平井和子著 「テラと歩けば」

「テラちゃん、幸せだったね」と、本を閉じながら、温かい気持ちになった。これは、平井さんの自分史。一人ではない、自分史。いつも、どんな時も、隣に寄り添ってくれていた犬たちとの、心豊かな、温かい時間の記録だ。

平井さんが犬を飼い始めた理由は、意外だった。そもそも「犬嫌いだった」と知って、本当に驚いた。もっとも、忙しい共働きの中で犬の世話をするには、余程の覚悟と愛情が無ければ負担になるだけだ。大の犬好きの私が結婚後に犬を飼わないのは、犬の世話がどんなに大変か、一通りのことは知っているからだ。

初代の「クロちゃん」を思い出すとチクッと胸が痛む様なお世話しかしていなかったのに、アスナさんが家を出ることが見えてくると「つまらないな~」「それなら犬を飼おう」となぜか気持ちが犬に動く。忙しさに紛れて思うような世話ができず、胸の痛みまで感じていたクロなのに、犬との生活は暖かいものを平井さんの中に残していたのかも知れない。二代目のゴールデンレトリバー:メイプルは、家を出るアスナさんの身代わりだったのかも知れない。もはや、「飼い犬」ではなく、メイプルはすぐに立派な「家族の一員」となる。

平井さんは、今度は覚悟して飼い始めたメイプルに犬の賢さを教えられる。人間の6歳くらいの知能があると言われる犬だが、実はもっと賢いのではないか…と私は疑っている。できないのは「日本語をしゃべること」くらいで、他のことは殆ど分かっている気がする。飼い主の言うことは、もちろん理解している。そして、言葉には出さない、飼い主が考えていることまでちゃんと読んでくれる。不器用ながら、コミュニケーションは心地よく成り立つ。地の利もあり、メイプルは海や川、広い庭で思う存分自由に過ごすようになる。

地元の静岡大学で修士を収めた平井さんは、非常勤で女性史を教え始める。そんな忙しい生活の中で、ぎっくり腰がきっかけのかなりひどい腰痛に悩まされることになる。治療のために温泉病院に入院してリハビリ、講義のある日にはそこから大学まで通う毎日。故障を抱えた身体で入院して、外界は「健常者の世界」だと気づく。そして、入院していても、周りの患者さんたちからエージェンシーを読み取る。自分の生活を女性史の応用問題として学問している彼女は、根っからの研究者だ。
酷い腰痛と何とか付き合えるようになって暫くしてから、今度は不思議な筋肉痛や脱力感に襲われ始める。線維筋痛症が疑われ、信州の病院を訪れることになるが、ここで性差医療にも目が向く。ひと月弱の入院の中で、同室の患者さんたちを取り巻く状況に思いを馳せ、女性たちが置かれている日本の社会を考える。
どうやら線維筋痛症ではなさそうだ…という判断のもと、退院して三ヶ月の平井さんを襲ったのは、まだ若いメイプルの発病だった。持って生まれたものなのか、ガンを発症していた。もはや手遅れであることが分かり、それからひと月余りでメイプルは亡くなった。

平井さんは数ヶ月後に、メイプルを失った穴を埋めるようにテラを迎える。テラが運んでくれたものは数えきれないが、人との出会いもその一つだ。スパー犬好き少女のカナエちゃん、カヌーの山口さん、狩野川の河岸段丘に集まる犬好きの皆さん、スギモトさん、ヨシダさん。「社会的な動物」である犬、テラが平井さんと皆さんを引き合わせてくれた。皆さん犬好きなので、「思いは一つ」で繋がりは強かったのかも知れない。テラは柿田川での写真が「水の日」のポスターに選ばれたり、セラピー犬として「広報しみず」の表紙を飾ったり、平井さんの愛情を受けて大活躍。近隣ではちょっとした有名犬だ。清流でのダイビングや遊び、海での遠泳。庭はもちろんテラの遊び場。自由に、思うままに遊べたことは何よりテラには嬉しかったのではないか。テラと海や川、遠出の散歩に付き合った平井さんはすごい。テラを喜ばせた散歩は、実は平井さんの身体にも恩恵だったのではないだろうか。
テラは、東日本大震災も経験した。女性史研究者としての平井さんは、もちろん、「学者の視点」で観ることを忘れない。テラ、そして動物たちの生活にも、様々な影響があった。

