2009.05.27 Wed
O: このたび、ウィメンズ・アクション・ネットワークで、ネット本屋を開店します。Amazon.co.jpにアフィリエイトしながらですので、映画DVDや音楽CDも商品の一つとして扱うのですが、あくまでブックストアとして、新しい展開をしようと思います。
「なぜ、今、本屋か?」ということを、店長・店員で考えたいですね。まず、わたくし店長から、本への想いを。
わたしが新しい世界に入っていけるわくわく感をもって読書していた頃って、高校生時代(80年代半ば)です。読書は、密やかな楽しみだったし、自分では体験しないものへの好奇心、それとまだ未知の世界への憧れみたいのがありました。こうした公表しちゃうのは、ちょっと恥ずかしいですが、高校生の頃わくわくしながら読んだ、マイ青春本って、橋本治『桃尻娘』シリーズです。いやぁ、進学先までかなり影響されちゃいました(笑)。H: Oさんは、主人公の玲奈ちゃんとおんなじ(笑)早稲田なんですよね?
O: はい。玲奈ちゃんと同じ文学部にいきたかったのですが、今とは違った意味で女子学生の就職が厳しく、「手に職をつけろ」って親に反対されたので、文学部ではないですが。とはいえ、結局手に職ってわけにはいかなかったけど。
でも、(そんな『桃尻娘』シリーズは)すでに品切れで、古本でしか手に入らなくなっています。品切れときくと、わたしの青春も期限切れ、みたいでさびしいです。自分が読んできた本って、なんだかアルバムみたいですね。
H: 「どうしてこの本が品切れ?」っていうことが、ホントにたくさんありますよね。この問題については、ぜひ、B-WANで熱く語ってみたいと思っています。
O: そうですね。どうしても古い本を扱うことになりますが、本を通じて、本に対する想いを語り合うことで人とつながることは、B-WANがめざすところかもしれません。
たとえば、『桃尻娘』でいうとわたしは、主人公の桃尻娘に惹かれたというより、桃尻シリーズの一つ『無花果(いちぢく)少年と瓜売小僧]』 のように、男性先輩に憧れて悶える高校生がでてきたり、なんだか、自分の周りにはいないだろう、でもいるかもしれない、複雑で、ときどきぶっ飛んでいる高校生・大学生が描かれていたから夢中になりました。大学時代まで、セクシュアリティほか若者の悩み・人生相談は、かなり橋本治頼りでした。
ゲイ・レズビアンなんてまだそんな言葉が聞きなれない80年代に、彼は、ホモ・セクシュアルとヘテロ・セクシュアルって呼び方にもたしか異論を唱えたりしていたんですよ。ヘテロってちがう、世界は男女からなるモノ・セクシュアルじゃないか!って怒っていた。いやぁ、かなり目から鱗でした。
H: 橋本治は『恋愛論』でも先駆けた指摘をしてますよね。
O: 橋本治で記憶に残る作品は、『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』です。これももう古本でしか読めないです(涙)。大学紛争後いったいなにをしたらいいの、って人びとのことが描かれていたので、自分と同時代の本ではなかったけど、それ以上にさらに遅れてきた世代の自分は、じゃあ、さらになにをしたらいいのだろう?と、なにかわたしの世代をも代弁してくれている感じがしました。わたしの経験しなかった世界と分からない想いに出会って、切なくなる、ちょっと変わった探偵本でした。
坂口安吾の『不連続殺人事件』も、奇抜なタイトルですが、こんなに奇抜で説明的なタイトルっていいの?とタイトルだけみても、橋本治やるなーと今でも思います。探偵小説好きの人からみると、中井英夫の『虚無への供物』へのオマージュにもなっていました。
橋本と並んで夢中になったのが、これまたちょっと恥ずかしいのですが澁澤龍彦です。『世界悪女物語』とか、西洋の奇人変人大集合!みたいなのりで読んでいたのかな。『エロティシズム』とか、『秘密結社の手帖』とか。非日常そのものですから、知らないことばかりで、かなり夢中になりました。
