2012.07.15 Sun
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 私が竹村和子さんと最初の接触を持ったのは、間接的でした。
きっと和子はそれを知らないままでしょう。
当時はブラウン大学、目下はデューク大学にいる、共通の友人、 Rey Chowが、和子がカリフォルニア大学、バークリー校に1年間滞在する、バークリー校に
近い場所に部屋をかしてくれる誰かを知らないかとメールを寄越しました。
私は和子が借りられそうなアパートの情報を伝えましたが、Reyは私の名前を和子に伝えませんでした。
フェミニストの学際的ネットワークは静かに不可視に動きます。
私が最初に和子に会ったのは、私が共同編集した「デリダと政治的である時」という出版物の集まりでした。
彼女は私の短いコメントのあと私のところにやってきて、Suzanne GuerlacやMartin Jayに自己紹介をしていました。
その後すぐのランチで中華料理の点心を食べたのでしたが、われわれには共通の結びつきのあることがわかりました。
私の同僚である、Judith ButlerやTrinh Min-haの著作に翻訳者としてバークリーに接触をもっていたこともわかりました。
ランチにおいて、理論をアジアの言語に翻訳することの大変さとかその他の話題、たとえば脱構築、バイオ・パワー、フェミニストカルチュラル・スタディーズ
について話し合いました。
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彼女はヨーロッパとアメリカのフェミニストたちのチャンネルとしてまた日本における批評理論家として非常に重要な役割を担っていました。
また日本にけるフェミニスト理論家やカルチュラル・スタディーズの研究者のしてきた興味ある研究にわれわれの目をむけさせてもくれました。
私にとって一番印象深いのは、和子のはにかむような笑いとユーモアのセンスです。
(訳者:河野貴代美)
英語原文については、こちらをご覧ください。
カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