日韓デモの比較から考える、政治と文化の交差点

日本でも「ペンライトデモ」という言葉が広がりつつあります。アイドルのライブで使われるペンライトを手に街頭に集まり、音楽に合わせて踊り、楽しみながら政治への怒りを表明する若い女性たち。
こうした新しいデモの風景を新鮮な驚きとして受け止める方も多いのではないでしょうか。

この本は、2024年冬に韓国で突如として発令された非常戒厳令と、それに抗議して展開された大規模デモを手がかりに、現代社会におけるデモと民主主義を考察した一冊です。当時韓国の「非常戒厳反対デモ」では20・30代の女性たちの参加がひときわ目立ち、現在日本でも広がっている「ペンライトデモ」と重なる風景が数多く見られました。そこには、大衆文化を介した 国境を越える連帯の可能性が興味深い形で表れていました。

ただし、この本は、単に韓国の事例を紹介することを目的としていません。むしろ韓国という「デモのエネルギーが極大化する現場」を鏡にしつつ、日本社会の内部からは見えにくい民主主義や市民社会の姿を映し出したいと考えました。というのも、私自身、日韓両国で学生・生活者・研究者という異なる立場を経験し、それぞれの社会現象に対して「当事者」としての身体感覚と、同時にそれを一歩引いたところから分析する「観察者」の視点を往復してきたからです。

本書が、日韓だけでなく、民主主義の危機に直面している世界の市民に共通する思想的・文化的・実践的な課題、とりわけ人々がどのように新しい連帯や公共性を作り出していくのかについて考えるきっかけとなれば幸いです。

【目次】
はじめに
世界中で揺れる民主主義
韓国と日本の広場に共に立つ
「メディア人類学」という視点から
韓国という「鏡」の有用性と注意点

第1章 デモとは何か?
 二〇二四年冬、韓国の非常戒厳事態
 「死者が生者を救った」
 日本と欧米メディアの温度差
 「制度」かつ「営み」の民主主義
 デモとは間接民主主義の補完装置
 増殖するデモとテロリズム
 関心経済の罠―デマや過激さが力を持つ時代
 「映え」てコンテンツ化するデモ

第2章 揺らぐ民主主義と立ち上がる韓国市民
 韓国の憲法はデモから始まる
 世代を超える「抵抗」の記憶
 二十一世紀に起こった三度目のクーデター
 韓国の広場を振り返る
 「先払い」の食事が振る舞われる祝祭の広場
 二十〜三十代女性と地方トラクター隊
 YouTubeがメディアの主戦場に
 非暴力の原風景――二〇〇八「キャンドル・デモ」
 スペクタクルとしての抵抗――一六〜一七年「ロウソク集会」
 主役は活動家から普通の市民へ

コラム1。「占拠」と言う行為の意味―オキュパイ運動

第3章 多声性、遊び心、アイデンティティの転覆
 一つのデモ、多声的な空間
 誰でも発言OKの「自由発言台」
 なぜ二十〜三十代女性が広場に出たのか
NGワードは「若いのに参加してくれてありがとう」
 「軽薄」なペンライトを掲げる若者たち
 彩り豊かな側に隠された「個」の氾濫
 厳粛主義という対抗文化
 「政治的抗議」から「文化的実践」へ

第4章 デジャボからミームへ
 支配に抗う声の記録「抵抗メディア」
 対抗的公共圏の創出
 七〇〜八〇年代、軍事政権と言論弾圧
 壁をメディアに変えた「デジャボ」
 デジャボから立ち上がる「広場の公論」
 「お元気ですか?」ネット空間で復活したデジャボ
 物理的場所の占拠 VS 情報空間の占有
 集合行動としての「ミーム」

第5章 「極右デモ」をどう理解する?
 世界的に増加する極右勢力
 保守の空洞化とリベラルへの敵意
 非常戒厳局面で急浮上した韓国の極右
 韓国の正統右派―高齢・失郷民・宗教
 若年男性層の「新右派」―ネットで強まるバックラッシュ
 日・米・韓の反リベラル現象
 インターネットは中立か
 極右デモを民主主義とみなす危険性
 マルチバース化する公共圏

第6章 日本市民の「静けさ」を読み解く
 「なぜ日本人は声をあげないのか」―韓国からの問いかけ
 「上からの民主主義」の経緯と反論
 熱いデモの時代―「ベ平連」の試み
 デモが消え去った七〇代後半
 「第三者」の日本メディアと「当事者」の韓国メディア
 戦後日本社会を貫く脱原発という問題意識
 「デモは無意味だった」挫折と無力感
 日比谷公園と光化門の対比―公的領域の矮小化
 「心地良い沈黙」の危うさ

おわりに
 「長い革命」の途上に立つ日韓
 「大きな運動」の韓国と「小さな運動」の日本
 互いの課題を映す鏡としてのデモ


◆書誌データ
書名 :『メガホンとペンライト 韓国の「騒ぎながら民主主義」』
著者 :キム・キョンファ【装画】安達茉莉子
頁数 :264ページ/四六判並製
刊行日:2026年5月27日
出版社:皓星社
定価 :2200円(+税)