第9回WANac2期のレポートをお届けします。

今回はうえの先生のコメントも併せてお届けします。
言うは易く行うは難し…ピアがいるからこそ頑張れます!

 2025年内最後となる第九回ゼミである。今回は初めての二日間連続開催で、スケジュールはハードであったが、上野先生とゼミの皆さんと共に、充実した時間を楽しく過ごした。研究進捗はそれぞれ異なるものの、皆さんは各自の関心に根ざした「問い」を出して、それに相応しい理論やデータを用いて着実に検討を進めている点が印象的だった。加えて、上野先生のご指摘を拝聴し、今回も多くの学びを得た。私自身は、二日とも発表の機会をいただき、上野先生と皆さんから貴重なご意見を数多く賜った。そこで本レポートでは、今回のゼミに対する全体的感想と、自分の発表をめぐる省察の二点から述べたい。
 まずは、全体的な感想である。第9回を迎え、皆さんが各自のスケジュールに沿って研究内容を修正しつつ、着実に進めていることを実感した。また今回も、上野先生のコメントから多く学んだ。2025年4月のWANAC2期、初回ゼミにおいて、上野先生が、「一年間のゼミを通じて、皆さんのコメント能力が飛躍的に上がる」といった趣旨のお話をされていたことを、最近改めて想起している。私自身は、所属大学院のゼミにおいてもコメント能力の向上を自覚する時もあります。この変化は、毎月のWANAC2期ゼミ終了後に、全発表者に対してコメントを書く「レスカ」を継続してきた実践の成果であるだけでなく、上野先生のコメントを拝聴し、その方法とロジックを学んできたことも関わると考えている。
 以前のゼミでは、上野先生から「外在的コメント(発表者の論それ自体の妥当性を問うコメント)」と「内在的コメント(発表者の論を支え、さらに豊かにすることを目指すコメント)」という区別について教示してくださった。今回のゼミでは、個別な研究内容に応じ、全体的構成に関わる指摘から、細部の修正提案まで、たくさん有益なフィードバックを得た。例えば、「問い」を立てる際に、多くのゼミ生にある程度共通する課題として指摘されたのは、まず大きな枠を設定し、そこから自身の問いへと同心円的に絞り込む作業である。「でかい話はしない」、「無駄なことを読者に読まされる」という指摘は、今回のゼミで数回共有されている。
 また、国語教科書に関わる研究へのコメントで、「Read after the text, Read against the text」の指摘も非常に印象的だった。ここでは、テクストに対する二つの読み方を提示している。「after」/「encoding」とは、テクストに即して読むこと、つまりテクスト自体が何を提示しているのかを明らかにし、テクストによって前面化されたものを整理・理解する読み方である。これに対して、「against」/「decoding」とは、テクストが語らないもの、テクストの外側に置かれているもの、あるいはテクストの前景と反対するものを読み取る方法である。
 さらに、クィア批評をやっているアメリカの日本文学者による、円地文子「女坂」への興味深い解釈も紹介された。このテクストは一見「おそろしい家父長制的テクスト」だが、クィア批評の読み解きによって、それが家父長制の「ドラァグクイーン」として読まれうるというのである。すなわち、家父長制の規範をあえて過剰に体現することが、むしろ規範そのものの相対化を生み出したこと。結果として、ヒロインは夫を見下ろすディフェンスの主体性が際立っていた。この例は、現代のクィア批評という新たな視座によって、性差別的な近代テクストに対する再解釈の可能性が開かれたことを示している。文学研究に携わる私は、解釈の枠組みと理論が、テクストに新たな意味作用と「生命」を与えうることを改めて実感した。
 また、ゼミ終了後には、私と他の発表者が「レスカ」を通じて交流を行なった。その過程で、例えば、マルクス主義フェミニズムにおける未解決の課題や、ポストフェミニズムの概念など、多岐にわたる議論がなされた。こうした対話は、私たち各自の研究を再考する上で非常に有益な機会となった。そして最後には、上野先生もこの議論に加わっていただき、議論へのコメントと助言をいただいたことで、理解が一段と深まった。
 次に、私の発表に関する省察である。私の研究は谷崎潤一郎『細雪』と、現代版『細雪』と銘打たれた三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』の二作品を対象に、作中における「シスターフッド」がジェンダー不正義に向き合う際の有効性を、「承認と再配分」という視座から検討するものである。今回は、初日に概要・目次2を、二日目にサンプルチャプターを発表し、とりわけ「クィア家族」概念の定義の明確化や、『細雪』に関する検討の補足など、有益な助言と指摘を得た。
 なかでも最も印象的であったのは、上野先生から指摘いただいた、私の議論に見られる「理想化」の傾向である。すなわち、テクスト自体が「シスターフッド」を理想化する側面を持つが、私の評論もまた、その傾向に「乗ってしまう」、結果的に理想化を追認してしまう恐れがあるという点である。評論・批評は本来、テクストが前景化したものをそのまま肯定するのではなく、客観的、批判的な態度を必要とする。こういう意味で、私の論は「Read after the text」に親和的であり、今後は「Read against the text」の視座をより積極的に導入する必要があると自覚している。WANAC2期のゼミも、あと3回ほど残っている。今後もゼミ生たちの興味深い研究発表を楽しみつつ、私自身もゼミで得た助言を踏まえ、研究内容をいっそう磨き上げてきたい。

