エッセイ

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竹信三恵子×深澤真紀 「家事ハラ炎上!」爆走トーク(3)「昔は良かった」幻想から脱却せよ

2014.12.04 Thu

竹信三恵子×深澤真紀 「家事ハラ炎上!」爆走トーク(3)

「昔は良かった」幻想から脱却せよ        まとめ:WEBRONZA編集部 2014年10月31日

★ この記事は、WEBRONZA編集部のご協力を得て、まとめの第4回の全文を転載しています。

  WEBRONZAの記事は、下記サイトで読むことができます。

     http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/special/2014101600001.html?iref=wan

  WEBRONZAの竹信三恵子さんの記事はこちらから!

     http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/authors/2010052600025.html?iref=webronza

WEBRONZAは9月、トークセッション『「家事ハラ」炎上! 女たちは何に怒っているのか』を都内で開きました。

和光大学教授で、ジャーナリストの竹信三恵子さんと、「草食男子」という言葉の生みの親である深澤真紀さんが対談し、フロアとの活発な質疑応答もありました。

今回は、このトークセッションのまとめ(その4)を公開します。

(その1)→  http://wan.or.jp/reading/?p=14657
(その2)→ http://wan.or.jp/reading/?p=14770

      深澤 こうした言葉の問題は、「家事ハラ」や「草食男子」だけじゃなく、いろいろな事例があるんですよね。例えば皆さんが知っている、誤用をされている有名な言葉で言うと、養老孟司さんの「バカの壁」。

 竹信 あれも間違って使われているよね。

 深澤 あの本は400万部も売れたけど読んでいる人はほとんどいないとしか思えない。なぜかというと「バカの壁」って「自分の脳」にあるって書いてあるんですよね。人間には他者を理解できない壁がある、というような趣旨なんですね。でも逆の意味の、相手のほうにバカの壁があるという意味で流行したんですね。

 竹信 でも、バカの壁は、少数派をいじめる言葉とか、誤用とかではないですよね。

 深澤 つまりここで言いたいのは、私たちみたいなメディアに関わっている人間がつくる言葉は、広く認識されるようになった時には、意味が変わってしまっていることが多いということでなんです。

 赤瀬川原平さんが作った「老人力」もそんな例ですね。この本もベストセラーになりましたが、歳を取って「ぼけた」というのを、彼は「老人力が付いた」と表現したんです。「モノを思い出せないな、おっ、俺も老人力が付いたな」とか、「眼鏡が見つからない、ああ、俺も老人力が付いたな」という感じ。それが老人の力という意味で、これも逆の意味で流行したんです。

 竹信 そういうこともありますね。

 深澤 新しい言葉を作るということは、普段はなかなか見えにくいことや社会的な問題に言葉を与えて見えやすくしたいと考えているんだけど、メディアとか広告代理店とかが介在すると、とても分かりやすく単純化されて、意味が変わっていってしまうんですね。

 そうした事態に対して、「深澤は草食男子の意味を正しく伝えようと努力していない、戦ってない」と書かれたこともある。でも、私としては戦っているんだけど、特定の戦う相手が存在しないので、よく分からないことになってしまうんですよ。

 不特定多数のみんなが相手だから一人一人を訪ねて、「これは私が書いたもともとの意味なんです」と訴えるしかない。単純に権力対大衆とか、男対女という構造ではないのが、草食男子が誤解された問題の複雑なところですね。 一部のフェミニストからも「深澤さんは男の味方をするのね」というようなことを言われたりしました。この件では、孤立無援だったんですよ。竹信さんは今回、いろんな人たちのサポートがあってうらやましいなと思いますよ(笑)。

 竹信 私だって最初は「家事ハラ」の誤用のために女性たちからバッシングされたら困る、ととても心配しましたよ。「妻が夫の家事にダメ出しをすることはハラスメント、という主張をしている」「妻が夫に苦情を言うことをバッシングする女性の敵」なんて言われたらどうしようと思いましたから。

 深澤 草食男子については、男性からも女性からも「ひどい言葉だ」と言われることが多かった。「男女が対等になれる時代はいいね」と言いたかっただけなんですけどね。

 竹信 抗議する対象が明確にあった家事ハラと、そうではなかった草食男子では、やり返し方に違いが出てくるんでしょうが、言葉の生成や成り立ちという観点では共通しているところがあると思います。草食男子という言葉の誕生は2006年と言っていましたが、あの頃の若者たたきはひどかったんです。雇用をめぐる状況もすごく悪くなっていった。

