またまた大好きな作家・五木寛之著『大河の一滴 最終章』(幻冬舎、2026年2月)を読む。もう3刷だ。1998年発行の『大河の一滴』から30年近く、94歳を迎えての最終章となる。

 五木寛之さんは2024年秋、ステージⅡの中咽頭癌の診断を受け、「日々、夕刊紙の連載、週刊誌の原稿、NHK『ラジオ深夜便』の出演もあるから、治療をするにしても仕事優先で受けたいと思うのです」と医者に告げて、放射線治療を選んで快癒。その1年後、まるで20代の青年のように「人はなぜ生きるのか?」を考え続けて本書の出版になったという。

 その間、五木さんは、敗戦直後の北朝鮮(平壌)で、注射一本、薬一服、与えることもできず、遺骨を持って引き揚げることすらできなかった母親のことを思い、自ら癌と診断されても動じなかったのは「自らを罰したいと思っていたのかもしれない」と考える。そして、ある時、「もういいのよ。わたしのことを気にするのはやめなさい」という母の声が、ふと聞こえてきたという。そして大河の流れに身を任せるのではなく、大河の流れに抗ってでも生きる、「生きられなかった誰かのために生きる」と強く心に決めたのだと書く。

 「引揚者」という言葉も、もう死語なのかもしれない。私の父は戦中、中国・北京で中国との農業関係の合弁会社で仕事をしていた。それで私も戦中、中国の北京で生まれた。「北京秋天」、突き抜けるような青い空の乾いた空気が体に合わなかったのか、母は肋膜炎から腹膜炎を患い、16貫(60キロ)から9貫(33キロ)まで痩せてしまい、ようやく早産で小さな私を産む。生後3カ月、首が座った私と母を連れて、父が、おむつをいっぱい入れたリュックを背負い、満鉄に乗り、関釜連絡船を渡って熊本まで送り届けてくれたおかげで、私は辛うじて「残留孤児」にならずに済んだのだった。

 戦後、帰国した父は満蒙開拓団の長野県の引揚者たちと共に山を開墾して農場長となる。ニュージーランドで覚えた技術で羊の毛を刈り、牛や豚を育てて。戦後、食べ物のない時代、バターやチーズをたっぷり食べて丸々と太っていた私。父は、お酒の飲み過ぎで肝硬変を患い、57歳で早く亡くなったけれど、母は絞りたての牛や山羊の乳を飲んで、すっかり元気になり、5年前に98歳で天寿を全うした。

 五木寛之さんの本は、1966年『さらばモスクワ愚連隊』(第6回小説現代新人賞)、1967年『蒼ざめた馬を見よ』(第56回直木賞)、1976年『青春の門 筑豊篇』(第10回吉川英治賞)の頃から、ずっと愛読している。


 以前、エッセイ「旅は道草」シリーズにも書いたけど、1993年、五木さんを京都府主催「KYOのあけぼのフェスティバル」の記念講演に国立京都国際会館へお迎えしたことがある。当時、私は中西豊子さんの「女の本屋」の企画会社・フェミネット企画で企画・編集を担当していて、「ぜひ五木さんをお呼びしたい」との熱い思いで、『内灘夫人』の霧子に寄せて心を込めてラブレターを書いたら、思いがけず、ご本人から「はい、行きますよ」と直接、お返事をいただいたのだ。その時の講演のタイトルが「暗愁」だった。当日は演題にぴったりの「秋時雨(しぐれ)」の日。バーバリーのレインコートを片手に五木さんは颯爽と会場に現れてくださった。  (Sentimental Journey 離婚旅行(旅は道草・25)

ポルトガル・リスボンの裏通り、ファドが聴こえる

 「暗愁」とは? たとえばポルトガル語の「サウダーデ(Saudade)」。ポルトガルの「ファド(Fado)」で歌われる「もう二度と戻らないものへの深い切なさ」のように。それからロシア語の「トスカ(Tocka)」も、ハングルの「恨」も、中国語の「悒(ゆう)」も、「悲哀や無念さ、悲しみ、切なさ」を意味する。英語の「ブルース」も、そうなのかな。それを日本語では「暗愁」と呼ぶらしい。

 2008年9月、ポルトガルへ旅をして夕刻、リスボンの街の裏通りをぶらぶら歩いていたら、どこからかギターの音色に乗せて、もの悲しい「ファド」のメロディが流れてきた。「ああ、これがサウダーデだな」と思って、立ち止まってじっと聴いていた。またポルトガルに旅して、あのメロディを、もう一度聴いてみたいなあ。
ポルトガルのコンペイトウ(旅は道草・20)
ああ、旅に行きたい、ポルトガルへ(旅は道草・128)