★うえの先生からのひとこと★
と~ってもよいレポートです!
ちょっと誤解が。
encoding/ decoding
Read after the text / read against the text
とは別のもの。対応しません。
encoding/ decodingはべたに訳すと入力/出力
つまりテキスト生産/テキスト消費の別名。
Read after the text / read against the text
はテキスト消費の2類型のことです。
ここだけ訂正しておいてください。

 2025年最後のWANアドバンスコース第2期(以下、WANAC2という)は、2日間連続のハードなものであった。発表内容は研究計画からサンプルチャプターまで、メンバーの進度による差がかなりはっきりしてきている。私は今回発表が間に合わず、研究計画の段階に留まっており、2日間出席したものの、遂に一言も言葉を発することができず、終わってしまった。先生やメンバーから貴重なコメントをいただける機会を活かせず本当にもったいなく、自分を情けなく思う。置物のようにただその場にいるばつの悪さから、メンバーの発表や先生のコメントから何か少しでも自分の研究のヒントを得たいと思い、必死で耳を傾けていた。
 今回から発表方法が改められ、サンプルチャプターの前に、各章の概要と字数を目次2として提出することになっている。それにより、他のメンバーの研究内容が格段と分かりやすくなったが、同時に、WANAC2メンバーの研究対象・領域が多種多様で、しかも、かなり専門的であることを今さらながら痛感した。ジェンダーやフェミニズムという共通項があるとはいえ、テーマや対象が本当に幅広いと思う。労働組合、教育機関、行政機関、企業、文学、性産業、広告、出産・育児等々、実際に当事者としての問題意識から端を発したテーマも多く、説得力やオリジナリティがある。哲学、精神分析、歴史社会学等さまざまな分野の概念が登場し、私には十分理解の及ばないところも多かった。これらを全て余裕でカバーし指導しておられる上野先生・・。先生の凄さを、いつもこれでもかというほど思い知らされる。
 WANAC2の醍醐味は、先生のコメントや、メンバーと先生のやり取りの中から、自分の研究にも役立つ「名言」が毎回いくつも飛び出してくることだ。研究テーマがメンバーによりさまざま異なっていても、基本的な論文の構成や書き方は同じである。先生は発表者にコメントをしながら、その人ひとりだけではなく、他のメンバー全員にも語りかけ、教えてくださっている。今回、私の心に残ったのは、「捕まえたい魚を決めて、それに合った網を使う(研究の範囲を広げすぎない)」、「小股の切れ上がった(内容が引き締まった)論文*ただし、この言い回しはジェンダー的に問題あるとして訂正された」、「Read after the text, Read against the text→古典は新しい読み方に開かれている→例えば、ものすごく家父長的な内容はドラァグクイーンになる」等々。
 このようなWANAC2の刺激的な時間は、メンバー一人ひとりによる、日頃の研究への取り組みと努力の上に成り立っている。残りあと3か月。これまで足踏みしてきた自分ももう後がない。最終回の3月には、全員が口頭発表に臨む。サンプルチャプターまで進まなくても自分で目標を立て、今あるデータで言えることをまとめる。
「アウトプットを出さないと論文とは言えない」。当たり前のことであるが、先生の言葉が重く響いた。自分はこれまで学会でもポスター発表しかできておらず、アウトプットのしんどさに負け、インプットばかりして逃げていたと思う。もう逃げるのはやめよう。

★うえの先生からのひとこと★
「もう逃げるのはやめよう」
いいせりふですね。
場があって、ピアがいるからこそ言えるせりふです。
3月の口頭発表がんばってね。あと3ヶ月もあるわよ(笑)