 深澤 ワープアとかも語られ始めましたね。

 竹信 そう。ワーキングプアも出てきたころで、非正規労働が広がっていった。そこで、若者や女性たちが急速に非正規労働に追いやられていくわけですよね。そのときに正社員のオジサンたちは、非正規が問題化して正社員の取り分を減らして非正規に回せといった議論が起きてくると自分たちが安定した立場を失うかもしれないという不安があって、「若者がやる気がないから勝手に非正規になっただけで、非正規と正規の差別の問題ではない」と言いたがっていたんです。非正規になるのは若者に原因があるという主張です。

 深澤 間違いなくそうですよね。

 竹信 私は労働担当の記者だったので、非正規に対する扱いの不公正さを記事にしたいと思うわけですが、そういう認識の広がりを押し返すために本当に苦労しました。上司に言っても、「そんなのは一部の人のこと」といった対応をされて記事のスペースをもらえないんです。

 深澤 無理ですよね。だって、朝日新聞の社員の年収と、バイトの年収では、とんでもない差があるし。

 竹信 実感がないんでしょうね。

 深澤 新聞社もそこは正直触られたくないわけですよ。

 竹信 それが変わり始めたのが2005年から2006年のころなの。なぜか分かります? なぜ風向きが変わったのか。それは、自分の娘や息子たちが非正規になっていくことに新聞社のエラい人たちが気付き始めたからなのね。妻や娘息子を養える世帯賃金を確保するために、非正規への分配問題などにはかかわりたくないと考えていたら、なんと、自分はもうすぐ定年退職なんですよ。後はもう年金しかないのに、娘や息子は相変わらず年収200万円の非正規でしょ。「あっ、これはやばいことなのかもしれない」とようやく気付くわけ。

 深澤 俄然、当事者性を帯びてきたわけですね。

 竹信 そうそう。家族を養うために自分の待遇を守ろうとしていたら、それがなくなる上に、経済的に自立して親の老後を支えてくれるはずの子供たちがひどい低賃金なのだから、「これはやばい」と思うようになり、ここは少し方向転換したんです。でも、草食男子に対する見方についてはそういう転換もないままだったんですよね。

 深澤 「草食男子」をめぐっては、おじさんたちがうれしそうに、「俺たちのころは草食男子とは違ってすごかった」というしょうもない武勇伝を語りやすい状況がある。

 だから、欧米のジャーナリストが取材に来たときも、そもそも「日本の男はだめで、欧米の男の方がいいだろう」と思い込んでいるんですよね。

 竹信 見当違いですよね。

 深澤 そういえば日本のテレビ番組で、高田馬場の学生ローンを取り上げ、早稲田の学生がお金を借りなくなって情けないと取り上げていたんです。学生ローンというのは、学生証があれば金を貸してしまうようなところです。それを見て私はびっくりしたんです。

 竹信 いまの経済や政治、社会的な状況のなかで力を持っている人間にとって都合の悪い言葉が出てきそうになると、意味を勝手に転換するわけでしょう。

 深澤 しかも、力をもっている人たちばかりでなく、弱い立場の人たちもしらないうちにその言葉にからめとられる。だから、社会の上からも下からも繰り返し発信されるようになるのが、言葉の誤用の怖さだと思うんですよね。

 竹信 社会的に力をもっている既得権益層が、弱い立場にある人たちにも受け入れやすいように言葉をアレンジして、それを強力に流通させる。そうして上の方からも、下の方からも、捻じ曲げられた言葉が飛んで来るんですよね。非常に巧妙な作戦ですよね。私の経験からいうと、2000年くらいに流行ったワークシェアリングという言葉でも苦い思いをしました。

 もともとのワークシェアという言葉は、失業が増えた時にみんなで仕事を分け合って、失業を減らしましょうというだけの意味ですよね。それを当時、トヨタの会長で日経連(現経団連)の会長でもあった奥田碩さんが、「ワークシェアとは、労働時間を減らして短時間労働をたくさんつくり、その労働時間短縮分の賃金をカットをすること」と定義をすり替えました。

 「賃下げを伴うワークシェアリング」という言い回しです。その理屈でパートを増やすと、日本は同一労働同一賃金がなくてパートが極端に安いので、低賃金で同じ仕事を担わせることでできます。そんなやり方で雇用が増えるはずもなく、賃下げが実現しただけでした。

 深澤 ワークシェアが、賃金を安くして非正規を増やす言葉になっちゃったんですよね。

 竹信 つまり、賃金を減らせば雇い続けますというだけのことです。ワークシェアが最初に提案されたヨーロッパでは、、労働時間を短縮しても、必ずしも賃金を安くした例ばかりではないですよね。

