2013.06.26 Wed
19世紀のアイルランドで、男として生きた女の物語。とはいっても同性愛者やトランスセクシュアルではない。婚外子として生まれ里子に出され、養い親を失った14歳のとき、男たちに輪姦され、ひとりで生きていくには女であることを隠しとおそう、と決意した。ダブリンのホテルの給仕として働くアルバート氏。貧困からぬけだすことだけが、「彼」の目標だった。
秘密を持った人生は難しい。タキシードの下に、コルセットで乳房を締め付けたアルバート氏は、他人と交わらず、自分を語らず、周囲から孤立して、ただただ仕事を実直にこなす。小金を貯めて商いを始めるのが、彼のささやかな夢だ。
名優グレン・クローズが舞台に出会って以来、30年あたためてきた企画を、脚本、プロデュース、主演の三役をこなして実現したという。なみなみでない思い入れだ。グレン・クローズといえば『危険な情事』でマイケル・ダグラス演じる不倫相手を脅迫するストーカーを演じた女優。あの彼女がこれほど内省的で抑制的、そして知性と悲哀のこもった演技を見せるとは。
もうひとり男装して生きる女性が登場する。身長186センチのホテルの塗装職人、ヒューバートだ。DV夫から逃れて愛する女性と偽装結婚をしている。グレンは2012年のアカデミー賞主演女優賞に、ヒューバートを演じるジャネット・マクティアは同助演女優賞にノミネート。それも納得できる。
ヒューバートに出会ったことがアルバート氏の人生設計を狂わせる。商いの店頭に、愛らしい同僚のメイド、ヘレンを「妻」として迎えたいと夢を見てしまうからだ。自分のセクシュアリティを封印してきたアルバート氏は、愛することも愛されることも知らない。ヘレンから変態オヤジ扱いされ、果ては彼女のヒモに暴力をふるわれる。
19世紀のダブリンでもし女として生きたら……男につけこまれ、妊娠させられ、捨てられ、自分の母親と同じように子どもを捨てるか、ヘレンのように婚外子の母になるだけだろう。女とわかれば職は奪われ、たつきを失い、貧しさのどん底で男に殴られ、犯される暮らしが待っているだろう。アルバート氏とヒューバートの「男装」の人生の裏にあるのは、そういう現実だ。その恐怖に怯えるくらいなら、性を封印して生きるほうがまし……ふたりの女が、ヒューバートの失った「妻」のドレスで「女装」して、浜辺で戯れるシーンがおかしくももの悲しい。
あれから1世紀。が、女であることを呪わなければならない時代から、どれだけ隔たっただろうか?
コピーライト表記:(C) Morrison Films
初出掲載: クロワッサンプレミアム 2013年2月号 マガジンハウス社
カテゴリー:新作映画評・エッセイ