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4.17 「知る」ことの難しさ(下) 宇都宮めぐみ

2012.10.05 Fri

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.「「知る」ことの難しさ(上)」の続きです。

 経済危機、民主化運動・・・と歴史をさかのぼるようですが、さらにもう一冊。1948年4月3日に済州島で起こった武装蜂起と大虐殺を取り上げた、『新装版 順伊おばさん』(玄基榮/金石範訳)です。表題作「順伊おばさん」は1979年に発表されましたが、70年代最大の問題作とされており、著者は発刊後に逮捕され、釈放後も拷問による後遺症に苦しめられたといいます。

 金石範さんは解説で、「ようやく「四・三事件」から三十年経って、韓国の文学に「済州島事件」が登場したのだという熱い思い」を綴っていますが、かの大虐殺からただ一人生き残った「順伊おばさん」は、その30年後に虐殺の跡地で自殺します。疑心暗鬼と暴力、そして死の予感が色濃く漂う当時の島の、眩暈がするほどの混乱状況と、事件から30年を経てもなお、記憶と口を閉ざさざるをえない重さが読む者を襲います。

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 最後に、以上三冊は韓国を舞台にした小説ばかりですが、「北朝鮮」からの脱出者をイメージした『リナ』(姜英淑/吉川凪訳)も紹介しておきます。

 自分達と同じ言葉を使うけれど、経済的にもっと豊かで反映している「P国」を目指して、リナは故国を脱出したのですが、捕まり、何度となく売られ、レイプされ、売春宿で働き、過酷な工場労働を強いられ・・・時には隙を見て脱走し、人も殺し、盗み、裏切り、喧嘩もし・・・。

 流転の人生のなかでやがてそれに慣れ、強かに生きていきつつも、実はただただひたすら自分の行く末が心配であったリナ。それでも、貧しく、空腹を抱えてさまようだけの故国で生きる人々よりも、国境を越えた自分はずっと運が良いと信じるリナ。彼女は故国を背にし、多くを語りませんが、だからこそ故国の辛さがより鮮明に表れていると言えるでしょう。

 ただし、「ほら、だからやっぱり「北」は・・・」と言いたいのではありません。「北」と「南」に分かれてしまったことのそもそものきっかけには、日本による植民地支配があると言えます。リナや彼女の故国の人たち、そして「P国」の人々が分かち持つ辛さや痛みに思いをはせるには、ただ「北」を糾弾するだけではない、いく通りもの方法があるはずではないでしょうか。

 「「知る」ことの難しさ(上)」で紹介した『6stories』に巻末エッセイを寄せた鷺沢萌さんは、「韓国文化を楽しむために、特別な問題意識や歴史的関心が必要であるという時代は、もう終わった」、「皮膚でおぼえる共感やただ単純に面白いものを「面白い」と感じられる柔軟なこころのほうが重要」と述べます。それはその通りでしょう。そういったこころが、恐らく「韓流」を受け入れてきたのです。

 文化を通した交流には無限の可能性があります。政治では溶かすことのできなかった日本と韓国との壁に、小さくとも無数の穴を開けることができたように。ですが、「Made in Korea」に脈々と流れる歴史やそこに生きる人々への想像力なしには、その無数の穴はいとも簡単に閉じてしまうものです。

 「韓流」の受けとり手が今すべきことは、「国民」意識に足をとられて立ち止まることではなく、「韓流」文化を形作ってきた歴史や人を「知る」こと、難しいとしても「知る」努力をすることなのではないでしょうか。そして、その歴史や人を知れば知るほど、日本が隣国の歴史や人々にどれほど深く関わってきたかにも薄々気付かされることでしょう。実は、最も難しいのは、後者――つまり、日本が深く関わってきたことを「知る」、「理解する」ことです。ですが、「韓流」を楽しんできた「柔軟なこころ」は、きっとこの壁も乗り越えられるものと信じています。

※一部文章を加筆しました。(2012/10/05 17:51 宇都宮)

次回「「知らない」って、面白い」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから








カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / 韓流 / 文化