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「悪意」の今昔 鈴木彩加
2011.02.11 Fri
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差別意識に潜在する「悪気」について鋭い指摘をなされた小林さんのエッセイから引き続き、「悪意」に関して思い浮かぶ本をいくつか紹介したい。
「悪意」という言葉で真っ先に連想したのが桐野夏生の作品。「悪気がない」という建て前で誰かを傷つけてしまうという小林さんの言葉がまさしくモチーフとなっているのが『残虐記』だ。主人公である作家「小海鳴海」こと生方景子はある日突然、とある原稿だけを残して失踪してしまう。そこには、25年前に起きた少女誘拐・監禁事件の被害者が自分であったこと、そして誘拐犯と被害者だけが知る「真実」が記されていた。『残虐記』では主人公が監禁状態から助け出されたのち、常に周囲から「性暴力」の「被害者」として見られ続けている。周囲の人びとのそのような姿勢は「善意」や「好奇心」という仮面を被っているが、そのようなまなざしもまた主人公を苦しめていること、その主人公の心情が巧みに描かれている。
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ところで最近、この「悪意」に姿かたちを与えた妖怪がいることを知った。『豆腐小僧双六道中ふりだし』は、妖怪をモチーフにした作品を長年発表してきた京極夏彦による妖怪入門書だ。豆腐を載せた盆を手に持ち、ただ立ち続けるだけの妖怪、豆腐小僧。本書の主人公はそんななんとも間の抜けた奇妙な妖怪。この盆を落としたら自分はただの小僧になるのか、それとも消えてしまうのか。ある日突然そんな考えが浮かんだ豆腐小僧は、自分自身を知るために旅にでる。その旅先で出会う数々の妖怪たちとの会話から、妖怪とは何かを徐々に知ることができるようになっている。
書店ではじめてこの本を手にしたとき、表紙に書かれていたあらすじにものすごく惹きつけられた。そもそも何なのかよくわからない妖怪がアイデンティティ・クライシスするなんて、ますますよくわからないことになっているじゃないかと思ったのだ。
この本で出てくるのが「邪魅」という妖怪。耳まで裂けた大きな口に鋭い牙と邪悪な形相をしており、何かよからぬことを企んでいる人がいると、怪獣のような姿をしてその上空に黒々と立ちこめる。文字通り「悪い気」が邪魅という妖怪の<本質>だ。
もちろん、昔の人にはそういう風に「悪意」が見えていたわけではない。妖怪とはいわば何か不可思議なことや怖いことが起きたとき、それを上手い具合に理由づけたり説明づけたりするための「装置」なのだそうだ。
この本でこのことを知ったときなるほどと思った。確かに、よくわからないことに遭遇したとき、何か理由づけ・原因づけをしないとどうにも居心地が悪い。あれほどたくさん妖怪が描かれ・語られてきたのには、そんなわけがあるのかと納得させられた。
それでは、地震は大ナマズが暴れているからだ、なんて理由づけを必要としない科学が発展した今日では、妖怪はもう必要とされなくなり、「消滅」してしまったのだろうか?その答えは是非本書を読んでほしい。
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ちなみに『邪魅の雫』は、そんな「邪魅」の名を冠する作品。江戸川、大磯、平塚とあいつぐ毒殺事件を解決していく話。近頃出版されたものの中でもなかなか読み応えのある叙述ものの推理小説だと思う。終盤まで個々の事件のつながりと全体像がつかめない展開は、まさに「悪意」が朦々と渦巻く邪魅のようだ。
人間の「悪意」が自然現象と同列に扱われていることには奇妙な感じがする。「邪魅」という妖怪が考えだされた背景には、「悪意」が自然現象と同じように、何か人の外側から影響が与えられるという考えがあったようだ。「悪意」は外側からしか見えない、つまり、自分自身の内なる「悪意」に気づくことは大変難しいということは今も昔も変わりはないようだ。自分自身の「悪意」に意識的でいると同時に、傷つけられたとき、嫌な思いをしたとき、自分の大切な人がそのような目に遭ってしまったとき、声を挙げ、「悪意」の存在を告発することもまた、大事なことだと改めて考えた。
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