2010.07.23 Fri
<出た! 女子高生吸血鬼>
吸血鬼は、フランケンシュタインや狼男と並んでホラー映画の古典的キャラクターだ。被害者には若い美しい娘が圧倒的に多く、彼女らの悲鳴と恐怖の表情は映画を盛り上げる重要な要素。しかも大抵は失神して、その無抵抗な肉体はこれらの化け物に抱かれ連れ去られ…と、弱く美しく無力なヒロイン像の典型だった。
しかし、時代は変わる。化け物も被害者も、そして映画の作り手だって。本作は、「ホラー・サスペンスのセクシーでエキサイティングな魅力」が大好きというディアブロ・コディ(「ジュノ」)の製作総指揮・脚本で、日系のカリン・クサマ監督が「ガールファイト」「イーオン・フラックス」に続いて3作目のメガホンを執った。
今回の吸血鬼映画では、何と!セクシー度抜群のミーガン・フォックスがただならぬ秘密を持つ女子高生を、若手演技派アマンダ・セイフライドがその秘密を知りながら、女の友情に生きようと悩む同級生を演じている。しかも、被害者はすべて若いカッコいい男の子ばかりという、従来とはジェンダー逆転のドラマティックな設定になっているのがミソ。
学園のスターである美しいジェニファー(フォックス)には怖いものがない。いつでもフェロモンとファッションをかき混ぜて全身から放射しているような妖しい魅力は、みんなの憧れか欲望の的だ。幼なじみのニーディ(セイフライド)は、まったく目立たぬダサいタイプだが、ジェニファーにぴったり寄り添うことで親友ぶりを発揮して、優越感を味わっている。
ある夜、ジェニファーは渋るニーディー(セイフライド)を誘って一緒にお目当てのロックバンドのライブを見に行く。演奏の最中に会場が火事になり、大混乱の中で放心状態のままジェニファーだけがバンドの車に乗せられる。正気に戻った彼女は「私は処女で何も知らないから」と必死で抵抗するが、男たちの目的は、暴行以上の狂人めいたものだった。そして、戻って来たジェニファーは異様なまでに凄みを帯びた色香を漂わせていた。町に若い男の惨たらしい遺体が発見され始めたのは、その翌日からだった…。
ジェニファーと二―ディの友情は危ういバランスを保っている。美しい自分の肉体の異性へのアピール力は十分に承知しているジェニファーだが、なぜか虚しい。実は心許せる恋人がいないのだ。自分がその気になれば、男なんて選り取り見取り。とは思うものの、自分の肉体目当てでなく、心も体も丸ごと愛してくれる本当の恋人ではない。その逆に、自分とは全く正反対のタイプのニーディには、愛してくれる彼氏チップがいる。高慢でわがままなジェニファーの言いなりになりながら、ニーディはそのことで心のバランスをとっているのだ。だが、大切なチップにジェニファーの魔手が伸びるに及んで、ニーディは正念場を迎える…。
ジェニファーの吸血ぶりがどうであるのか、クサマ監督は具体的なホラー描写を避けて、赤い唇の端からひと筋たれた血の滴、目線の運び方、血で染まった胸元などをちらりと示唆するだけで、ゲテモノ映画になる一歩手前で留まっている。スプラッターだのはらわただのといったえげつない恐怖心でもなく、神経病理上の怖いもの見たさでもない、日常感覚の中で恐怖と対決し大切なものを守ろうとさえする少女の雄々しさに共感する。私も怖いけど、一緒に立ち向かっているような、恐怖の一体感とでも言おうか。思春期の微妙な心理や家族関係などまできめ細かく丁寧に描くので、嘘がウソに思えなくなるのかな。本来、ホラーものは苦手で避けてきたのだけれど、このドラキュラ映画は大丈夫。どころか、ファッショナブルでスリリングでドラマティックで面白い。
クサマさん、1作目の女子高生ボクサー、ミシェル・ロドリゲス、2作目のSF女忍者シャーリーズ・セロン、ふたりともカッコよかったですけど、今回もまた、思いがけない女子高生ドラキュラで大いに楽しみました。余談ながら、白状しますと、私は従来映画のヒロインが何でもかんでも女子高生というのが気に入らなかった。「もっと大人の女を描け!」と、特に日本の男性監督たちに向かって叫んでいた。が、今春から孫娘が女子高生になるに及んで、考えが変わった。いや、女子高生って、隅に置けない。面白いのね。もう、年齢差別はやめます。ドラキュラでも、認めます。
余談ついでに、さきごろ大ヒットしたアメリカ映画「トワイライト~初恋~」も、相手の正体を知りながら美少年ドラキュラと愛し合い、一緒に月明かりの森の上を飛ぶ女子高生がヒロインであった。これも女性監督作品。こうした女性監督の登場で、異常路線の行きつくところまで行き着いた(?)感のある現在のホラー・サスペンスに、新たな地平が拓けるかもしれな
い。
写真は「ジェニファーズ・ボディ」
7月30日より全国ロードショー。
(C)2009 Twentieth Century Fox
カテゴリー:新作映画評・エッセイ