 深澤 むしろ短時間正規だった。

 竹信 そう。短時間労働の正規雇用なんですよね。

 深澤 4時間労働だけど正規雇用とかですね。

 竹信 そうなんですよ。結局企業がリストラしたり、賃下げしたりしやすくするために、ワークシェアという言葉をすり替えて、流行らせた。記者会見とかで、必ず「賃下げを伴うワークシェアリング」と繰り返すんですよね。だから その結果、みんながワークシェアイコール賃下げ、と思い込んでしまった。「ワークシェアって賃下げのことなんですか」とある集会で聞かれたこともあります。「えーっ、違うんですけど」と驚いて説明しましたが、おかげでワークシェアという言葉は使えなくなりました。「苦しい時にみんなで仕事を分け合って、失業を増やさないようにしよう」という意味だった言葉が、今はもう使えなくなっちゃったんですよ。

 深澤 ニートもそうですね。本人をめぐる環境の問題ではなく、本人の問題なんだと強調されてしまったんですね。

 こういう言葉って、当事者も自虐を込めてネット上で使ってしまったりするから、さらに拡散する。そうすると弱い人がさらに自分たちで自分を固定化する言葉にもなっちゃうんですね。

 竹信 まったくそうですよね。

 深澤 あまりいいことはないですね。ただ、一方で私たちメディアの送り手側としては、やはり長々とは言葉を説明できないから、分かりやすくしたいという欲望もあるんですよね。

 竹信 その辺りがとても悩ましいですよね。セクハラという言葉もそうです。セクシャルハラスメントは、職場などでの女性への人権侵害を指す重い言葉でした。さまざまな形で女性に嫌がらせをして排除していくという意味合いだったのですが、「セクハラ」と短縮されて広まっていく過程で、とても軽い言葉になっていった。

 深澤 そうですよね。

 竹信 ちょっとお尻を触ったくらいでセクハラっていうなとか、軽い冗談なのにとかいった調子で男性週刊誌を中心に使われ、一時は本当に使いにくかったですよね。

 深澤 この家事ハラに象徴される男女の問題って、単純なまま分かりやすく流通した方がいいと思われているんですね。昭和の高度経済成長期からバブル期の一時期成立していただけの「働く男と家にいる女」というモデルがいいものとされていて、固定化されている。

 でも、それが成り立たない時代になっている。家事だって男性もやらざるを得ないし、女性も働かざるを得ない。でも、上の世代の人たちは「あのころはよかった、男女はあれこそ正しい姿だ」という思いが強すぎるんですね。

 瀬戸内寂聴さんの発言で疑問を持ったことがあって。ご自分のこれまでの人生90年で今が最低だとおっしゃっているんですよ。「戦争の時より今が本当に最低ですか」と思うのですが、それでも、それは瀬戸内さんが戦争のときに若かったからなのかもしれないですね。

 若いときってやはりどんな時代でも幸せなのかもしれません。瀬戸内さんが対談などで言っているのは、要するに、「戦争中は意外と楽しかった」ということなんです。たぶん、ご本人の認識としてはそうなのかもしれません。でも、それで「昔はよかった」にされちゃうと困るわけです。

 こうした誰でも陥りがちな昔は良かった幻想と、男女の役割幻想は強固なんですよね。

 竹信 そうですね。それは「成功し過ぎた成功モデル」なんですね。高度経済成長で経済が最も成功していた時代は、男女の役割分業をばっちりやっていたわけですよね。育児や介護も含め、家事はすべて女性が引き受け、男性はめいっぱい長時間働いて、家族のためにお金を持って帰る。

 そうやって、福祉にかける税金を節約し、家事の合間の女性パートを極端な低賃金と男性の長時間労働で労働時間あたりの賃金を抑え込んで輸出競争力を上げると輸出が進んで、その成長の成果が賃金に跳ね返り、税金も安くなる、という、それが良いモデルだという刷り込みができてしまった。そんな上の世代と、もはやその経済構造ではもたなくなった現役層には断層といえるほどの断絶があります。

 草食男子が出てくる時代って、低成長に入っている、そこで楽しく過ごすためには、男性もがつがつしないで、男女がほどほどに働いて、自分の生活費くらいは稼ぎながら自然体で生きていくことが必要です。それをかたくなに変えさせまい、転換させまいという堅固な思い込みが根強い。これが日本の転換をすごく妨げていると、私は思います。

 ヨーロッパでは男女の分業をやめて共働きが普通になっていったのに、なぜ日本では変わらないのかというと、やはり、この成功し過ぎたイメージが壁になり、あのパターンを繰り返せばまた「成長」がやってくるという意識が強固に焼き付いているのではないかと思う。変化を促すような草食男子も家事ハラも、ことごとく、そのイメージに合わせて意味合いを変えられてしまう社会。これはもう、呪いと言っていいほどで。

 深澤 そうですね。高度経済成長期やバブル期は成功したのは経済モデルだけだと思います。社会としては生きにくかった。私は小さい頃からアトピーやアレルギーに苦しんできて、高度経済成長の負の部分であった公害などの被害も受けました。

