
2025年2月27日(木)に開催されたオンラインイベント 「なぜ私たち社会人は子育てしながら大学院へ進学するのか ~大学院に求めたもの、期待したもの、手にしたもの、手に入れられなかったもの~ 」https://wan.or.jp/article/show/11664
の開催レポートです。
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「なぜ大学院?」セッションレポート 西川 由紀
はじまりは、私自身の院生活での経験だった。そこに、親友の指導教員からのアカハラが重なった。同じころ、東大大学院生の自殺記事を目にした。大学院にも裏はある。入った人にしか見えない裏を伝えなくちゃと思った。孤立する院生に1人じゃないと、ハラスメントに踏んばる院生に「WANでつながれる」と伝えたかった。これは、私から大学院へのクレーム申し立てだ。
それまで大学院生はキラキラしていると思っていた。たくさんの希望を胸に、ビンボーながらも研究に打ち込む日々を送るのだとイメージしていた。そして、「うかうか」入学してしまった。
今回のセッションではぶっちゃけ話も多くなされた。事後アンケートには「みなさんからしか聞けないお話しでした」とあった。院生活がどんなものか、一部を伝えられたのではないだろうか。「大学院での指導教授の指導の仕方に疑問を感じていたので、私だけの経験ではなかったことを知り、自分に自信を持ちました」という声もいただいた。
アンケートを通して、他にも多くの声が寄せられた。ある方は何十年もパートナーの介護をしながら「教職員も含めて年下で」あり「孤独を感じ」ながらも院生活を送られている。「この大学院生活があるから、辛うじて現実を忘れ、夢の世界に浸ることができるのです」と、貴重な声を寄せていただいた。
読んではっとした。ママ友たちと「この世の中って、ジェンダーバイアスがすごいよね」という話をしたかったけれど出来なかったことを思い出した。ずっと本音を言えないなか大学院に入学した。この方のように院に通っていたからこそ、私も何とかその状況をやり過ごせたのかもしれない。院は、私を私に保てる場としての働きがある。だからこそ、ノイズをノイズとして感じ取れること、ノイズをノイズとして持ち続けること、ここにノイズがあると表明すること、そして表明できる環境が欠かせない。
大学には、今いる院生に目を向けてもらいたい。今いる院生が来年度の院生を連れてくる。今いる院生が「この大学は受験しないほうがいい」とも言う。よくも悪くもあなたの大学を宣伝するのは、今いる院生だ。院生がイキイキ過ごせる大学は、教員も自然とイキイキ過ごせるはずだ。今いる院生に向き合うことが、その大学出身の優秀な研究者を増やすことにつながる。ひいては日本の女性研究者を増やすことにつながる。
大学は社会人院生を忌み嫌っていないのではないと思いたい、扉は開かれていると信じたい。社会人院生への接し方が分からなければ、分からないと知らせてほしい。他の教員の授業を見学してほしい。良い指導者とは、自分の指導の在り方を顧みることのできる人ではないだろうか。
最後にこちらの声を紹介したい。
「大学院と別にWAN・acというつながりがあったことに支えられた、というお話に、私もそうだったらなと思いました。」
「今日のゼミと出会えて本当によかったと思います。」
個人的なことは、やはり政治的なことだ。
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なぜ大学院レポート 鴨谷かおり
なぜ大学院というテーマでオンラインに50名以上が集い、チャットでも登壇者のやり取りも飛び交う形式の2時間。まずは指導教員の話題で大いに盛り上がった。特に博士課程における指導教員との関係性については参加者からもなかなか他では聞けない体験談が多数寄せられ、皆の葛藤が感じられた。指導教員と研究者の卵である学生の関係性は、近いテーマを追求しているからこその疑問やぶつかりを含む特殊な関係だろう。そして論文執筆の現場は過酷だ。社会人学生として仲間がおらず孤独を感じた経験も共有され、仲間を見つけること、仲間を見つけたらしつこく繋がる努力が大事だという話に多くの共感が寄せられた。
そして改めてお金と時間と労力をかけて修士号を、博士号をとっても何になる?年齢を経ての就職の困難さ、大学院で得た知見が尊重されない数々の事例を思い出す。大学組織でも全然勉強せずてきとーなことをやってる人の方が評価されることもある。今回の「子育てしながら」や「社会人で」理由を改めて問われるとさらにぐっと答えに詰まる。
でも、やはり私たちは学びたいのだろう。知りたいのだろう。問いの解決に向かいたいのだろう。チャットや事後アンケートの中には、社会に出てジェンダー問題に疑問を持ち研究の道に進んだ、自らの生きづらさの原因と向き合っている、ジェンダー格差の理不尽さを明らかにしたい、大学院が自分の居場所である、先生と話す時間は至福のひと時である、癒しである、論理的思考を身に着けたかった等、それぞれのなぜへの回答があり、いいな、と思った。そしてここで私の回答は?となる。子育てしながら働きながら修士までは修めたがその先でうろうろ6年たってしまった。ひー年数を数えたくなかった・・何してたんだろ、私。リスキリングにAI、世の中の学びはさらに多様化するが、私は大学院には人類の歴史を積み重ねた尊敬があるところが好きだ。ちょろっと学んでちょろっと活かすのではなくて、苦しみながらも人間がやってきたことと向き合って、何かを判断するときに「この研究にあるように」と信頼される研究こそが美しいという自分の価値観に気づく。そう考えるとWANと何が違うの?という気もしてくる。大学院という男性研究者が多数占める組織でこそ研究ができるっていうのも思い込みか。そうか、どこにいても信頼される研究をすることはできるのかもしれない、今すぐ着手し、続けるしかないんだな。
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