澁澤には、美しい女性がモデルの絵画も随分と紹介してもらったように思います。胸が小さく、お尻の大きいクラナッハとか。澁澤つながりで、三島由紀夫『音楽』 『美しい星』とか、マゾッホの訳者・種村季弘『山師カリオストロの大冒険』に出会って、高校生のときに、マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』なんかはちょっと罪悪感もちながら、ひっそり読みました。まだ、少女でしたわたしも。『美しい星』なんて、三島由紀夫文学の中では、専門家から見れば駄作かもしれないのだけど、わたしは大好きでした。オトメチックです。
澁澤龍彦が亡くなった時のショックは今でも覚えていますが、ちょうど大学2年生で、その後鎌倉までお墓参りにいって、自宅まで覗いてしまいました。これは、ちょっと悪趣味でしたね。
H: あら!でも、それはちょっと羨ましい(笑)
O: あ、ちょっと細かすぎですね、でも、思い出のなかの本って、筋はぼんやりしているけど、当時のことを思い出して、いろいろな本に出会ってきたなぁと。B-WANが、自分がかつて出会い損ねた本にまた会える場になるといいなぁと思っています。
A: 本との出会いはどんな風だったのですか?
O: 高校時代は、田舎にいて、だから、今と違って手に入る本の種類は限られていました。大型本屋なんてなかったし、ネット購入なんて・・・SF?の世界でした。でも、せっせとどこかで知識を手に入れ、芋づる式に本を入手していた。
どうしてたんだろう?たまたまであったのかな?
でも、わたしの場合は、あまり読書について、人と話さなかったな。読書は密やかな楽しみだと思っていました。それでも、『桃尻娘』は随分と友達にも勧めましたが、あまり共感を得られなかった。でも、桃尻好きになってくれた友達とは、普段ぜんっぜん話さなくても、何か通じているように思えた。交換日記をしているみたいな。
本は自分の密やかな大切な部分に触れてくれて、かつ、本を読むことによって、その大切な部分がどんどんと肥大化していく感じかな。何かの拍子に、友達とそんな本について語り合えれば、きっととても親密になっていたはず。
B-WANも、遠くにいる顔も知らない人たちと、自分のお気に入りの本を読み合うことで、言葉を綴らない交換日記、みたいになればいいな。その意味で、読者からの「もうイチオシ」コーナーをはやく整備しましょうね……、、未熟な店長なのでなかなか追いつきませんが、おいおい準備していきます。
H: さっきの読書が密やかな楽しみだというOさんのお話、私も同意です。奇遇にも私の青春バイブルも『桃尻娘』でして(笑)
A: そういえば私の先生も『桃尻娘』を、ジェンダー論的に(!)推してましたよ。すごい人気(笑)
H: ねー。それなのに重版未定とか、信じられない(怒)!
私は、『桃尻娘』で生き方が決まったと言っても過言ではないです。それぐらいインパクトがあった。あとは、林真理子の『ルンルンを買っておうちに帰ろう』 ですね。年がバレますが。女の人が仕事をして生きていくってこういうことなのかー、と子どもながらに思いました。
この本は装丁がとても可愛くて、天、地、小口が鮮やかなピンク色だったんですよ。紙質もざら半紙のように分厚くってザラザラした手触りで……。表紙のイラストやフォントも好きだったので、かなり長い間大切に持ってました。今、手元にないのが残念なんですが。
あぁ、そういえば『桃尻娘』は、表紙が『黄色い本』や『絶対安全剃刀』『るきさん』の高野文子なんです。その意味でも宝物。今も大切にしているんですが、重版未定だなんて、本当に寂しいですよね。あと、村上春樹の『風の歌を聴け』は佐々木マキの絵で買ったし。こうして並べてみると、私の場合、本を買うのに装丁やイラストもポイントになってるみたいですね。
O: 「装丁で買った本」なんて特集も楽しそうじゃない?
