのことを知るためにも、京都大学GCOE作成の「女性の貧困」に関するビデオをこちらから見てほしい→ http://ocw.kyoto-u.ac.jp

とくに、本書を読まれたあとが、お勧めである。日本のジェンダー構造の変わらなさが(本当にほんとうに、歯ぎしりをするように認めざるを得ない、フェミニストの政治的な非力さとともに)、ずっしりと伝わり、わたしたちがいかに深刻な社会に生きているかが実感できるからである。
(岡野八代)








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タグ:フェミニズム