 本書の最後の章に、2025年8月の秋田での講演「人生の四季」が採録されている。人の一生を4つに分ける「四神思想」という言葉が中国にはあるという。「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」。この4つの人生の底に流れる「生きる愁い」、心の中に深くわだかまっている、なんとも言えない感情は世界共通のものだという。旅愁でもなく、哀愁でもなく、もっと根源的な「人間存在の深い悲しみのようなものが、人の一生の中に流れているのだ」と。

 では日本語にそういう表現があるのかと、五木さんは古典を遡り、あれこれと探して、ようやく「暗愁」という言葉に、たどり着いたという。「生きていることがもっている愁い、存在していること自体に愁いがあるという感覚」を示す中国伝来の言葉として、はるか奈良時代、平安時代から明治の文人たちの間でも広く用いられてきたそうだ。

 「暗愁」を生きる。それは「自分自身のために生きる」のではなく、「生きられなかった誰かのために、生者は死者のために一日でも長く生きる義務があるのではないか」と。そのために大河の一滴の流れに抗ってでも生きる。それが現在、94歳の五木寛之さんの目下の結論のようだ。見事な生き方だなあと思う。

 9月2日(水)午前4時からのNHKラジオ深夜便「五木寛之のラジオ千夜一話」を、NHKONE「らじる☆らじる」の聞き逃し配信で再聴した。つい先頃、五木さん自身がつくられた作詩・作曲の昭和歌謡の歌が流れてきた。まさに「暗愁」のメロディだった。インタビューの受け答えも、とってもお元気そうな声で、ほんとにうれしく拝聴した。

 私は、かれこれ40年以上、作家たちの講演やインタビュー、会議録のテープ起こしの仕事をしている。それも富士通の「親指シフト」のキーボードで1時間の録音は1時間半くらいで起こせる。最初の頃は原稿用紙に書き起こし原稿を書き、今はパソコン入力でデータをメールで送る。録音もカセットテープの音源からギガファイルのデジタルデータへと変化している。そして今はAI時代。もはや国会や裁判所の速記官の養成もなくなり、デジタル化の方向へ邁進しているとか。それでもなお時々、人伝えに、あちこちから頼まれて仕事を続けている私。

 そんな中で音声起こしをした文章が、そのまま何の手直しもせず、完全原稿になる人が、これまでに二人いた。そのお一人が五木寛之さん、もうお一人は上野千鶴子さんだ。話し言葉を、そのまま起こして見事な文章になる語り口。しかも的確で、なめらかな文章になっているのが、とても不思議だ。さすが、お二人だなと感服するばかり。

 本書を読んで、「なるほどな」と思ったことが一つある。仕事で対談をすることがよくあるという五木さんは、「対話とは、結局のところ、人間が持つ差異、つまり自分と他者は違うという事実を確認し合うことだと思うのです」と書かれていた。「へぇ、そんな考え方もあるのですね。そんな話もあるのですかと驚くことがある。そのことこそが、自分の意識の範囲を打ち破ってくれる。対話は互いに仲良く共鳴するためにあるのではなく、基本的には、異質なものと接触するということだと思います」と語られていた。

 そうなんだ、人と人とのかかわりは、互いに違いを認め合うことが大事。自分と人とは違う。違うからこそ楽しい。相手への共感よりは、自分にはない、新しい考えを相手の中に見つけることができることこそが「他者と対話する醍醐味なのだ」と思う。

 毎日新聞「戦後81年の表現者たち」で、五木さんは「大河の一滴に逆らう一滴として 引き揚げ・創作の根底・誰かのために生きる」を語っていた(2026年8月17日付。聞き手・棚部秀行)。

 外地からの引き揚げ者にとって戦争の体験は被害体験でもあり、同時に過去の加害体験を背負っています。しかしそれを伝えなければ外地から生きて帰ってこられなかった人たちに申し訳ない」「生きんと切に願いつつ、それを果たすことあたわざりし人のために生きようということなんですよ」「そのためにも自分とつながりを持つ人をイメージできるかということが大事。自分にとって大事だと思える人がいるのか。そういう思いを巡らせていくのもいいのかもしれませんね」と結ばれていた。

 うん、そうだ。そんな想像力の中から「人と人との関係」や「他者との対話」が生まれてくるのかもしれないと思って読み終え、大きく頷いた。

 五木寛之さん、どうぞ、いつまでもお元気で。みんなで五木さんを追いかけ、あとに続いていきますからね。