平井さんは数か月後に、メイプルを失った穴を埋めるようにテラを迎える。テラが運んでくれたものは数えきれないが、人との出会いもその一つだ。スパー犬好き少女のカナエちゃん、カヌーの山口さん、狩野川の河岸段丘に集まる犬好きの皆さん、スギモトさん、ヨシダさん。「社会的な動物」である犬、テラが平井さんと皆さんを引き合わせてくれた。皆さん犬好きなので、「思いは一つ」で繋がりは強かったのかも知れない。
テラは柿田川での写真が「水の日」のポスターに選ばれたり、セラピー犬として「広報しみず」の表紙に載ったり、平井さんの愛情を受けて大活躍。近隣ではちょっとした有名犬だ。清流でのダイビングや遊び、海での遠泳。庭はもちろんテラの遊び場。自由に、思うままに遊べたことは何よりテラには嬉しかったのではないか。テラと海や川、遠出の散歩に付き合った平井さんはすごい。テラを喜ばせた散歩は、実は平井さんの身体にも恩恵だったのではないだろうか。
テラは、東日本大震災も経験した。女性史研究者としての平井さんは、もちろん、「学者の視点」で観ることを忘れない。テラ、そして動物たちの生活にも、様々な影響があった。

 テラの病気をきっかけに、平井さんはテラに手作りの食事を与えるようになる。そして、自分の研究の先を見据えて、一橋大学の軍事史専門の吉田裕先生の下、博士課程に進むことを決めた。厳しい博論指導に冷や汗を垂らしながら書き進める時、傍らにいてくれたのはテラだ。親は、一も二も無く手放しで愛してくれる存在。犬は「伴侶動物」として、こちらの状況顧みず、甘えて、頼ってくる存在。その全幅の信頼に、応えないわけにはいかない。
 一度社会に出て、結婚し、家事・子育てを担った女性が大学院に入り、学び続けることは並大抵のことではない。「学生だから」「院生だから」と、他の殆どが免除されるわけではない。様々を背負いながら、それでも「学ぶなら、今」の思いで、万難を排して進んでいく。苦労より、学びたい気持ちが勝っていた。テラの「散歩に連れて行って」が、博論の執筆を支えてくれていたのかも知れない。苦しい中、いつも寄り添っていてくれたテラの存在の有難さを、彼女は噛みしめる。

 15歳を迎えたテラに、老いが忍び寄る。ゴールデンレトリバーの平均寿命は12年前後と言われることから考えると、かなりの長寿と言える。そんなテラに、質の悪いガンが見つかった。ここから、平井さんの老犬テラの介護が始まる。
 獣医学の発達は、とんでもなくすごいと感じた。私が最後に犬を飼った40年以上前と比べると、隔世の感がある。進んだ獣医学の知識や医療システムだけでなく、私たち人間が頼りにする民間療法まで、平井さんはテラのために取り入れる。
 悪いことは重なるもので、テラは大腿骨骨折をしてしまう。これは「病理骨折」で、骨粗鬆症やガンなどの病気が原因で骨の強度が極端に低下して起こるもので、乳房のガン細胞が転移したものらしい。通常とられる「断脚」は即座に拒否し、骨折の自然治癒を目指すことにする。そして、平井さんはすぐに、テラのために犬の車椅子を作る手配を始める。足を骨折したことで不便になった排泄に知恵を絞り、ビワ葉温圧や冬虫夏草、紅豆杉などの代替治療を貪欲に取り入れていく。テラへの酸素吸入の準備も、整える。これらの手当て、介護、病院通いが自分のためなのだと、テラにはもちろん分かっていただろう。
 車椅子を作ってもらったテラは散歩を続け、ついに骨折前までのコースを歩けるところまで回復する。それでも、平井さんはテラの負担を考えて二輪の車椅子を四輪に変え、散歩用に大型犬用のカートまで購入した。

 「テラと共に乗り越えたい」と願っていた講演会が終了した後、安心したのか、テラが急変する。16歳という「あり得ない長寿」を更新し続けていたテラは、しかし、力尽きようとしていた。苦しそうな息遣いの中、懸命な平井さんの声掛けに包まれながらテラは虹の橋を渡った。
 平井さんの心づくしの介護だけでなく、周りの皆さんの応援、経験知もどれだけ平井さんとテラを助け、励ましてくれたことだろう。平井さんのご家族はじめ、周りの皆さんにもテラは間違いなく愛されていた。今、平井さんの傍らにはコギン(柴犬)ちゃんがいる。

 私は、犬を3回、ウサギは5回飼ったことがあり、今は猫と暮らしている。どの子との別れも辛く悲しかったが、別れる際に出た言葉はいつも「有難う」だった。動物を「愛玩物」としてではなく、共に人生を歩くパートナーとして暮らすことがもたらしてくれるものは計り知れない。
 平井さんが博士課程まで進んだ中でも、傍らにはいつも相棒としてテラがいいてくれた。常に寄り添い、平井さんの人生を彼らなりに精一杯応援してくれていたのだと思う。
 体力も時間も、経済的にも余裕のある平井さんは、考えられる限りの育犬(児)、介護をした。もはや「自分ごと」、歩を進めるためのパートナー(戦友)だったのだと思う。そして、彼らにはそれがちゃんと分っていた。そう、育児(犬)しているようで、実は育てられていたのは平井さんご自身だったのかもしれない。テラたちとの温かいひと時は、これからも平井さんを励まし続ける。