2010.09.02 Thu
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今回の特集では、『欲望のコード―マンガにみるセクシュアリティの男女差』(以下『欲望のコード』)の著者、堀あきこさんにお話をうかがい、この作品の魅力に迫ってみたいと思います。(聞き手:yuki・秦美香子、司会・構成:荒木菜穂)
荒木:
本作品で堀さんは、マンガにおける性表現を素材とし、暴力や、いわゆるロマンティック・ラブ・イデオロギーにおける「愛」を超えた、セクシュアリティの新たな可能性を見出されています。2章ではマンガの読み解き方についてのご紹介がなされていますが、マンガ研究に触れたことのない読者にとっても、わかりやすく、セクシュアリティについての世界への理解が深められる作品となっております。
堀さんが、本書『欲望のコード』をお書きになられたきっかけとはどのようなものであったのでしょうか?
堀:
ありがとうございます。もともと男性向けポルノ(マンガやゲーム)を見ることが多かったんですが、「そういえばヤオイを読んでる時の感覚とは違うな」と思ったことがきっかけでしょうか。何が「違う」のか書いてみたい、と思ったのがはじまりです。
この本は、修士論文として提出したものを加筆修正しています。ですので、先行研究を押さえることは必須で、この研究がこれまでの研究の中でどのような位置にあるのか、ということを述べる必要があったんです。そういったこともあって、具体的な分析部分に入る前段階にページを費やしています。「なかなか本題に入らない」と思われるのじゃないかと心配していたのですが、「わかりやすい」と言っていただけてとても嬉しいです。
yuki:
冒頭で女性のセクシャリティへのシクスーの言葉が紹介されていました。「女性の快楽は多様で中心を持たない」という言葉の特に「中心をもたない」というところに、開かれた可能性を感じました。
堀:
そうですね。快楽とか性的欲望の多様性について興味を持っているのですが、男性向けと比較した時に、女性向けはそれらの現れ方が多層的だと非常に強く感じました。マンガという1つのサブカルチャーの、さらにその中の「性的表現を含んだもの」という狭いジャンルの中でも、様々なセクシュアリティが見られるのがおもしろいな、と。
yuki:
女性が男性とセックスするとき、多くの場合、そこには妊娠や病気の問題がつきまといます。ですから、相手の男性との間には全くの信頼関係ゼロという状態は、大変困るわけでして、そこには何らかの関係性が担保として必要になってくるのではないでしょうか。こう考えると堀さんが、セックスに意味を与えることを避けるのではなく、物語性を認めることはとても納得がいきました。この『欲望のコード』で示される「関係性」もまた、そのような信頼と結びつくものなのでしょうか?
堀:
んーーーー、難しいですね。まず、マンガと現実の人間関係がどう繋がっているのか、という問題がありますよね?マンガに見られるセクシュアリティ観と現実の性関係はイコールではない、という前提に私は立っています。でも、可能性みたいなことぐらいは言えるかな、という感じで……。
妊娠を「問題」と捉えるかどうかはひとまず置いておくとして(これも重要な論点だと考えていますので)、信頼関係や安心感のあるセックスを望む女性もいれば、それよりもハンター性を叶えたい女性もいますよね?
