2013.12.22 Sun
私にとって、ミニコミとしてまず思い浮かぶのは、1970年代のウーマン・リブのミニコミだ。ネットはもちろん、パソコンやワープロのない時代に、手紙や電話という個人間のメディア以外に、私たちがある程度多数の人たちに向けて発信できるメディアが、ミニコミだった。 私は辺輝子(ほとりてるこ)の筆名でエッセーや評論をいくつかのリブ関連ミニコミに発表したが、一番頻繁かつ長期にわたって執筆し、また編集にも関わる等、深くコミットしたのは、『婦人問題懇話会会報』だった。
私の最初のリブ論「女のアイデンティティを求めて―中間世代の見たウーマン・リブ」を寄せたのも、出産後、母になった感想を載せたのも、日本でも女性学を始めようと初めて提唱したのも、すべて、このミニコミ誌上だった。
婦人問題懇話会は、1962年に山川菊栄が、田中寿美子、菅谷直子らと共に設立した研究団体で、2001年に閉会するまでの40年間、フェミニズムの視点に立った研究と運動の幅広い交流の場を提供した。
『婦人問題懇話会会報』は、会員たちの活動報告や、その時々の女性に関わる諸問題についての論考・エッセーなどを掲載するミニコミで、発行部数1000部前後のタイプ印刷の冊子だった。
まだ女性学の学会もフェミニストのジャーナルもなく、学会もメディアも男性基準でメンバーや掲載作品の仕分けをしていた時代に、女が自分の思いや言いたいことを、自由に表現できる場は、このようなミニコミしかなかった。
ある程度理論的に整理した論文や作品にまとめる以前の、ちょっとした発見や思いつき、私的で日常的な経験の中でたまっている怒りや憤懣等々を言葉にして発信する。受け取る側も、〇〇さんがこんなことを言っているのかと、納得したり反論したりする、どちらかといえば内輪のコミュニケーションの回路が成立していたのが、当時のミニコミだったように思う。
2013/12/20 井上輝子
カテゴリー:エッセイ・ミニコミと私