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東北被災地支援イベント「KOREKARA JAPON」~しなやかに輝く女性たち―スペイン-エッセイ第1回 中村設子   

2013.05.07 Tue

  バルセロナは地中海に面した、スペイン第二の都市である。温暖な気候で、一年を通して過ごしやすく、陽射しは明るい。開放的な雰囲気のなかで、海の幸をふんだんに使った美味しい料理も手軽に味わえることもあり、世界中からひとが押し寄せる。近年、特に北欧やロシアからの観光客が目立つようになった。

 街中には、「サグラダ・ファミリア」の建築で知られるアントニ・ガウディの作品をはじめ、ピカソやミロの野外彫刻が点在する。ローマ時代の遺跡から現代アートまで、多彩な博物館や美術館が揃い、1週間かけて観て回ったとしても時間が足りないほど見所にあふれている。

 20世紀の巨匠といわれるガウディやミロは、いずれもバルセロナで教育を受け、活躍の場としてきた。マラガ生まれのピカソが初の個展を開いたのもこの街だ。優れた様式美と技術を目の当たりにした彼らは、そこから創造のエネルギーを得たともいわれている。

 こうした芸術文化を育む環境に魅かれ、建築、美術、工芸などを学ぶためにやってくるひとたちも多い。もちろん、モノ創りだけではなく、クラッシックをはじめとする音楽家も創作意欲を刺激される街である。芸術家として生計を立て生きていくためには、並大抵な覚悟と力量が必要なことは、何もバルセロナに限ったことではない。だが、収入を得るために他の仕事に就いているとしても、芸術活動を続けようとするその〝生き方″に一目置き、人生にとって芸術は無くてはならないものと認識する層は、日本とは比較にならないほど厚い。

 つい前置きが長くなってしまったが、外国で暮らすことで、かえって日本への想いが強くなるのは、多くのひとが経験するのではないだろうか。日本の良さを再認識するのはもちろんのこと、日本人である自分が世界のなかでどのように生きていくべきなのかを、自然と真剣に考えるようになる。

 そんな日本への想いをひとつのカタチにしたイベント「KOREKARA JAPON~これからの日本のために~」が2013年3月6日から4月5日までの1カ月、バルセロナ市内で開催された。「東日本被災地」を支援する目的で、バルセロナ在住のアーティスト約80名が参加した。画家、造形作家、建築家、工芸作家、写真家、書家、インテリアデザイナー、音楽家、シンガー、華道家、茶道家など、それぞれの分野で培った能力とセンスで貢献したいと願うひとたちだ。

 会場となったギャラリー「mitte」は新市街に位置し、アートスペースでありながら、カフェ&レストランとしても営業している。そのため、今回のイベントを観るのが目的ではない地元のひとたちも、ここを訪れることによって、日本人作家の世界にふれる機会にもなっていた。

会場となったギャラリー「mitte」

会場となったギャラリー「mitte」

 期間中は常時、日本人アーティストの作品が展示されたほか、週末にはコンサートやライヴ、各種ワークショップ、茶会なども催され賑わった。オープニングからはじまって、日本食レストランのカフェやケータリングなども含めると、アクティビティの数は20にも及んだ。ビールやワインのグラスを片手に、居あわせたひとどうしが互いに自己紹介し合い、楽しい出逢いの場となっている光景があちこちで見うけられた。

「僕がこの街で、〝すごいなあ~″と思うのは、みんな女性ばかりですね」と断言するのは、この企画を立ち上げた角田寛さんだ。バルセロナを拠点に、北欧などでもビジネスを展開する空間デザイナーである。彼がプロジェクトを推進するにあたって、パートナーとして選んだのが西井香織さんだ。

西井香織さん(中央)とギャラリーのオーナーであるアレハンドラ(左)

西井香織さん(中央)と
ギャラリーのオーナーであるアレハンドラ(左)

 Webデザイナーであり、e-マーケティングプランナーでもある。大勢のアーティストの予定を調整しながら、これだけのアクティビティを実現させていくには、相当な能力と行動力がいるが、彼女は持ち前のバイタリティで乗り切った。かつて9年間、日本にある外資系企業でアカウントプランナーとして働いていたキャリアの持ち主だ。英語も堪能な彼女は、退職後に南米やヨーロッパを旅行し、最も気にいったというバルセロナ暮らすようになって4年になる。

