views

857

「夢」という生 宇都宮めぐみ

2010.08.20 Fri

<div class="align_left">アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.</div>
<p>希望や願望としての「夢」を取り上げたmootyさんのエッセイに触発されつつ、私も引き続き、「夢」について考えてみたいと思います。</p>
<p>mootyさんは、日本が追い求めた「アメリカン・ドリーム」が、当のアメリカでは現実には存在せず、それどころかただの夢として描かれていただけであったということを紹介していますが、では一方で、日本が強い影響を与えた「ドリーム」とはどのようなものだったでしょうか。<!–more–><br />私がとくに注目したいと思っているものは、日本が様々な形で影響を与えた1945年以前の旧植民地における「ドリーム」ですが、誤解を恐れずあえて表現するなら、それは、「コロニアル・ドリーム」と言えるかもしれません。</p>
<p><a href="http://amazon.co.jp/dp/4000253069">『モダンガールと植民地的近代――東アジアにおける帝国・資本・ジェンダー』</a>(伊藤るり、坂元ひろ子、タニ・E・バーロウ編、岩波書店、2010)は、1920年代に突如として現れた「モダンガール」という「像(あるいはイコン)」の様相や意味・反響を、中国・日本・沖縄・朝鮮・台湾という東アジアの文脈において明らかにしようとする、意欲的な一冊です。「新しい女」に関わる研究はすでに蓄積がありますが、本書の大きな特徴は、「モダンガール」を像もしくは現象として捉えようとしている点です。つまり、人々がその像に「さまざまな層の願望、欲望、ファンタジー」を投影し、それにより結ばれた像や現象が「モダンガール」であり、結局「モダンガール」とは、「いまだ不在の女」であったということです。それは、植民地という現実を前提とせざるをえない生活のなかで営まれる人々の思いの重さを浮き彫りにするものだと言えるでしょう。<br />東アジアの人々を惹き付けた「不在の女」、追い求めることが可能であった女たちが追い求め、一方では反発した近代、女にとってのモダン・・・その幻想に込められた「夢」とは一体何であったのか、その「夢」を見せることで、帝国は、彼女たちや彼ら、そしてかの地に何を与えたのか。本書の焦点は、その副題にあるように、帝国と資本とジェンダーをめぐる相互関係を紐解くことにありますが、女の身体(像)を通じて表され、東アジア各地で共鳴しあった「夢」とそれが担った負の歴史を、覗くことができる一冊だと思います。<br />それを、私が先に「コロニアル・ドリーム」などという聞こえの良さそうな言葉で表現したことは、やはり軽率であったかもしれません。しかし、「モダン」という言葉のもつ軽妙さとあわせて、改めて吟味しうる言葉ではないでしょうか。</p>
<div class="align_right">アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.</div>
<p>一方で、「夢」という主題と関わってもう一冊、別の視点から私が思い浮かべるのは、『ゲド戦記』の名を出すまでもない大家、アーシュラ・K・ル=グウィンによる<a href="http://amazon.co.jp/dp/4309205283">『ラウィーニア』</a>(河出書房新社、2009)です。</p>
<p>この小説の設定やあらすじ・登場人物は、ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』に基づいています。もちろん『アエネーイス』や古代ギリシア、イタリアについて知っているにこしたことはないのですが、知らずともその世界に入り込めるよう、作品の構造はもちろん文章的な技巧においても細やかな注意がほどこされていることは特筆すべきですが、さらに面白いことは、本書のタイトルでもあり主人公でもあるラウィーニアという女性と叙事詩『アエネーイス』との関係です。『アエネーイス』とは、トロイア戦争後イタリアに逃れ、ローマ帝国の基礎を築いたとされる伝説の英雄「アエネーアスの物語」という意味ですが、ラウィーニアとは、彼の最後の配偶者であり、ローマの基礎をともに築いたとされる人物です。しかし、そうでありながらもウェルギリウスは、『アエネーイス』においてほとんどラウィーニアについて語っていません(恐らく、作品構成上の理由による)。言葉はもちろん、一人の人間としての歴史すらもその叙事詩のなかでほとんど与えられなかった一人の女・ラウィーニア。そして、そうであるからこそル=グウィンは彼女に着目し、生き生きと、生命力そのもののような魅力的な女性として造形し、描き出しています。</p>
<p>そして「夢」とは、本書の重要なキーワードです。というのも、本書の語り手はラウィーニアその人なのですが、彼女は、本書のなかで三度、彼女自身を生み出した詩人・ウェルギリウスに出会っているのです。遠く時空を超えて二人が出会うその場所は、地理的には、王や王女(ラウィーニア)が神託を受ける「聖なるアルブネアの森」ですが、さらに言うと、そこで眠るラウィーニアの「夢」であり、死ぬ間際のウェルギリウスが見る「夢」なのです。そこでウェルギリウスはラウィーニアに、彼の叙事詩と彼女の夫とその未来(アエネーアスとその最期)について教え、ラウィーニアはウェルギリウスに、彼が思いもよらなかった彼女の人生を語り、生き様を見せ、彼が描かなかった古代イタリア(生活や祭事など)を語ります。それは「夢」であり、幻のようなものでありながらも、彼女の生は確かにそこにあるのです。<br />本書が何よりも興味深いことは、ウェルギリウスが叙事詩『アエネーイス』を、アエネーアスの死(ラウィーニアとの出会いから「三つ目の冬」の後)によって終えていることから、彼によって生み出され命を与えられたラウィーニアの生を、終わることのない幽玄の生として描いていることです。彼女の生は「夢」のようなものでありながら、しかし具体的な細部をもった生であり、それはただ美しい幻というにはあまりにも生々しく、読む者を惹きつける物語となっています。</p>
<p>最後に、本書には、ル=グウィンのフェミニズム思想に基づいた多くのメッセージがちりばめられています。ラウィーニアの口を通してつぶやかれるそれに、うなずきながら考えさせられながら、彼女に寄り添いながら読み進めることができるという醍醐味があるのです。そして一方には、彼女と彼女の故郷のすべてを愛し、尊重し、時には過去と現在と未来の戦争と権力について逡巡し、天を仰ぐ「伝説の英雄」アエネーアスの姿も描かれています。<br />小説としてのスリリングさと大胆さ、驚くほどの繊細さとともに、ラウィーニアと彼女を取り巻く女たちの、そしてアエネーアスやウェルギリウスを含む男たちの、ル=グウィン一流のリアリズムで彩られた生き様を、古代イタリアに思いを馳せながら味わってみてはいかがでしょうか。</p>
<p> </p>
<p><a href="http://wan.or.jp/book/?p=313">次回「時空を超えて出会う二つの魂」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから</a></p>







カテゴリー:リレー・エッセイ