NPO法人WAN 女性学講座

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『新編 日本のフェミニズム』全12巻完結記念公開シンポジウム (5) わたしが受け取ったコト 岡野八代

2011.03.21 Mon

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.岩波書店の十時さんからの開会の挨拶が終わると、すぐに第一部、編者を代表して井上輝子さんからお話があった。井上さんは、80年代以降、たしかに理論は精緻化され、女性学(井上さんによる女性学の定義は、「女性の女性による学問」だ)として出発した当時よりも、議論はより広範になったが、問題は当時と同じように山積していて、若い世代にぜひ、たゆまぬ努力をしてほしいと語られた。また、上野さんは、周到な準備をしてくれていて、旧版と新編の「編集にあたって」、『女性学辞典』の「序」、『フェミニズム・コレクション』の「はじめに」、そして、『資料 日本ウーマン・リブ史』、「日本婦人問題資料集成」の目次を配布してくれた。まずなによりも、アンソロジーの政治性、定義をめぐる政治、について、わたしたちの注意を喚起してくれたのだ。

上野さんの話の間、わたしは次に自分が「若い世代」ということで、登壇して話をしなければならないことと、盛りだくさんの企画ゆえ、与えられた時間内でしっかりと話せるかどうか、といった緊張のなかで、『リブ史』の「はじめに」で述べられている、溝口明代さんの言葉から目が離せなかった。

ここに集めたのは、一九六〇年代に始まった、さまざまな、世界的な「異議申し立て」を引き受け、一九七〇年代という激しい、変革の時に、歴史の大変動を生きた女たちの「自己記録」である。

四〇代として、『日本のフェミニズム』から何を受け取ったのか、を語らなければならないわたしは、この言葉をみた瞬間、準備していた語りだしをすっかり忘れ、八〇年代終わりに学部学生時代を過ごした自分自身と世界との関わりとは、いったいなんだったのだろう、と自問し始めてしまった。

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六〇年代の「異議申し立て」の時代、戦後生まれの若者たちが、戦後民主主義的啓蒙の胡散臭さに対して、さまざまな領域から反乱を起こした。七〇年代は、そこに、より先鋭的な形で女性たちのジェンダー規範との闘いが加わる。そして、八〇年代、なにかがすっかり終わったような静かな大学で、八九年に、積極的な理由もなく、西洋政治思想史を専門ゼミに選んだわたしは、他方で、東西ドイツの壁が崩れ、冷戦の終焉、そのことに端を発する民族紛争など、確かに激動の時代を生きていたはずだ。日本では、学術書であるはずのフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』やアラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』がビジネス書のように売れ、また、理論的には、主権国家の正統性に対する疑いが始まる頃でもあった。そして、日本の戦後民主主義を根底から問い直す、そして、日本のフェミニズムにも大きな反省を迫った、日本軍「慰安婦」問題が社会問題化される契機となった、金学順さんのカムアウトが、九一年だ。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.世界は確かに、九〇年代を境に大きく変わった。溝口さんの言葉に、なぜわたしが動揺したかというと、八九年を境にわたしが経験していたと今振り返ってみて思うのは、ある意味での思想の終わりであったからだ。上野さんはかつて、『家父長制と資本制』において思想と理論を区別していたが、思想に対して、つまり、現在とは異なる存在の様式を示す、一種のユートピア的な社会構想に対して、あのときはっきりとノーを突き付けられていたのだと思う。フクヤマが自由主義の勝利を讃える一方で、日本ではしかし、バブルがはじけ、それまで、そこそこ人気を誇っていた西洋政治思想史ゼミの志願者は、九〇年を境にガタっと減ったと聞いている。大学生とはいえ、夢を見たりしないで、現実的・実践的学問に目を向けろ、というプレッシャーがじわじわと浸透し始めていた。自由主義=資本主義は、大きな夢物語に嘲笑を浴びせ、商品の多様性を称揚しながらも、利己的な自己という画一主義を席巻させることになったのだと思う。

