2010.06.06 Sun
「『ぽらっぴ』ってどういう意味?」とよく質問される。待ってましたとばかりに「『女性解放』の色だよ」と答える。
奴隷のような生活を強いられた黒人女性が、一人の人間として目覚めていく姿を描いたアリス・ウォーカーの「カラーパープル」の映画を見て、衝撃を受けた。原作も読んで、「カラーパープル」が女性解放の色だと知った。映画が劇場で好評を博していた1985年ごろ、在日女性のための運動体をつくろうという動きが始まった。そして1986年11月に東京本部が、翌1987年4月には大阪本部が結成された。結成と同時に会報の創刊号が出されたが、まだ名前は決まっていなかった。そのときひらめいたのが、「カラーパープル」だった。急いで日韓辞典をめくると、「うす紫=・エ・壌ケ宦iぽらっぴ)」とあった。その響きも素敵だった。「ぽらっぴ」が私たちの会報の名前になった。
「女性解放」と言ってもスローガンだけで、まだまだ中身は空洞だった。多くの在日女性の支援と期待に支えられながら、よちよち歩きの出発だった。それまでの男性中心の民族運動から、女として自立した運動をめざした。
タバコの煙の中で夜中まで会議をしたり、酒を酌み交わしながら夜遅くまで激論を交わしていたのは、いつも男たちだった。娘が夜毎ほっつき歩くと、親に殴られて顔に痣をつくってやってくる友がいた。エプロン姿のまま家を抜け出してくる友、銭湯に行ってくると洗面器を持ってきては、水道の水で髪をぬらして帰る友に、いつ風呂入るんやろうと心配したこと、そういう私は編み物教室に行ってくると、毛糸玉の詰まったバッグをいつも持ちあるいていた。母に約束したカーディガンは、とうとう編みあがらなかった。
それでも、先頭に立ってマイクを握るのはいつも男だった。集会場でチマ・チョゴリを着て受付に座り、参加者を笑顔で迎えるのは女の役割。なんか違うと思いながら、声をあげられなかった。湧き上がる疑問に、今はそんな個人的なことを言ってる場合かと、自分を納得させ、一生懸命頑張った。気づいたらいわゆる婚期をとうに過ぎていた。幹部だった先輩が声をかけてくれた。「そろそろ結婚を。」涙が出た。嬉し涙ではなく、悔し涙だった。
結婚したら、もっと自由に、思い通りに運動ができるなんて、幻想だった。結婚した先輩や友人は家事や育児に追われ、夫の運動を支える現状に不満をもっていた。
軍事独裁政権による弾圧が日増しに厳しくなる中で、韓国で女性たちは民主化闘争の前面に躍り出て闘っていた。私たちも女性として、自立した女性団体を持たなければならないと考えるようになり、また時代の流れにも乗って、「在日韓国民主女性会」が結成された。多くの女性たちが集まってきた。下の子をおんぶして上の子の手を握り、電車を乗り継いで、あるいは自転車の前と後ろに子どもを乗せて、駆けつけてくれた仲間たち。会議は子どもたちの泣き声や叫び声にかき消され、なかなか前に進まない。だけどみんなの目はきらきらしていた。
―あれから20余年、いろんなことがあった。
今振り返って、あのときめざした自立した女の運動をつくれたか、女性解放に向けて一歩でも二歩でも前進できただろうかと、自問自答する。たくさんの在日女性の期待に応えることができたかと問われれば、まだまだ道半ばである。
23年といえば、生まれた子どもは立派な成人だ。次の世代にしっかりバトンタッチできるだけのものを、私たちは築いてこれただろうか。
今こそ自分の足で、大地をしっかり踏みしめて立ちたいと願っている。
(「ぽらっぴ」 2010年3・4月合併号より転載)
編集局より:「ぽらっぴ」とは在日韓国民主女性会大阪本部が結成以来20余年にわたり発刊してきたニュースレターです。このたび246号をもって休刊されることになりました。
カテゴリー:ちょっとしたニュース / 新作映画評・エッセイ
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画