私個人のセクシュアリティ観でいえば、「100人とセックスするより、1人と100回の方がいい」なんですけど、これが、「1人と90回で、あとは10人と」(笑)とか、「最高の1回のためなら、あとの99回はいらない」とか、かなりのグラデーションがあると思うんです。一生、生涯でなく「100回」っていうところがポイントなんですけど(笑)。
そのグラデーションが、これまでは恋愛とハンター性の対立みたいな枠で考えられる傾向があったと思うんです。純愛メインなのか、フェミニズムで“獣性”といわれていたような性的な欲望がメインなのか、みたいに。でも、性的表現を含む女性向けコミックでは、性的な欲望と恋愛が様々なバランスでミックスされていて、それを男性向けと比べると、「関係性」「物語性」の重視といえるのではないか、と考えたわけです。
yuki:
性表現に関してですが、「ヤオイ」や「TL(ティーンズラブ)」は書店であれほどの面積を占めながら、今までその存在は「見えない」ものとされてきました。しかし、TVでの特集や、一方では、たとえば堺市の図書館でのメディア規制という形で、その存在が認知されるようになってきました。この可視化の問題性と、また、今まで「見えない」とされてきたものが認知されることの可能性について、堀さんのご意見をきかせてください。
堀:
これもまた難しいのですけれど、可視化によって起こる問題としては、女性が性表現を楽しむことに対して、「欲求不満の女」と嘲笑の対象にされたり、「エロい女」と見られてしまうような問題でしょうか。性に関することの男女非対称性が社会にある以上、可視化によって女性に負のスティグマがつけられる危険性はあると思います。
けれどその一方で、今おっしゃったように、市場としても無視できない規模をBLなどが持つようになって、隠れることはもう無理だという状況がある。そこで出来ることは、一方的なイメージを押しつけられないような言説だと思うんです。やおいやBL研究がこれまでたくさん書かれてきたことにはこうした背景があるんじゃないでしょうか?それらの研究の中から新しいセクシュアリティ観が出てきている、これは可能性の一つだろうと感じています。
秦:
性表現とは、やはり「読む」作業というものあっての性表現だと思うのですが、作品内で紹介されている「ヤオイ」の図は、「俯瞰する〈視線〉」というものを登場させた点で、二次創作する読者の「読書」の革新的なあり方を示しているかもしれませんね。
堀:
これまでのマンガ論やBL論で言われてきたことに、「読者は誰に自己投影しているのか?」という問題がありますよね。でも、現実に読者がどう読んでいるかということは分からないわけです。けれど、マンガにはマンガ独自の表現方法があって、それは読者の「読み」を誘導する仕組みでもあるわけです。
そうした様々なマンガ独自の仕組みの他に、「商品」としての特徴もあって、たとえば、本書で行った雑誌表紙の比較などもそうなんですけど、男性向けは、ほとんどモデルが女性1人で、カメラ目線で読者を見つめる構造になっています。いわゆる「水着グラビア」を想像してもらえればいいんですけれど。
これに対してBLはほとんどカップルなんですね。で、そのカップルがカメラ目線で読者を見る、あるいはどちらか一人がカメラ目線で読者を見る、という構造になっています。男性向けの場合、単独のモデルが読者を見つめることで、「モデル?読者」が見つめ合う一対一の関係になっていると考えられるのですが、BLは読者がカップルの中(の物語)に入れない構造になっています。カップルの物語を読者が外から見る構造なんですね。
二次創作のやおいの場合、この「カップル」を見つめて楽しむ、本作にはない二人の関係、物語を想像して楽しむという読者の視線が特に大きいのではないかと思っています。そういう意味で、「受け」だけ「攻め」だけに同一化するのではない、第三者の視点、本書では「俯瞰する<視線>」といいましたが、カップルを離れた場所から見るような構造がヤオイにはあると思います。
二次創作やおい作品の表紙は、すでに「カップル」が受け手読み手の共通認識として持たれていることもあって、商業誌とは違った仕組みや意味合いがあるでしょうし、このあたりは再分析が必要だと思っていますが。
荒木:
現在でも、やはり性的なモノの扱いには、とりわけ男性による女性の支配、という文脈では批判の目を向けられやすい現実もあると思います。「ヤオイ」や「TL」などの、一部の性表現が「見えないもの」にされる一方で、性表現に関しても、インターネットの発達などでますます暴力的な激しいものが増えていますし、また、DVなど現実の性暴力の問題も深刻です。
秦:
大変難しい問題だと思うのですが、『愛ゆえのレイプ』について、『〈性的表現を含む女性向けコミック〉に描かれる「暴力」は、レイプが「性的快楽」や「過剰な愛情の発露」と読み解かれる〈仕組み〉によって、異なる位相にあるといえる』(p.199)と書かれています。『愛』を特権化することで『愛』を根拠とする暴力が正当化されることへの批判が、これまでになされてきていますが、『過剰な愛情の発露』としてのこのマンガ表現が、従来の『愛ゆえの暴力』とどのように異なるのか(=同じではないのか?)、と問われる可能性はないでしょうか?
