2012.10.14 Sun
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.2006年春。私はお茶の水女子大の河野貴代美さんのもとを訪ねました。
用事が終り、校門に差し掛かったところで、1人の女性に出会い、「竹村和子さんよ」と紹介されました。
えぇ?この人が『愛について』や『ポストフェミニズム』の竹村さん?
目の前にいる彼女は、何とも穏やかな笑顔のかわいい人で、私が読むことに挫折した難しい本を書いたり、訳したりした人?とびっくり。その彼女がボソボソっと言うには「校庭の奥にきれいな花が咲いているんだけど・・・」。
次の約束がある河野さんは「じゃあ、2人で見ていらっしゃい」ということで、竹村さんの後について行きました。
そこには大きなかたまりのように、今が盛りの“黄色いモッコウバラ”が、咲いていました。
ひとつずつは小さな八重の素朴な花なのですが、かたまりになるとそれは見事で、ほのかな匂がありました。“魚のスイミー”の“花版”のような気がしたのを覚えています。しばらく見とれて、校庭の花木をあれこれ見ながら、また校門まで送っていただきお別れしました。草花の好きな優しい人という印象でした。 c
その後、八ヶ岳の山荘に関西の友人と共に呼んでいただき、和子さんが琉球大学の名誉博士号を受けたお祝いをしたのです。小さな地元のレストランでしたが、なかなか雰囲気のあるお店で、ここがお気に入りなのと、料理も、話も弾みました。
夜、山荘に戻り、ひとしきり河野さんのウクレレに合わせて、フォークソングなど合唱。
次第にのってきたところで、和子さんが「私が好きなのは美空ひばり」ということで、ヒットナンバーを次々歌い、なかでも『越後獅子のうた』は「かわいそうな児童虐待の歌なのよ、“♪バチでぶたれて/空見上げれば/泣いているよな、昼の月~~~”」と思い入れたっぷりに歌っていました。
えぇ~っ?これが学問の世界ではポストモダンの第一線を走っていて、あの難しげな本を書く竹村さんの趣味?と2度目のびっくり。
和子さんの歌好きは相当なものらしく、娯楽の少なかった時代、おばあちゃん、お母さんと共に聞いていたラジオやTVから流れてくる昭和の懐かしのメロディーは彼女の感性に根付いているようでした。
仕事をリタイアー後、比較的時間的な余裕があった私は、折に触れて食事作りや病院での付き添いなど、和子さんの闘病生活のお手伝いをすることになりました。その折々の話から、彼女のフェミニズムへの関心は、女系3代の生活が根底にあると思いました。
私が子どもの頃に母を亡くし、母の日の作文を書くのに困ったと話した時、和子さんも中学生の頃、家族のことを書く作文に「ミロのビーナスの、ない腕のことを書くことがナンセンスであると同様、家族のいない人について書くなんて、無意味なこと」という作文を書いて県の優秀賞をもらったという話を聞きました。
文学者としての彼女の片麟がうかがえます。
ガンの末期と診断されたおばあちゃんが、その後15年も生きたという事実は彼女のよりどころで「私は死ぬような気がしない」と何度も言っていました。
しっかり者のおばあちゃん、娘を気遣うあまり時にはうるさいと突き放したというお母さん。
この母子の話は、俗に言う「母娘の葛藤」的な話ではないようで、手術の結果を聞いた直後、「母が亡くなっていてよかった」とポッツリ語った和子さんのひとことは今でも耳に残っています。
病室での原稿書きは鬼気迫るものがありました。普段、
口述をPC入力していた河野さんがいないある日、私が代わったことがあるのですが、この時、和子さんから頂いたメールの言葉が浮かんできました。
「自分が生死をかけた病気になって始めて実感せざるをえない、恐ろしいような感覚、生と死の力学、それを扱う医学、それを取り巻く社会、個人について、それをトコトン考え抜き、かつ日本語でも、英語でも書けるのは、わたししかいない。これは絶対生きなければならない、あと10年は生きて、新しい学問を創生するつもりでいるのですから、本が読みたい! 書きたいです。」(抄録)
本当に和子さんには、まだまだ、やりたいこと書きたいことが、たくさんあった。その無念さを晴らそうとする執念が伝わってきた瞬間でした。
没後2ヶ月たった誕生日に集まり、みんなで、中島みゆきの『時代』を歌いました。“♪まわるまわるよ/時代はまわる/別れと出会いを繰り返し、今日は倒れた旅人たちも/生まれ変わって歩きだすよ”
生前「いい歌ねぇ~」と共感し、「和子さんの復帰パーティーで一緒に歌いましょう」と、約束したのですが、その願いはかないませんでした。
私が思う彼女の魅力的は、明晰な頭脳、豊かな知性、ユーモアのセンス、下世話な“こと・もの好き”など、ミーハー的な要素の微妙に入り混じっているところ。歌やTVドラマ『篤姫』が好きで、自らもサッカーをし、「なでしこJAPAN」を熱烈に応援していたという和子さん。
天の穴から、LONDONの「なでしこ」を一喜一憂しながら、覗いていたことでしょう。
いつの日か、下世話な楽しみをたくさん持って行きますので、一緒に遊びましょうね。
カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