 あのころは人情があったというようなことを言う人もいますが、それは幻想でしょう。だいたい電車の中とかも、よっぽど昔の方が荒れていた。今の方がずっと社会秩序は整っていると思います。

 竹信 ほかにもマイナス面はいっぱいありましたよね。それなのに、そこに夢があったように思い込んで、それを捨てられない。私はそれを「つぼ男」現象と言っています。つぼに手をつっこんで中にある豆を取ろうとして握り締めると手が抜けないでしょ。

 要するに、あのころのやり方を握りしめて絶対に手放さない。だから、つぼから手が抜けない。社会が変わっていかないのは、こういうつぼ男たちが今も多いからです。つぼ中で手を開いて、握っているものを放せば、手は抜けるのにね。あのころをもう1回繰り返そうなんて思わないで、新しいことを考えようと手を開けばいいんですよね。でも、それができない。

 深澤 新卒一括採用で30年も40年も同じ会社で働くなんて、ひどい制度だと思うんですよ。そもそも大学を出た時しか就職のチャンスが来なくて、そのチャンスを除いたら定年までリカバリーできないという硬直した制度がいいわけがないですね。

 この新卒一括採用で定年までは同じ会社にいなければいけない、しかもそのシステムから外れてしまうと戻れないというのはつらすぎます。私が高度経済成長期からバブル期がいい時代だと思えないのは、そこですね。私自身は独立するまで会社を3つも4つも変わっているので、いかに会社がくだらないローカルルールに支配されているかをよくわかりました。

 正しい会社なんてどこにもなくて、そこだけでしか通用しない符丁のようなものを使って、そのローカルルールを社会だと思っているおじさんとか、おばさんたちがいっぱいいるわけです。

 同じ会社で働き続けるってやっぱりある種の地獄ですから、それを変えるという意味においてもまだましな時代になっているかもしれない。新卒一括採用で男性が際限なく働いて、家事もできなくて、子どもの運動会も出られないみたいな状況よりはいいですよ。

 竹信 でも、今だって子どもの運動会に出られませんけどね。

 深澤 今ももちろんそうなんだけど、でも、昔はそれがいいとされていたわけです。高度経済成長期からバブル期は、実は地獄であったということを、きちんと分からないといけないと思うんです。

 竹信 でも、その時でも一応、「社畜」とか卑下しはいましたけど……。

 深澤 でも当時は「24時間戦えますか」というコマーシャルで流行して、みんながリゲイン飲んで働くのが楽しいという時代でもあったわけです。

 竹信 今は、24時間戦っても見返りもなくなって、正社員は疲れ果てているだから、ただ正社員転換をすれば幸せになるなんてことはない。

 深澤 そう。それは間違いです。

 竹信 今はあまりに企業側が自由にやりたい放題なってしまい、正社員の負担はさらに深刻な状況です。でもかといって、非正規のままで自由でいいですね、とかは大うそ。食べていけない、貧困に直結してしまっているんだから。だから、どっちへ行ってもどん詰まりになっているという……。

 深澤 昔もよかったわけではないが、今もよいわけではないですね。

 竹信 昔からのひどいことがずっと続いていて、ただせないまま今日まで来ていて、環境の変化に適応できないためにひどさが拡大している。それに気がつかないといけない。(つづく)

      ◇

竹信三恵子(たけのぶみえこ)ジャーナリスト・和光大教授 東京生まれ。1976年、朝日新聞社に入社。水戸支局、東京本社経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)などを経て2011年から和光大学現代人間学部教授。NPO法人「アジア女性資料センター」と、同「官製ワーキングプア研究会」理事も務める。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)、「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)、「ミボージン日記」(岩波書店)、「ルポ賃金差別」(ちくま新書)、「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)、「家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの」(岩波新書)など。共著として「『全身○活時代~就活・婚活・保活の社会論』など。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。

深澤真紀(ふかさわ・まき)コラムニスト・淑徳大学客員教授 1967年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部社会専修卒業。在学中に「私たちの就職手帖」副編集長を務める。卒業後いくつかの出版社で働き、1998年企画会社タクト・プランニングを設立、代表取締役就任。2006年に「草食男子」「肉食女子」を命名、「草食男子」は2009年流行語大賞トップテン受賞。著書に、『女はオキテでできている―平成女図鑑』(春秋社)、『輝かないがんばらない話を聞かないー働くオンナの処世術』、津村記久子との対談集『ダメをみがく――”女子”の呪いを解く方法』(紀伊國屋書店)、『日本の女は、100年たっても面白い。』(ベストセラーズ)など。

タグ:女性運動 / フェミニズム / 竹信三恵子 / 家事ハラ / 家事労働ハラスメント / 深澤真紀