堀:
マンガ表現として読み解くと、たとえばレイプシーンに見えるものでも、それが同意の上で行われていることが読者に分かる構成になっているものや、レディコミに多いのですが、女性キャラの性的快楽が描かれる一方、レイパーである男性キャラが女性に性的奉仕を行うものとして描かれているような作品もあります。どちらかといえば、悲惨で凄惨な暴力として“のみ”レイプが描かれることが少ないわけです。
読者がそれをフェミニズムで語られてきたような「愛ゆえの暴力」として読むのか、あるいはマンガを読む時のある種の<お約束>として機能する「過剰な愛情の発露」として読むのかは、その作品に組み込まれた<仕組み>によって誘導されるものでしょうし、その<仕組み>に注目することなしに批判することの方が危険だと私は考えます。
yuki:
権力構造へのとらわれだと思われていたことの読み替えとしては、女性にとって、女性の身体が、同一化かつ欲望の対象でもあるということも大変おもしろいですね。例えば、レディコミでは、女性のリアルな身体(乳房・乳首・性器)が描かれ、読者は、その女性キャラクターに同一化し快楽を共有すること。そして、その際、読者の視線は、セックスの相手方である男性には向かわず、女性に向かう点に特徴がありました。この現象の原因としても、女性が、深く男性の視点を内面化していることが今まで言われてきたわけですが、ヘテロセクシャリズムに依拠しない、女性対女性のエロスの関係を読み取ることはできないでしょうか。
堀:
あまり詳しくは触れませんでしたが、レディコミには女性同士の性関係が描かれることが他ジャンルに比べて多いです。そういった意味でも、女性が女性の身体を「快楽を共有するもの」として見ているといえると思います。
秦:
「〈性的表現を含む女性向けコミック〉」が「暴力」表現や、誰が何を「モノ」化しているかという点において「男性向けポルノ」コミックとは大きく異なる表現をしていることが指摘されていますが、とすれば、こうしたポルノ的表現は、今後もジェンダー化され続けるのでしょうか。
堀:
男性向け・女性向けというカテゴリーは存続するでしょうし、読者の要求を満たそうとする作品が生み出されるでしょうから、性表現のジェンダー化はなくならないだろうと思います。けれど、たとえば「ショタ」と呼ばれるジャンルでは、「感じる男の子」の描写がメインになっていたり、「お姉さんモノ」と呼ばれるジャンルでは性的主導権を女性(お姉さん)が握るというシチュエーションで人気を博したりしています。男性向けにも多様性があって―永山薫さんの研究に詳しいのですが―、女性読者と男性読者が重なる作品群も多く生まれてきているのが現状だと思います。女性同士の関係を描く「百合モノ」は雑誌を見ると女性向けかなーと思うんですが、男性読者も多いそうですし。
荒木:
本作品のサブタイトルにもある「男女差」という言葉もまた、私たちが持つ「男女差」のイメージを心地よく裏切ってくれる奥が深いものであると感じました。
堀:
そうですね。たぶん、ジェンダースタディーズという視点では、「男女差」ではなく、「ジェンダー」を使う方がよいと思われるでしょうね。実際、そのようなご指摘も頂いています。でも、私の実感として「ジェンダー」という言葉は、あまりにいろんな意味を含んでいて、受け取る側に分かりにくい面があると思うんです。一方の「男女」という言葉は、今、使われない傾向にありますよね?生物学的性差と誤解を招きやすいし、ジェンダーという言葉との複雑な関係もあるし。
でもマンガというメディアは、多少内情は違っていても、表向きは「男女差」がある。はっきり「少年●●」「少女●●」と誌名に使うわけです。そして描かれるものにも「男女差」があり、それは作者と読者が“主体的”に選んでいるものなんですね。その男女差を「ジェンダー」と呼ぶこと、それは私のスタンスではない、と考えました。本書でもこのことを「メディア分析とジェンダー視点」として取り上げていますので、「男女差」という表現に違和感を持たれた方に特に読んでいただきたいな、と思います。
yuki:
男性向けの性的なコミックでは、描かれる女性キャラクターと読者である男性との、一対一の関係が重要なため、男性キャラクターの透明化・不在化の工夫がなされていることに特徴がありました。しかし、今のお話にあったショタものなどで、快楽を受ける男性キャラクターが描かれているそうで、このような変化は、従来のジェンダーを変えるという意味でも、大変おもしろい現象だと思います。
荒木:
ジェンダー、セクシュアリティ、性表現、マンガなど、さまざまな関心を持つ読者が、それぞれの関心に引き寄せながら、深く読むことができる作品ですね。
堀:
ありがとうございます。書店によってマンガ研究の棚にあったり、社会学の棚にあったり、ジェンダーの棚にあったり、とバラバラみたいでとても喜んでいます。ジェンダーには興味があるけどマンガに興味のない人や、児童ポルノが問題になっていますが、性表現に関心を持たれはじめた方にもぜひご覧になっていただければと思います。
荒木:
興味深いトピックがいくつも登場し、楽しいインタビューとなりました。「え?これどういうこと?」と少しでも心にひっかかられた方は、ぜひ本作品をお手にとっていただけたらと思います。今日はありがとうございました。
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