「手、洗った?」私その一言で又、夫が激昂。コロナの事で息が詰まりながらも乗り越えている日々。その時、罵詈雑言のスイッチが入りました。
俺は誰よりも清潔なんだ。俺は1時間に一回手を洗ってる男なんだ。病院さえ我慢して用心を重ねてるんだ。でもそれはお前らのためじゃないよ。お前らなんて関係ねえよ。俺にそんな事聞くなんて本当にむかつくよ。しつこくしつこく続きます。だんだんお前は最低だ、不潔な女のくせに、いつものように人格攻撃に移っていきます。ダラダラと汚い言葉を吐きながら、黙ってキッチンで料理を続けている私を、蛇のような目で睨んでいます。
胃や喉に何か詰まったようになり、頭の横がピリピリと痛みだす。肩や背中は瞬時に鎧のように固くなり、身体中が冷たくなっていく。
これでまた今夜から、頭痛と胃痛が続くでしょう。
今年から大学生になる娘は、夫の発する毒から逃げるように、自室にこもっています。
心配で様子を見に行くと「あの人何騒いでるの?」と不安そうです。事情を話すと、「ふーん、最近ちょっとましだったけど、また今日ひどいね。」
と、夕食も食べに出てきません。
夫の分だけ食事を出し私が自室にこもると、まだ気が収まらないらしく、ばん!と乱暴に入って来て今度は、「体温測れよ、そっちこそ危なくて仕方ないよ」と体温計を突き付けてきました。それを触るのも気持ち悪かったので、熱なんかないよ、入ってこないでよと突っ返すと、「お前拒否したな、熱あるんだな」と悪態をつきながら出ていきました。

私が結婚して19年になります。
32歳で恋愛結婚を諦め、お見合いシステムを使って選んだのが、10歳年上、東京のお金持ちの跡取りとして育てられ、名門大学を卒業し、会社を経営する、今の夫でした。
当時43歳で初婚。義父、義母も優しく、願ってもいない好条件と、すぐにプロポーズにOKしました。
違和感を感じたのは、結婚してすぐでした。
そのころ女子アナブームといわれ、女子アナの人気が高まっていました。一方私のキャリアは国際線のCAです。それは私が心から希望した仕事であり、私はCAとして過ごした12年間に誇りを持っていました。
ところが夫は、TVを一緒に観ている時や、ふとした折に「ね、○○ちゃん(私の名)、今はもう女子アナの時代でしょ、スッチーはもう終わりでしょ?」とニヤニヤ同意を求めてくるのです。さすがに気分はよくないですが、嫌がらせを言われる理由も心当たりがありませんし、むきになって反論するのも気が引けて「うん、、、」と曖昧に返事をしていると、「ね、そうでしょ、絶対そうだと思わない、だってスッチーってただのウェートレスじゃん」と、私がそうだね、というまでしつこく言ってきます。
何度となく繰り返すので、じゃあ、なんで私と結婚したの?と聞くと、「俺はスッチーは大きらいだけど、○○自身(私)と結婚したんだ。問題あるか?」と、まるで私は世間的に価値は無いが、その欠点に自分は目をつぶって結婚してやったような言い方です。
新居のリビングでアダルトチャンネルを引いて私がいても見ているので嫌だ、というと、「俺の家だ。何見ようと俺の勝手だ。」なんの事故か、ドアをあけるとトイレの壁や床に大便が飛び散ったのがそのまま、掃除はお前の仕事とばかりに放置されたいた事もあります。酔って、お前は貧乏人の娘だ。お前の妹もそうなんだから結婚できるわけがない、と言われたこともあります。
吐き気がするほど屈辱を感じましたが、それでも不満を表せない。
何故なら夫にせかされて早々に退職届を出してしまった私には、この結婚を続ける以外にもう生きていく道がないと思っていたからです。
私は自尊心を削り取られていきました。
こういう風にモラハラは始まります。
