
WANac2期も第5回をむかえました。
今回は番外編の合宿の収穫物であるKJ法の報告論文と各自が進めている研究課題の「目次」に対する上野先生のご指導を頂きました。
今回も2名のレポートを掲載いたします。
学位に格差があるというお話~なぜWANacに人が集うのか~
8月のWANacでお題に上がったトピックの1つを紹介したい。学位の格差の話だ。
格差から逃れることは出来ない。たとえ大学受験を終え、大学に入学した後でも。研究者を目指す人にも、一般企業に就職する人にも大学名はついて回る。学会発表するときも、論文が掲載されるときも。勉強することは自由だとか、権利だという一方で、どこで勉強したかが探られる。どこで勉強したか、の格差がある。ミもフタもない言い方をすれば、旧帝大で社会学を勉強したのか、地方の大学で勉強したのか、学位の価値に差が出る。ハーバードで取ったのか、東大で取ったのか、ここにも差はある。大学ランキングがそれを訴えている。
WANacには格差がない。どこの大学を出ていても/出ていなくても、どこの院に在籍していても/していなくても、学べる。自分の論文を書くために、学び身につけることができる場としてある。学歴、学位の価値と関係ない場だからこそ、格差の渦のただなかにいる人たちに必要とされている。学歴関係なく論文を書ける、そのためのルートがあるから、人が集う。だからこの場は必要だ。大学がランキングの対象から外れない限り、大学が格差に関係する限り、この場を代替することはできない。
ランキングから外れることは、偏差値ランキングからも離れることになるから、大学にとっては致命的だ。現大学受験制度では、偏差値で行ける大学が判断される。偏差値レースに大学は自らを組み込んでいる。現大学受験制度に沿って、若者を呼び込むために。
WANacはそうではない。偏差値が関係ない。関係なく勉強ができる。ac生の意欲にどんと構える師がいる。だから人が集まる。ウラ事情を暴露すれば、ac2期応募者全員が合格した。すべての応募者から、熱意、そして本気を感じたことと、1年を通して半分の人が脱落するだろうということが理由だった。全員を合格させるなんて、こんな芸当、できる人も機関も限られる。大学には無理だろうと大学を批判してはいない。WANacがオンライン展開を決めた、先見の明を称賛している。ネットであれば、地方の人も海外の人も参加できる。誰でも応募できて、誰でも参加できる。だからこそ、偏差値あれこれが生まれない。偏差値を気にしなくていい、そこにWANacの強みがあるのではないか。
うえの先生は、やる気のある人の芽をつまない。若い人の芽も摘まないし、中年の芽も、人生の先達の芽も、やる気の芽を摘まない。育てようとする。それを感じるから、ここに人が集うのだ。若者から先達までが集うのだ。
Wanac2期 第5回レポート
8月25日の第4回学習会は、前月開催された熱い・暑い「うえの式KJ法合宿in浜松」後、その熱気がまだ冷めやらぬ状態のなか開催されました。第4回のプログラムは3部構成でした。
第1部は、「私が「WANAC2期」を受講したわけ」をテーマに、うえの式KJ法を直に経験し分析したレポートを合体し一本の論文化したものの振り返りと評価でした。上野先生から、各章・節の一つひとつに対してコメントをいただき、分析の仕方・サンプル抽出方法・この論文の限界などを深めることが出来ました。そして、合体論文の最終結論は、「WANacは意図せずして、高学歴者の研究継続困難に対する『研究の寺子屋』して機能せざるを得ない状況にあるといえる」でした。インタビューイーの偏りや、技術的習得が目的だったことから、全般に不十分な分析の中でも、一定の結論が出たことは驚きと達成感を得ることが出来ました。多くの参加者が、私もきっとデキる!と思った瞬間ではなかったでしょうか。そして、参加者の凝集性と相互作用による力を感じることが出来ました。
第2部は、待ちに待った上野先生の論文の書き方指導です。目次の立て方とライティングの仕方をまとめて講義がありました。みな、全方位集中で上野先生のご講義聞いていたと思います。目次については、目次をカスタマイズする、目次を読んで内容がほぼ類推できる、内容が要約できるようにする、などのご助言でした。目次を見たら一目で書いてある内容が伝わる流れと内容にすることでした。
また、ライティングにも触れられ、例えば、英語の論文を読むには、パラグラフの一行目だけを読んでいく。一行目の要約が書いてある。日本の論文でもパラグラフの一行目で要約がかいてある状態にすること、前から書く必要はなく、書きたいところから書く。専門用語を安直に使わず、誰からひっぱってきて、オリジナルの発明者がいったとおりに使うのか、微調整するのか。最初に言っておく必要がある。誰も使ったことがない用語や概念は使いたくなる。その場合はなぜ、その道具を使うのか明確にしなければならない。書き手にとって大問題は、読み手にとってわかっているのか、予備知識がない人もわかるように書く。間違って、本文とわからなくなると盗作になる。人から借りながら論文を書く。引用のルール。引用が入っているのに注までいかないとわからないものがある。リーダブルな日本語であることが大事。伝わってなんぼ。この論文わからない、と思ったら書き手が悪い。伝わるように書かないほうがわるい、などでした。どれも具体的な論文の書き方の作法であり、何度きいても聴きすぎるという事はない鉄則でした。それを愚直にやることこそ、真の力が付くのだとわかりました。
第3部は、5人の目次と一部研究計画書を発表してもらい、上野先生のコメントや参加者の質疑応答でした。それぞれが、リサーチクエスチョンが焦点化されつつあり、それに伴った目次を作成されている努力が伝わりました。ここに計画書を出すことは勇気のいることです。参加者から多様な視点でレスカが送られてきますし、上野先生からの鋭い質問に答えてかなければならないからです。しかし、未完成でも、まだ納得ができていなかったとしても、まずは出してみる、そして他者から意見をもらう、そのことこそ研究の成長や焦点化につながります。皆さん、よく研究に真摯に向き合い、勇気をもって出されていると感心いたしています。
3部が終了したのは3時間以上たった夜10時過ぎ。月曜日から皆さん、フル回転で頭を使われていたと思います。大変お疲れさまでした。番外編として、第4回の学習会が終了後、メーリングリストでのレスカの応酬でもさらにそれぞれが意見を交わしたり深めたりされていました。研修会が終わっても、またこのメーリングリストで番外編として続いている現代版寺子屋機能のすごさを実感しています。ついに私自身も逃げられない局面になってきました。皆さんから勇気をもらい、進みたいです。研究の寺子屋生同士、学び合わせてください。そして、すべての研究計画書やメールにお目通しされ、レスポンスをされている上野先生に、心から感謝いたします。引き続き、いきものがかかりのみなさま、よろしくお願いいたします。
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