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そんなわたしが、フェミニズムに出会うのは、その当時の学生時代ではなく、九三年から留学していたカナダである。わたしの修士論文までのテーマであったハンナ・アーレントは、日本の男性研究者にとっては、アンチ・フェミニストとして有名であり、わたしもそうしたアーレント解釈に染まりきっていた。ただ、アーレントを研究テーマとして選んだのは、四年間の学部学生時代、シモーヌ・ヴェイユかアーレントくらいしか、テクストのなかに女性が登場しなかったからだ。実際に講義中に学んだ唯一の女性が、アーレントであった。恐ろしいことに、そうした「伝統」が今でもなお続いているのが、大学教育における西洋政治思想史である(余談だが、この「伝統」に対抗するために、伝統を教えているだけで、講義が終わってしまうという皮肉をわたしは、何度も味わい、反省しながら女性の思想家や活動家を探り、でも、やはり批判するためには「伝統」をまず知らなければといった、ディレンマとの格闘を日々強いられている)。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.カナダ留学のあいだ、アーレント研究者の指導の下で読んだアーレントに関する本はすべて、といってよいほどにフェミニスト研究者によるものだった。八〇年代から九〇年代にかけて登場した、多くの北米のフェミニスト政治思想研究者たちは、現在では日本の政治理論・思想の領域でも、多くの人が参照するようにまでなった、重要な知見をわたしたちに与えてくれている女性たちだった。政治思想の分野で、当時もっとも活躍していた多くのフェミニストたちが、なぜアーレントに惹かれるのか、そのことを考えながら、わたしはフェミニスト思想やフェミニスト哲学のもつ、変革の思想の魅力、夢見ることの大切さ(cf. ドゥルシラ・コーネル)に目を見開かされていった。

カナダでの政治思想史のゼミは、男性と女性の教員が、それぞれに異なるアプローチから、政治思想史のカノンに挑戦し、わたしたちに質問を浴びせる形式だった。女性の教員は、当然のようにフェミニスト的アプローチをする。カナダでの留学からの帰国を目前に、ふと、〈これで日本に帰ったら、わたしはどこでフェミニストに出会えるのだろう??〉という不安にかられた。日本で政治思想史を続ける限り、もしかしたら、少なくとも当分、フェミニストには出会えないだろう、と。

今となって正直な告白をすると、わたしの最初の公刊論文である、「アレントとフェミニズム――「闘争の場」としての政治」『思想』872号(一九九七年)は、〈わたしはこのまま、「伝統」(おじさんの世界とルビ)とつきあっていくのだろうか〉という不安にかきたてられる中で書いた拙稿なのだ(動機が、学術的に不純ですみません)。溝口さんの言葉と、なんと自分はかけ離れていることか。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.とはいえ、「フェミニズム」とタイトルに入れたおかげで(?)、政治思想の分野でフェミニストが珍しかった当時――もちろん、わたしのバイブルは、水田珠枝さんの数々の著作であることは言うまでもないが――は、多くの他領域のフェミニストの先輩たちと知り合うことができ、様々なコトを学ばせていただいた。

そして、今ようやく、七〇年代の変革の時代を生きた女性たちから、八〇年代を経て――独りよがりであることは、承知の上でなお――引き継いだのだと思えるものは、女性の身体性や、家事労働や、再生産を中心に、いかに政治を変革していくか、という大きな課題である。この課題は、九〇年代以降、リベラリズムがわたしたちの日常をも規定するイデオロギーとして威力を発揮し、新たな社会構想を封じ込めてしまっている現在のほうが、より緊急のテーマであるにもかかわらず、より解答の見いだしにくい課題である。

わたしにとって、『新編 日本のフェミニズム 第二巻』の江原さんの次の言葉が、七〇年代の女性たちの声とともに、しっかりと受け止めたいコトを伝えてくれている。

誤解を恐れずに言うとすれば、二一世紀初頭の今日、フェミニズム理論は、明確な方向性を見いだしにくい「停滞」の状態にあるように思う。以下においてはこのような状況に対する分析を行うとともに、二一世紀のフェミニズム理論の再構築に向けて何らかのひとつの方向性をも提示できればと思う(20)。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.わたしにとってフェミニズム理論の再構築のカギは、九〇年代に勝利したかに見えるリベラリズムと、どう対峙するかにある。








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タグ:フェミニズム / 岡野八代 / 上野千鶴子