ここにもう一人まともな大人がいれば、誰が見てもに自己中心的な失礼を押し付けているのは夫だと言ってくれるでしょう。でも、二人しかいない、あるいはいても夫に逆らえない人間(私の母や義母)しかいない閉じられた空間では、いくら理不尽で横暴でも、経済力、腕力、大きな声、狡さや徹底な自己中心ぶりという「力」をにぎっている人間の「正」が「正」になります。
それを持っていない弱者は、おかしいと思いながらも相手が押し付ける「正」に合わせようとじぶんを殺すようになり、どんどん自信を失っていきます。
相手はそれを分かっていてどんどん力をつけていくようでした。

子供が生まれると、夫の態度はもっと酷くなりました。
子供を生むと女性の立場は一般に強くなるといわれますが、それは元々幸せな家庭の場合でしょう。
母親になると例えば今までなら言い返すところ、家を出てしまっていた時でも、子供の心と環境を守るために更に自分に我慢を強いるようになります。
夫は娘を溺愛していましたが、一旦気に食わないと、娘にも死んじまえと怒鳴ったり、娘に向かって、大好きなママである私を殺すなどと言います。娘の大事な親友のお母様に酔って電話で死ね、と怒鳴ったこともあれば、父兄同士の席で、煙草をとがめてきた同じクラスの男の子を足蹴にし、何も知らない娘が学校で友達に聞かされ傷ついたこともあります。一人っ子で常に一緒にいる私には、娘の心の動きが手に取るように分かります。そして、私自身が夫の独特なやり方で傷つけられてきたので、そのダメージがどれ程心を蝕んで、無力感をあたえるものか痛いほど分かるのです。子供の心は柔らかです。子供を傷つけたくないと思えば思うほど、それが私の夫にし対しのて大きな弱点、、足枷とも言えるでしょう、を一つ抱えたように思えました。
そのように更に自分を殺し続けた結果、私は神経性胃痙攣で3回の入院、ストレスからパニック障害にもなってしまいました。身体が無言の抗議をしていたのでしょう。
ただ、そうするうちにも私の中で少しずつ持ち前の自分らしい負けん気が復活してきていました。
そうなれたのは、娘を通して出会った前向きで温かいママ友たちとの交流、両親の辛抱強い応援、娘と笑い合う至福の時間、そして最終的に、結婚に失敗したぐらいで自分らしく生きることを諦めたくない!という自分へのこだわりを捨てなかったことが大きかったと感じます。
一つ、ひとつ、すごく緊張しながら、私はNOを言うことを自分に課しました。
不愉快に思えば、態度に出し、相手が威嚇してきたら、それ以上に睨み返す。私はこんな人に遠慮する理由など一切無い!と自分に言い聞かせて、一歩たりとも引かない。それはそれは体力も精神力も必要でしたが、すると段々夫がこちらの機嫌をとるようになってきたのです。
それでも、まだ今回のような事は起きますし、娘も私も常にどこか夫を警戒しています。
結局、根の部分でこの人は変わらないと時間をかけて学んだからです。
その娘は今年、希望の大学にご縁を頂き、夢に向かい始めました。不安定な家庭環境の中で本当に頑張った思います。
私は、4年前にアロマの国際資格を取り、現在起業独立の目標に向かって奮闘中です。
今も不安 は消えませんし、ストレスもまだまだあります。この結婚は失敗だ、別れたいと思い始めて20年が経ち、歳もとってしまいました。
でも、私は10年前より今の自分を気に入っています。長いネガティブな経験は情けなく恥ずかしいことではない。それを自分の今後に、他の人の人生に活かすことできっとそう思える、とやっと分かったからです。
今、苦しみの渦中にいる方は、出口などないと思われるでしょう。でも、状況は変わるのです。自分らしく生きることを諦めては人の付属品のような人生になりかねません。 自分を尊び、いたわりながら、これからも私は希望を追い続けます。