H: あっ、それいい!やりたいです。
『桃尻娘』や『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を、私はOさんのように、ともだちに勧めることすらせず、密やかに読んでました。いや、勧めたこともあったかもしれないけれど、あまり反応がなかったのかな。ただ、私の場合、妹が共感してくれたんです。これが大きかった。
というのも、私も町に大きめの本屋さんが1軒しかないようなところで思春期を過ごしたんです。だから自分がどうしても欲しい本は取り寄せるしかなかったんですよ。本屋さんに並んでいるものを買うこともありましたが、その頃、本を選ぶ時の参考にしていたのが『本の雑誌』と『宝島』と『ビックリハウス』だったんで、サブカル系というか、ちょっとマイナーな、まあ、恥ずかしいんですが……バロウズの『裸のランチ』とか、ギンズバーグとの『麻薬書簡』、バタイユの『眼球譚』『マダム・エドワルダ』や、富士見ロマン文庫の『O嬢の物語』や『ソドム百二十日』なんかは表紙の金子國義目当てで買って、ドキドキしながら読んでました。夢野久作の『ドグラ・マグラ』も米倉斉加年の絵が素敵でした。あっ、また表紙目当てで……。
O: 「装丁」特集するしかない(笑)
H: ふふふ(笑)企画、がんばりますね。
で、富士見ロマン文庫はともかく(笑)、こういうマイナー系のものは取り寄せていたんです。中井英夫の『とらんぷ譚』も田舎では取り寄せでしたし、森茉莉の『贅沢貧乏』も取り寄せたような記憶が……。取り寄せなので、私だけのお小遣いだけでは無理があって、妹を巻き込んで一緒に探したり買ったりしていたんです。
マンガも同じような感じで、幼い頃は『りぼん』と『なかよし』を分担して買っていて、ちょっと大きくなって『チャンピオン』と『ジャンプ』で、80年代は『LaLa』と『ガロ』、みたいな感じでした。その頃、「もう一人姉妹がいたら、もっとマンガも本も読めるのに」と思ってたんですよ。
金銭的なことはともかく、本に関する情報がとにかく欲しかった。飢えてる、といってもいいような状態でしたね。レコードに関しても一緒。本屋さんで『レコードコレクターズ』みたいな雑誌を立ち読みして、その情報を必死で暗記して、レコード屋で視聴させてもらうわけです。そんな探し方だから、一人で探せる情報には限りがあって、妹と情報を分け合ってた、って感じでした。だから、B-WANにこれからいっぱい掲載される情報を、すごく楽しみにしているんですよ。
O: こんな風に本について、語っていくと、それぞれの本に対する思い出って、深いものがありますよね。
A: そうですね。私も、今回B-WANに参加させていただき、私にとって読む、とは?と改めて思い返すと、まず、私は、本当に面倒くさがり屋(笑)。なので、本への向き合い方で言えば、「攻め」というよりは「守り」なんだと思います。比較的、「攻め」だったのは小学生の頃。冒険モノの小説(ライトノベル?)が好きで、いわゆる「剣と魔法」、それも、女の子が主人公の、「戦う女」モノが大好きでした。でもきっとそれは、「女は女らしく」という周囲の雰囲気に反発するための、というか反発したいけどどう反発したらいいのかわからないから、何かのきっかけで見つけた「戦う女」像にすがっていたのだと今になって思います。
文化的興味の入り口がそんなだったので、中学時代はオタクの道へ。そうすると、私なんかよりずっとずっと、面白い本を知ってる人たちが周囲にワンサカいるわけなので、素直にみんなが面白い、という本やマンガを読んでいくようになってしまいました。なんとなく、自分で開拓しよう、という思いはあんまりなくって。
