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女にとって子育ては「しっこく」か やぎ みね
2011.01.20 Thu
「女が子どもを産むことが、輝いたり、豊かになることではなく、生き難さを助長することになっているのはなぜか。子どもを産んだ女は、子どもが手を離れるまでは、家の中で子育てするのがあたり前という風潮に反対して、ショッピングや美術館はもちろん、集会やデモ行進にも子連れで参加したいと女たちは考えた。子持ち女にとってベビーカーは必需品だった。リブ新宿センターは、電車・バス・デパートへのベビーカー乗り入れ禁止(消防法)への抗議行動を通して、それを撤回させた」
(『資料 日本ウーマン・リブ史』Ⅱ 「東京こむうぬ」解説・佐伯洋子)
ひらけひらこう・ひらけごま! ガキ持ち女がひらく扉はこれだ!」 ガキ持ちのてめぇをどこまでも、どんな場所でも引き連れていく事が、今、必要なんだ。ガキ持ち女こそつっぱしらなあかん、ガキ背おってオートバイに跨がらなあかん!
「東京こむうぬ」 1971・9 (タケ)
ベビーカーでデパートにも行けない時があったなんて、今では笑い話なんだけど、70年代はじめ、リブの女たちにとっては、それは当面の敵との闘いだった。
私もまた悶々としていた。リブに乗り遅れた私は、こんな運動があることも知らず、飲んでは眠り、泣いては排泄を繰り返す赤ん坊の世話に明け暮れていた。
別れた元・夫は、新米記者として成田闘争や大学紛争の取材に飛び回り、ほとんど家には帰らない。私は子どもと二人きり。一歩も家から出られない。同じく、大学で学び闘ってきたはずなのに、「なんで?」。極寒の2月、浅間山荘事件をテレビで追いながら、どこかで納得いかない思いでいたことを思い出す。むろん育っていく子の成長は、なにより大きな喜びではあったけれども。
女友だちは2歳と4歳の子どもを引きつれ、成田闘争に参加した後、「東京こむうぬ」の共同保育に共感し、運動に飛び込もうと考えていた。高井戸のアパートを訪ねると、部屋いっぱいに共有のおむつが散乱する様を見て、ちょっと私には無理かな、と諦めたという。
京都への帰路、列車で泣く子をあやしに途中駅で下車。発車のベルが鳴り、慌てて下の子を抱いて飛び乗った瞬間、ドアが締まった。「おかあちゃーん」と必死に泣き叫ぶ上の子をホームに残して列車は動き出した。さあ、大変、親子ともども仰天し、慌てて次の駅で、とって返し、やっとの思いで二人の子をつれ帰ったという。
時代は大きく進み、娘世代の育児は様変わり。デパートへ行けば、ベビールームでゆっくり授乳。パパが、かいがいしくおむつを換えているのも、よく見かける。
産婦人科主宰のマミーズクラブも盛ん。マタニティヨガ、ベビーマッサージ、赤ちゃん遊び、離乳食教室、お誕生パーティと、ママたちの悩みを聞いてくれる機会も多い。
おしゃれで便利な育児グッズも通販ですぐ買える。丁寧な育児書も、子育てサイトも、母親たちの強い味方だ。ママ友のネットワークもネットのおかげで広がっている。
至れり尽くせりの育児情報。だけど今、女たちは、子育ての「しっこく」からほんとに解放されたのかしら。こんなに時代は変わっても、女を取り巻く環境は、昔とあまり変わっていないように見える。孤立感や焦燥感は、かえって深いのかもしれないな。
娘たちの世代には、自分で考え、工夫する育児の知恵を身につけてほしいと思う。生きる力は自分で見つけるもの。それをしっかり鍛えてくれるのが、赤ん坊という、ままならない生き物だ。ままならない存在には臨機応変、子どもにあわせて育てていくしかない。
ほら、また、赤ちゃんが泣きだしたよ。