© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners

2026年のカンヌ国際映画祭において「急に具合が悪くなる」は、主演女優、岡本多緒とヴィルジニー・エフィラのお二人が最優秀女優賞を受賞した。日本人のこの受賞は初めてということで、メディアは盛り上がり、映画評、テーマ別ごとの対談・鼎談、原作の書評等々記事を見ない日はないといってもよいぐらいである。

私は、見ざる、きかざるを決め込んで、映画だけに集中しようと思ったのである。けっしてプロの映画評論家ではない私が批評を試みようとするのだから情報の洪水に溺れてしまいたくなかった。わかっていたのは、二人の、哲学者と文化人類学者という研究者が、一方はがんの末期状態でありながら、文書を交わすという原作であることだけである。大学人ならおそらく文書上での言葉の問題(言語学者、ウィトゲンシュタインを読まなければならないかと身構えた)、病気の末期という身体性の問題、死生論(終末論)、霊性とか、抽象的だが、深く考えさせられるイシューを突き付けられるだろう、ただこのような原作をいかに映像化するのか、さっぱり想像=創造力が及ばなかった。五里霧中とはこのことか、である。

弁解がましいのはお許し願って、冒頭、フランスの介護施設における、施設長マリー=ルーが新しい概念の介護技術を試みるようにスタッフに話し、頑張っているところが出て、しばらく続く。「え、何これ?!」が、ここでやっとマリー=ルーは、健康な側の一人、舞台はフランスなのだとわかる。しばらくの後、偶然に出会った智樹とのつながりで、真理に出会うのである。こちらが病者。

ここらあたりでやっと私は、自分の無知から離れ、映画そのものに向かい合うことができるようになったのである。原作をご存知の方には「余計なお世話」になったが。映画の展開は見ていただくとして、映画の中で私が重要だと思う点を3つ挙げたい。

まずは生と死でなかろうか。真理は、医師に「急に具合が悪くなる」かもしれないと言われているがんステージ4の患者である。フランスの大学に学び、ストリート演劇(といってよいか?)のようなものをやっている。しかし彼女は、病状をくどくど訴えたりしない。時々出る痛みに耐えるだけである。自分の症状をどう思っているのかは、ほとんど語らない。一方のマリー=ルーも、病気を知って、症状を常に聞くとか、こまごまとした気使いをしない。「行く?」と聞いただけで真夜中の施設内を一緒に動き回り、手伝わせる。これがとても良い。

マリー=ルーはフランスで生まれたケアの技法であるユマニチュードの基本概念、「見る」「話す」「触れる」「立つ」をなんとかスタッフに馴染ませようと必死である。トレーニングが必要で、スタッフ、特にソフィは、人員不足、技術不十分によるけが等がおきるかもしれないと批判的である。ソフィも含めた両者とも、その時々をしっかり真剣に精一杯生きているのが了解される。病者(クライエント)も健常者も非常に普通に、特殊なこととしてではなく。「生きること」も「死ぬこと」も言葉は不必要である。「ただ、そこにそう在る」のだから。

女同志の友情
これは重要な主題である。マリー=ルーは、偶然に真理に出会う。俳優の吾朗の孫、自閉症の智樹がマリー=ルーの乗った電車について走り、危険を察知した彼女が途中で降り、彼を得意の技術で落ちつかせて、後を追ってきた吾朗と真理に出会う。劇に誘われ、行った会場で、再会する。観客からの主催者への質問、「不可能を可能にできますか」に真理は「できません。不可能が可能になるまでは」と答え、マリー=ルーを感心させる。二人の会話は「あなたは誰?」「私は誰?」として始まる。応答は困難である。単純にアイデンティティを聞いているのではないから。「構造」と闘っているマリー=ルーに真理は、構造の資本主義的弊害を説明するが、このあたりは、原作者のお二人が交わした言葉でないかしら、と推測した。

病状の悪化した真理は一時期京都に帰り、そこでの治療をしようとする。付き添ってきたマリー=ルーは、フランスの自分の施設に帰ってほしい、私がいるじゃないと問いかける。すごい言葉である。真理には改善の余地がない。自分が看取るというのだ。それに委ねる真理。

フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛は英語でいえば、フラタニティ(ブラザーフッド)で、カウンターパートとしてフェミニズムが造語した「シスターフッド(姉妹愛)」はこの多数形である。

「障碍者」(クライエント)との共生
私は臨床心理学者としてこのようなユマニチュード志向の試みや施設(精神科病院)に仲間の一人として入り、ほとんどは米国であるが、食住を共にした経験がある。「境界を取り除く」である。それらの体験をもとに、クライエントの脱病理化を唱えたフェミニストカウンセリングを創設した。ここでこれ以上はふれない。いいだせば、こんな短い紙幅では足りないから、今回は禁欲しよう。

別のことで、もうちょっといえば、60、70年代、イギリスでD・レイン、T・スザッツらが、これまでの患者に抑圧的な精神医学にアンチをとなえ、小さなコミュニティで治療者と患者が共存するという試行をしたが、長くは続かなった。世界的にはユマニチュード志向は若干のニュアンスの違いを持ちつつも、よく知られた方向性だといえる。これを我が国の介護施設にぜひ見てもらい、デイケアセンターの介護業務を少しでも改善してもらいたいと思う。ソフィなら批判として同じことをいいそうだが。しかし、全体的に少しづつだが、マイノリティを取り巻く状況は良くなってきたと考えたいものだ。

映画評を挙げてやっと私は原作をゆっくり読もうと思います。

急に具合が悪くなる

著者:宮野真生子

晶文社( 2019/09/25 )

タイトル:急に具合が悪くなる
主演女優:森崎真理役(岡本多緒)
主演女優:マリー=ル・フォンテ-ヌ役(ヴィルジニー・エフィラ)
助演女優:ソフィ役(マリ―・ビュネル)
主演男優:清宮吾朗役(長塚京三)
主演男優:窪寺智樹役(黒崎煌代)
助演男優:オリヴィエ役(ジャン=シャルル・クリシェ)
監督:濱口竜介(フランス、日本、ドイツ、ベルギー)
音楽:サミュエル・アンドレイエフ
原作:宮野真生子 磯野真穂著『急に具合が悪くなる』晶文社2019年