2013.02.20 Wed
2歳半になる孫娘の佑衣(ゆい)と90歳の母フサ、80代の叔母と60代の私と40代の娘の女5人で、春の訪れが早い、菜の花の町、鹿児島の指宿へ旅した。
京都から新幹線「さくら」で熊本へ。西南戦争の頃に建った古い町家の母の家に着く。中庭からすきま風が吹き込む部屋。佑衣は湯たんぽで温まった布団で、おとなしく眠った。
翌朝、熊本から鹿児島へ九州新幹線で1時間、海沿いの枕崎線を指宿まで鈍行で1時間半。駅に着くと風がやわらかく、あたたかかった。
砂蒸し湯に子どもは入れない。砂に埋もれて顔だけ出ているのを不思議そうにみて、自分は露天風呂で満天の星を指さし、「キラキラ星」を歌っていた。
夕食は特産の安納芋をパクパク、お魚と大好きな茸と蓮根、牛蒡入りご飯をびっくりするほどよく食べる。お出汁と和食が好きな彼女は、みんなから「ゆいバア」と呼ばれる。
次の日は市バスに乗って山川の近く、開聞岳の見えるフラワーパークへ。チューリップが、もう満開だ。宿近くの海岸を歩くと、小高い丘に指宿海軍航空隊基地から飛び立った特攻隊員82名の碑が建っていた。防空壕の跡もそのままに。あれから68年の月日が経つ。
そんなことは知らず、彼女は砂浜をこけつまろびつ駆け回り、エキサイティングな時を過ごしていた。
そこまではいい。自我が芽生える第一反抗期が始まったのか、「自分で、自分で」と横から添える手をパッと払いのけ、なんでも一人でやってみたいらしい。うまくいかないと「できない、できなーい」と、あたり構わずギャーッと泣きだす始末。遊び足りないと「まだまだ」と、ごねて動かず、「おむつを換えよう」といえば、「もういい」と抵抗する。
生まれて2年半の子には成長と進歩あるのみ。彼女の辞書に「退歩」はないのだ。あり余る体力と元気いっぱいなのはいいけれど、ほんと、疲れるぅー。
そして90歳になる母がまた、わがままなのだ。私のいうことはちっとも聞いてくれない。こちらもまた、疲れるぅー。
半年ぶりに会うと、徐々に衰えていくのがよくわかる。以前できていたメールも今はもう、おぼつかなくなった。さっきしたことを「何したのかしら?」とすっかり忘れていることもある。
それも自然な老化の道のりなのだろう。お医者さんに相談してアリセプト(軽い認知症の薬)の一番弱い薬を処方してもらっている。それでも日々の食事づくりは決して手を抜かない。いつもどおりにおいしい味だ。
「思うように動けなくて、しんどい」というから、「ヘルパーさんを頼む?」と水を向けると、頑として「いやだ」という。寒いからと送ったユニクロのダウンジャケットも、「気に入らない」と着てくれない。
「まあ、いいか」と思う。母のペースにあわせるのが一番いいのかもしれないなと。
ずっとおひとりさまの4歳下の妹と仲良く暮らしている。夜はこたつで二人、日記と家計簿をつけている。
「今日は何したのかなあ」「デパートへ買い物にいったでしょう?」と記憶を誘うと、「ああ、そうやったね」とおもむろに書き始める。昔とちっとも変わらない、きちんと、きれいな字を書く。
先頃、「エンディングノート」というほど大げさではないけど、自らの来し方、行く末のことを書きとめたらしい。公正証書もつくってもらったとか。丘の上にあった先祖の墓をまとめて隣のお寺の墓に移したという。「これでひと安心」と、ホッとした顔をしていた。
私も、いつかたどる道だ。
孫娘が20歳になるまで、もし生きていられたら母の歳頃になる。そのとき、私はどんな「ばあば」になっていることやら。それまで長生きできるかなあ、あんまり自信ないなあ。
連載エッセイ「旅は道草」は、毎月20日に掲載の予定です。以前の記事は、こちらからお読みになれます。
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