オタク的方面以外でも、中学高校の頃って、本やマンガの貸し借りってすごく多くって、一種のコミュニケーションツール(特に女子同士の&やっぱりラノベ中心)だったような気がします。大人しい子も、目立っている子も、同じ作品の同じ文章に共感したりする瞬間があったり。まあ、だからといって仲間になることができないという、なんとも、女子らしい(笑)、割り切ったつきあいと言ってしまえばそこまでなのですが…。まあ、私は、本当に自主性なく、友人が勧めるものを借りて読んでいたと思います。
ただ、全くそういうのとは別に、音楽に関するモノだけは、孤独に探求していました。本やマンガに関するアイデンティティは人任せだった分、音楽を聴いたりするところで自分のアイデンティティを確保してたのかもしれないですけど。もっと穿った見方をすれば、女子と共有していた本の文化は、自分の中の「女の部分」、音楽に関しては、ドアーズの『ソフトパレード』やディープ・パープルの『マシンヘッド』などいわゆる「おっさんロック」(笑)が好きだったんですが、女子とはつながりたくないような「自分の男部分」という風に位置付けていたのかも、なんて。女っぽい子になるか男っぽい子になるか、どっちに流されるのも嫌だったから、自然とそういう風にしてたのかもしれないです。今考えたら変な分け方ですけど。
H: ほー、本と音楽では接し方に違いがあったんですね?
A: 本の場合、私は、本を読むのが苦手なほうだと思います。必要以上に感情移入してしまうので。音楽の場合は自分の解釈で何とかなる部分が多かったのかなあ。だから、もし読んだ本の中に自分の傷つく内容が出てきたら、本当に心も身体も消耗してしまう。さすがに今ではそんなことはないですが、昔はしばらく立ち直れなかったりもしました。なので、なるべく安心できそうなもの。例えばエイミ・タンの『ジョイラッククラブ』など、女性同士のつながりを描いた本などが好きだったような気がします。
今まで、誰かが勧めてくれた本を読む、というのに慣れていたのも、信頼できる人が好きな本なら、安心して好きになれるだろう、という、そういう逃げのような気持ちがあったからかもしれないです。だから、一番よく読むのは、自分の妹が勧めてくれるものだったりします。『そういうふうにできている』などのさくらももこのエッセイは、なかなかフェミ的だなと気づくことができたり、読んでみたいけど、もし何か自分が嫌な思いをするような内容だったら嫌だなあ、と思っていたような、『つるつるの壷』『きれぎれ』などの町田康の作品群とか、とりあえずこの子からなら大丈夫、みたいな。
O: 本っていうのは、あくまで誰か他の人の言葉なんだから、その意味では誰かからの贈り物なのかも。
A: 最近では茨木のり子の『自分の感受性くらい』を借りました。もちろん自分で選んで読む本がなかったわけでは決してないですが、井上靖もパール・バックも大好きだったけど、後に印象に残った本を読んだきっかけが、そういえば誰かに勧めてもらったからだなあ、というだけの話ではありますが。その本がどういう本か、と同時に、誰が読んだか、みたいなことも私にとっては重要だったような感じがします。本は一人で読むものじゃなかった、というか。でも、自分の心の弱さから、「守り」というか安心のための逃げの姿勢ではあったんですが。
ここ数年はといいますと、「人とつながりたくなかった」(笑)音楽に関して、むしろ、インターネットなどで広く情報や思いを共有するという経験をし、本当にIT社会ってすごいなあと感動すらしています。たしかにインターネットって、解釈と解釈のせめぎあいでしんどい(特にジェンダーに関することなんか)ことも多々あって、なかなか難しいことだけど、まあ、そこは、一定のリテラシーみたいなものは必要なんじゃないかな、と思うことは多いんですが。でも、いずれにせよ、やっぱり作品をいろんな目で、耳で感じて、それが反応しあえることって、いいなとあらためて今は思います。
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