原発ゼロの道

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[WAN的脱原発](9)フクシマで思う 小渕真理

2011.07.27 Wed

あれから4ヶ月も過ぎたが、余震があるたびに「浜通りの震度は?」「原発は大丈夫だろうか?」と心配になる。今までは地元で採れた新鮮な季節の露地栽培野菜を食べていたが、もはや当地の直売所で買い物をする気になれない。これからは、できるだけ避けていた輸入食品を食べるしかない?不安な日常が続く。避難せずに放射能で汚染された地で活動を続けると決めたのにどうにもだらしがない。

福島県・白河市で活動を始めて8年。東京で生まれ育ったせいか「ふるさと」という感覚がない。学校や会社に対する帰属意識も薄い。おまけにプライベートな都合もあって住民票を白河市に移さなかった。東京での選挙は白河で期日前投票し、とりわけ不都合はなかったが、原発事故が起こった直後に考えたことは「住民票を移してフクシマ県民にならなくては・・・」。都知事選があったので1票を投じたいと思い4月になって住民票を移した。同じ時にドナルド・キーンさんが国籍を日本へ移したと報道された。国籍と住民票では比較もできないが、同じような感性だと嬉しくなった(キーンさん、すみません)。そして、これからフクシマ県民はひとつになって脱原発を叫べるのだと思った。私もその一人でいたかった。

が、しかし道は遠いようだ。

この間、あちらこちらで、にわか学習会・講演会・署名運動や脱原発パレードなどが行われている。ここで大きな分かれ道。御用学者の話を聞いた人は「原発がなくなると産業は疲弊し日本は3等国になってしまう・・・放射能は怖くない・・・」、一方で反対派の中に原水禁と原水協の古い体質を引きずったままそれぞれに行動をしている人もいる。もちろん中間層も、環境問題にこだわっている人もいる。私もその一人であったが圧倒的多数の市民は無関心でいた。「こんなことでいいの!今こそフクシマ県民は思想信条を越え一丸となって“脱原発”を世界に訴えていく責任と義務があるのでは・・・」こんな悲痛な叫びをどこへ向けたらよいのか・・・力のなさを痛感しつつ・・・でも、どうにかしなくては。もっと自分の頭で考えないと・・・

3.11の大震災と原発事故を太平洋戦争の戦時下にたとえる声がある。大本営発表により翻弄される国民。でも、多くは口を閉ざしていた。大本営の中に女性はいなかった。この4ヶ月間、被災地の首長・政府や東電の関係者に女性の声は聞こえない。だから、こんなになっちゃったんじゃないの?メルケル首相、山形県知事、滋賀県知事の対応は早かった。しがらみや欲に縛られないからではなかろうか・・・戦後65年も経つのに、この国は何も変わっていない!

おぶちまり (アウシュビッツ平和博物館館長)

カテゴリー:脱原発に向けた動き

タグ:脱原発 / 原発 / 福島県 / 小渕真理

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