2012.02.23 Thu
来る3月10日、同志社大学にて、かつて国民基金の設立と運営に関わった和田春樹さん、国際法の立場から、国連にて「慰安婦」問題の解決に向けた運動を続けてこられた戸塚悦朗さんほか、「関釜裁判を支援する会」の花房恵美子さん、『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・竹島』の著者朴裕河さん、東アジアにおける軍事化によってもたらされる「痛み」の問題について考察を続けている鄭柚鎮さん、『フェミニズムの政治学――ケアの倫理をグローバル社会へ』においてケアの倫理から、「慰安婦」問題の解決の道を考察した岡野八代が、パネリストとして報告します。
昨年2011年は、金学順(キム・ハクスン)さんの勇気ある告発から20年、そして1991年から始まった、韓国ソウルにある日本大使館前の水曜日デモが1,000回を迎えた年でした。当初、「慰安所」の設置に軍が関与していたことを否認していた日本政府も、吉見義明さんらの公式文書の発掘を始めとした研究によって、南京大虐殺以降、政府が軍の士気と軍人たちの健康管理のために、軍専用「慰安所」を設立していたことを認めるようになりました。
しかし、日本政府の公式見解は、相変わらず、サンフランシスコ講和条約や日韓平和条約によって、法的な補償についてはすべて解決済み、という立場です。すでに日本でも報道されたように、韓国では、平和条約によって個人補償までもが放棄されたという立場を認めておらず、したがって、「慰安婦」問題の解決に向けた政治的努力をしないことは、政治的不作為という憲法違反であるとの判断が下されたばかりです。
戦後50周年を迎えた1995年に日本政府は、法的には問題は解決しているけれども、「慰安婦」にされた女性たち、そして被害国や日本国内での二度と同じ過ちを犯さないための国家的な取り組みを求める声に「道徳的には」応えようと、アジア女性国民基金を設立しました。
アジア女性国民基金は、市民からの募金と政府による社会福祉事業への助成によって運営されましたが、基本的なスタンスとしては、「法的には解決済み」という政府の公式見解を共有していました。そして、「慰安婦」にされた女性たちの訴えの多くに含まれていた「正義」への訴えは、日本社会では実現不可能ではないかとして、むしろ「見舞金」によって問題の解消を図ろうとしました。
2000年12月には、「女性国際戦犯法廷」がVAWW-NETジャパン、韓国の挺身隊問題協議会といったNGO、そして国際的な市民たちの連帯の結果、東京での開催が実現しました。そこには、日本政府の関係者たちも参考人として呼ばれましたが、誰ひとりとして法廷には姿を現しませんでした。また、この民間法廷の判決内容は、日本ではほとんど報道されることなく見過ごされました。しかしながら、日本以外の世界において、この画期的な市民たちの試みは高く評価を受け、「正義」を訴える市民の精神は、国際法の考え方そのものを変えるほどのインパクトをもたらしました。
その後の10年間は、国連人権委員会からの勧告や、合衆国やEU、韓国ほか世界各国からの「慰安婦」問題解決に向けた決議案が議会で可決され、女性に対する戦時性暴力に対する国際的な関心の高まりとともに、国際的な注目を浴び、研究も進みました。しかしながら、残念なことに日本社会では、「慰安婦」問題など存在しなかったかのような見解が公にされたり、市民たちの運動を暴論で妨害したりするような動きが目立ち始めました。
はっきりしているのは、この問題に日本社会がしっかりと向き合い、今なにをわたしたちがするべきなのか、未来に向けて何を約束するのかを国際的に政治的に明言しないかぎり、未来永劫この問題を残し続けるということです。つまり、これは「現在の」わたしたちの問題です。
昨年12月14日第1000回目の水曜日デモの様子は、こちらからどうぞ。