 日本とアメリカの両国で学校教育を受け、ビジネス社会を知る彼女が、この街を選んだ理由が気になった。

「アメリカでは、ビジネスライクが尊重される。つまり能率的で、契約社会。そのせいか、比較的白黒はっきりしている印象がありますね。でもバルセロナではグレーゾーン()があり、お互いがリスペクトし合っているところが好きですね。それと個性をむき出し()にできる街でもあるところも…」

 「グレーゾーン」…この言葉が示す意味合いは深い。何事も滞りなく事が運ぶのを良しとする日本と違い、スペインではこちらに正当な理由があるのにかかわらず、思い通りにならないことが日常茶飯事である。物事を曖昧なままで放置し、成り行き任せな「いい加減さ」が当たり前のように存在する。

 「いい加減」=良くないこと、と決めつけてしまえばそれまでなのだが、考え方によっては、あえて物事の良し悪しをはっきりとさせず、白にも黒にもなりえる中間を受け入れている、という見方もできる。確かにこの「いい加減さ」によって、こちらが依頼した事柄がなかなか進んでいかないことに、私もかつては苛立つことがずいぶんあった。

 だが冷静になって、そうした出来事を俯瞰して見てみると、「生身の人間だから、しかたがない…」とも思えるのだ。なぜなら、ひとにはその時々に、個人的な事情がある。突然、体調や気分の変化が起こることもある。家族を大切にするスペイン人にとっては、何か約束があったとしても、身内の事情を最優先にするのはあたり前のことなのだ。

 ときには、そうした事情を言い訳に使って、ずる賢く責任逃れをするスペイン人もいるが、それを許し認めようとするところが、香織さんのいう「リスペクトする」ということにもつながる。つまり相手の事情や、場合によってはトラブルの要因となった、その時の感情を尊重することだ。

 もうかなり前だが、ある時ふと私は、スペイン人の「いい加減さ」によって、自分の気持ちが楽になるときが結構あること気づいた。深刻な事態の時は、そんな暢気なことはいっていられないが、元来おおざっぱな人間である私は、細部にまでことごとく完璧さを要求されるとからだが緊張し、かえってミスばかりしてしまう。その結果、ひどく疲れてしまい、時には息苦しさまで覚えてしまうのだ。

 香織さんが語った「個性をむき出し()にできる」というのも、すぐに理解できた。自分の事情や感情をあらわに相手にぶつけても、さほど嫌がられない社会であり、逆に相手に対して何もいわず、自己主張をしなければ、「得体の知れない人物」と誤解されかねない。これも一般的な日本人の考え方とは大きく異なる点だ。

筆者と在バルセロナ25年になる画家の杉原功一さん

筆者と在バルセロナ25年になる画家の杉原功一さん

 私自身、今回のイベントにライフワークとして続けている書道の作品を提供した。さらに「一筆描き」のワークショップも提案し、バルセロナ在住のアーティストと同じように参加させてもらった。日本に住む私がそうできたのも、長年、バルセロナで祭りや市民の文化活動などを調査し、日本とバルセロナを行き来してきたことを、プロジェクトの責任者である寛さんと香織さんが認めてくれたからである。

 こうした風通しの良さは、香織さんの語った「グレーゾーン」の話とも通じるところがある。個々の事情に聴き耳を立て、自分の考えを躊躇なく語り合い、そのうえで、互いにとって最も良い状況へと持って行く…。双方の意志と目的が一致すれば臨機応変に対応しようとする姿勢だ。

スペイン人に作品の説明をする杉田美保子さん(左)

スペイン人に作品の説明をする杉田美保子さん(左)

作品の展示準備や後片付けも含めて、私は何度も会場に足を運んだ。その間、あまりにもスペイン語が流暢で(アーティストのみなさんは揃って堪能だが)、人間味と温かさがあふれる話ぶりが際立っていた女性がいた。杉田美保子さんである。

 彼女は手作りの折り紙の作品を提供し、ワークショップも開いていた。折り紙で鶴や兜などを作ることは、日本人にとっては手慣れた作業だ。だがスペイン人にとっては、かなり難しい。四苦八苦している彼らに、彼女のアドバイスは実に的確で親切だった。

 よく話を聞いてみると、大学卒業後にバルセロナに移住した美保子さんは、日本よりスペインに住んでいる年月の方がすでに長い。バルセロナのラジオ番組にもレギュラー出演している、話術のプロフェショナルであることがわかった。翻訳やデザイン力にも秀で、出版関係の仕事もしてきた多才な女性だ。

