2022年秋にこのサイトで告知いただきました詩人の「高良留美子資料室」開室@東京・自由が丘 (主宰:竹内美穂子)から3年がたちました。毎月開いているオープンデーには老若男女が一人二人といらっしゃいます。
 絵のある静かな空間で、それぞれ好きな詩を声に出して読み、聴き合ったり、一次資料の段ボールから未発表のお宝を見つけたり、故人が亡くなる間際まで貼るものを整理していた77冊のスクラップブックをめくったりと思い思いに過ごします。場を開いている私たちも、お茶をしながら、心の調律と交流を楽しんでいます。
 近代文学館に資料を寄贈するまでの間もうしばらく資料室を続けることとなり、資料室 HPにてそのご案内をしチラシも作成しました。私設の小さな場ですが、より広くどなたにもご利用いただければと思います。
 さて、その資料室でこの度、若い方といっしょに段ボールのなかを見ていたところ、1977年のこんな講演原稿を見つけました。ラジオにしろ、講演にしろ、授業にしろ、高良さんはまず組み立てを考え、読み原稿を書き起こし、マス目の原稿用紙に(晩年はパソコンで)清書して臨まれるのです。「道とエロティシズム」の内容は約半世紀たって、2025年を生きる私たちを励ましてくれるような気がいたします。多くの方にこれをいまお届けしたく、謹んでここにご紹介させていただきます。

                     *

                     「道とエロティシズム」  高良留美子

       ~1977年11月、東京都美術館ホールでのシンポジウム「女とエロス」でのパネラー発言~

 エロティシズムについて考えるとき、わたしが思い浮かべるのは、道である。道は人々の行き交うところであり、物と物とが入れ交わるところである。道は近代になってそう考えられてきたように、たんなる交通の手段ではない。むかし、道と道との交わるところには神が住み、男たちと女たちが知り会い、おそらくは聖なる交わりの場所でもあった。市がひらかれたのも、道と道の交わるところだった。
 道を作るのは、人間だけではない。けものたちも、虫も、道をつくる。風すらも、道をつくるのだ。道のなかで自然と人間が交流し、人間と人間、男と女が交わる。この交わるというところに、エロティシズムの本質があるのではないだろうか。
 道とは、新しいものを生み出すところでもある。胎児は、産道という道を通って母胎の闇のなかからこの世のなかに生み出されてくる。産道と道との対応関係は、まだまったく注目されていないが、未来の文明の核になるべきものだとわたしは考えている。
 わたしたち日本人は、ヨーロッパ人よりも豊かな道の文化を生み出してきた。道とはわたしたちの祖先にとって、A地点からB地点への直線的な移動の手段などではなかった。それは行きつ戻りつし、伸び縮み、回帰する文化そのものだったとさえ言えるだろう。
 だがそれにもかかわらず、日本の道は、古来専制君主の支配するところとなってきた。専制政府が道をつくらせ、あるいは人びとのつくった道を横取りして統制し、管理した。陸の道だけでなく、水の道についても同じだった。専制制度は道を支配することによって人と人の自由な交流をさまたげた。街道筋には被差別部落がおかれ、死牛馬の処理や、交通労働を担わされた。役所や、のちには遊郭もおかれた。

 専制制度のエロティシズムに与えた最大の打撃は、それが本来二元的、あるいは多元的であるエロティシズムを、一元的な世界に閉じ込めたことにあった。政府は現実の道を支配しただけでなく、学問や技術や芸能の〈道〉を支配し、それを通して日本人の精神の〈道〉を支配した。それらの道から二元性、あるいは多元性を追放し、人びとや自然の自由な交流を追放した。家元制度は、こうした一元的な支配をつらぬくためにきわめて好都合な制度であった。天皇制や家元制度がエロティシズムと両立しえない理由はここのところにあると思う。
 道を、わたしたちの側に取り戻さなければならないと思う。現実の道路や新幹線についても、わたしたちはつねに「上から」の「お上(かみ)」によって計画され、押しつけられた道によって自由な、人間らしい交流をさまたげられているのだが、男女の道や女の生き方についても、絶えず規制され、型にはめこまれているのを感じる。最近では女のライフサイクルなどというものを、わたしたち女性になんの相談もなく、大企業や国が勝手に決めようとしている。家庭についても、男との関係も、労働についても、子どものことにしても、わたしたちは自分の生き方を自分で決める自由を、絶えずからめとられているのだ 。そこにはエロティシズムはない。男は男の世界に閉じ込められ、女は女の世界に閉じ込められていて、たまに、あわただしい、監視された、味気ない〈関係〉があるだけなのである。
 日本国じゅうに、深い過去にまで達する根を張ったさまざまな〈道〉を自分たちの側に取り戻さなければ、エロティシズムはわたしたちのものにはならないと思う。

                     *

 利害もなく、支配もなく、自由な交流のできる道。人々の行き交う道。交わる道。市が開かれる道。風が通る道。高良留美子資料室も、行きつ戻りつ、新しいものが生み出される場の一つでありたいと思っています。ご来室をお待ちしています。

(高良留美子資料室 オープンデー世話人)