 豊富なキャリアとともに、スペイン社会でさまざまな人生経験を積んでいるだけに、参加アーティストの作品のコンセプトや素晴らしさを上手く説明していた。その話を聴いていたスペイン人たちがどんどん表情が豊かになっていくのが、私はそばで見ていてよくわかった。彼らはきっとアートの世界だけではなく、日本人の資質や仕事のやり方にまで興味を持つようになっていったに違いない。

 そんな美保子さんは、ボランティアとして週に1回、病院に入院中の子どもたちを訪ね、病室で折り紙を教えている。「以前は、決められた時間内に、できるだけ多くの子どもたちの病室をまわろうという目標を掲げて、必死でこなしてきたけれど、今は、ひとりひとりの子どもと、じっくりと時間をかけて向き合うようにしているのよ」と語っていたことが印象深い。時には、病気の子どもを持つ親の相談相手にもなりながら、彼女はこの活動にやりがいをもっているのが感じられた。私は幸いなことに、彼女の親友であるピラールにも会うことができた。彼女は、美保子さんが借りているピソ(アパート)の大家さんでもある。

 このイベントが終了した翌日、美保子さんがピラールの家にいるというので、私も訪ねることになった。突然、しかも午後10時過ぎに現れた見知らぬ日本人に、彼女は防腐剤の入っていない、量り売りの地ワインをすすめ、生ハムやピザなどをテーブルにいっぱいに並べてもてなしてくれた。

 私は夕食を済ませたばかりだというのに、出されたご馳走を食べ続け、さらに大好物の「パンコントマテ」(熟したトマトとニンニクをパンに塗り、オリーブオイルをかけたカタルーニャ名物)が登場したときには、またすぐ手が伸びた。

 互いの仕事や子育て、さらに日本人とスペイン人の習慣の違いなどついて、3時間近くもいろいろな話題で盛り上がったのだが、

 「家族同様なのよ、美保子とは…」とピラールが語ったとき、私は〝なるほど″とばかりにうなずいた。凛々しいなかに思いやりを秘めた美保子さんの背後には、ピラールのようにいつも受け入れ支えてくれる友人がいるからだと思ったのだ。彼女に限らず、スペイン人社会で長く暮らしていけるひとたちには、やはりこうした親密で頼れる人間関係に恵まれている場合が多い。

 なぜ日本では、このような人間関係を築くのが難しいのだろう…という私の問いかけに、美保子さんは即座に答えた。

「日本では、みんな忙しいからね…」

 そのとき、日本での私は「忙しいのだから」という言い訳を誇らしげに掲げ、友人と語り合い、大切なひとたちと過ごす時間まで、しかたなく…というよりも、むしろ当然のように削ってしまっていると感じた。

 今回、そもそも私はこのイベントのコンセプトに共感して参加した。当初、東日本の被災地を支援するという目的意識ばかりに気を取られていたが、現地のひとたちと語り、飲み、食べ、密度の濃い時間を過ごすことで、何人もの女性たちと旧友のような関係を育むことができた。

 どういう状況にいようとも、生きる喜びを全身に漂わせながら、たくましく暮らしている彼女たちは、ピラールのように心を開いて()生きている人間だと感じている。「心を開く」ということは、自分自身が他者から深くしかも無条件に受け入れられた経験がなければできない。信頼関係を築くためにはなくてはならない資質であるともいえる。同じ日本人だから…というのは関係ない。育った文化や価値観が異なり、たとえ人種や民族が違っても、通じるものは通じる。心が通わないひととはそれまでだ。

 現在、経済の低迷が大きな社会問題となっているこのスペイン社会で、どのように自分を活かし、ひとと関わっていくのか。厳しい現実だからこそ、かえって自分の真価が問われる。ぼんやりと、ただこの世界で生きているのではなく、どこの場所で生きていようともやるべきことはやる彼女たちの強い意志を感じることで、私は自分自身が励まされた。

 これからも諦めないで自分の生き方を追求していくのだと私は心に決め、出逢うべきひとたちに出逢えた喜びという、思いがけないプレゼントまで手にしたような気がしている。

*     開催期間中、このイベントに関わったひとたちは3000人を超え、支援金の総額は3,566.5ユーロとなった。支援金の送り先は以下の3つのNPO団体である。

 ・ふんばろう東日本プロジェクト(http://fumbaro.org

 ・3a! 郡山 (http://aaa3a.daa.jp/index.html

 ・はなそう基金(http://www.lets-talk.or.jp

カテゴリー:スペインエッセイ

タグ:東日本大震災 / スペイン / 中村設子

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