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4.4 本と震災 田丸理砂
2012.03.30 Fri
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昨年末に逝去された竹村和子さんの死を悼む千田さんのエッセイを読みながら、ふと「本を介したつながり」について考えた。わたしは千田さんのように、竹村さんから直接教えを受けたわけではないけれど、それでも竹村さんが訳されたジュディス・バトラーやトリン・T・ミンハ、竹村さんご自身のご著書は、わたしにとっても大切なものだ。竹村さんの係わった本を介して、多くの人がつながっている。
ところで、ここで言う「本を介したつながり」とは、「絆」ともちがう、もっとゆるやかな、ふわっとした広がりのようなものとイメージしてほしい。どのように読み、何を重要だと感じるかは、それぞれの読者の自由なのだから、本を介してつながっているといっても、つながっている人びとは、かならずしも価値観を共有しているわけではない。そのちがいの幅こそ、本のもつ豊かさなのだと思う。といって、もちろん本は万能ではないのだ。
2011年3月11日に発生した東日本大震災から間もなく1年である(これを書いているのは2012年2月末)。3月11日からしばらくの間、わたしは、まったく本を読むことができなかった。関東在住のわたしは、帰宅困難者にはなりかけたとはいうものの、実際に大きな被害には遭っていない。しかししだいに明らかになる津波災害の凄まじさ、いつ終結するかまったく先の見えない原発事故、日々の計画停電に、極度の緊張感で本が読めなかったばかりでなく、強烈な現実を目の前にして、本を読むということ、つまりここではない別の世界に行くことに罪悪感を覚えたのである。宮地尚子さんの『震災トラウマと復興ストレス』では、被災した人ばかりでなく、震災をめぐる立ち位置によって人びとがどのような心の問題を抱えるのかが、わかりやすく説明されている。あとがきにある「言葉の力を信じてみたい。そう思ったのが、本書執筆の理由です」という箇所に、本をふたたび読みはじめたわたしは、勇気づけられる思いがした。震災から1年経った現在では、書店には「震災」「原発事故」をめぐるおびただしい数の本が並んでいるが、そのなかでジェンダーの視点に目を向けている点でも宮地さんのブックレットは貴重である。
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震災後、被災地を多くのボランティアが支援に訪れた。『ドキュメント ボランティアナースが綴る東日本大震災』(全国訪問ボランティアナースの会 キャンナス編)は、地震発生直後から現在にいたるまで支援を続ける訪問ナースを中心とした医療・介護者らによる2011年3月11日~9月10日までの活動の記録である。「キャンナス」の名の由来は「できる(CAN)ことをできる範囲でするナース(NURSE)」からだという。彼女/彼らは避難所での感染症を防ぐため率先してトイレ掃除をし、被災者の不安に少しでも寄り添おうと避難所に宿泊する。また彼女/彼らの訪問看護で培った臨機応変さは、緊急事態の場でも存分に生かされる。彼女/彼らと行動を共にした医師は、東日本大震災には「私たちが常日頃直面している社会の問題が先鋭化された形で現われ続けていて、キャンナスは真摯にそれに取り組もうとしています」と記している。
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2011年3月11日が「ひとびとの精神のありかたを左右する〈経験〉として」いったいどのようなどのような意味を持ったのかを問う試みもはじまっている(栗原彬/テッサ・モーリス-スズキ/苅谷剛彦/吉見俊哉/杉田敦/葉上太郎『3・11に問われて 人びとの経験をめぐる考察』)。ただわたしはまだ2011年3月11日を「3・11」と表現するのにはためらいを感じる。ニューヨークの同時多発テロについては「9・11」と言えるのに、ほんとうに身勝手な話だが、そうなのだ。もうしばらくこの違和感を抱えたまま、考えつづけようと思う。
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エッセイの締めくくりに松谷みよ子さんの作品を紹介したい。昨年末から今年の初めにかけて松谷さんの自伝『じょうちゃん』、モモちゃんシリーズが文庫本の形で出版された。モモちゃんシリーズの最後の巻は『アカネちゃんのなみだの海』。モモちゃんの妹、5歳のアカネちゃんは、南の島で、アメリカが大規模な核実験を行ったというニュースを聞いて、地震が起こったらどうしよう、津波が来たらどうしよう、と怖くなって、涙腺が故障して涙が止まらなくなってしまう。別な話ではモモちゃんが戦争反対を訴える。もちろん「子どもらしい」物語もたくさんある。黒猫のクーが、ちいさいモモちゃんが「プー」と言ったのでプーになり、プーはモモちゃんと一緒に保育園に行く。やがてモモちゃんはお姉さんになり、妹のアカネちゃんの最初のおともだちはママが編んだふぞろいな靴下の双子、タッタちゃんとタアタちゃん。「森のくまさん」はモモちゃんとアカネちゃんをピンチから救い出し、おいしいごちそうを作ってくれる。子どもはたんに「子どもらしい」のではなく、子どもを取り巻く世界と係わりながら生きている。
おとなになって働いて家族を支えなくてはならなくなっても、裕福な少女時代の雰囲気の抜けない「じょうちゃん」は、児童文学者となり、結婚をし、ふたりの娘をもつが、やがて結婚は破綻し、離婚。「じょうちゃん」こと松谷さんが上の娘さんに「わたしの赤ちゃんだったときの話をして」とせがまれて、書いたお話が、モモちゃんの物語である。1961年にはじまったモモちゃんシリーズは、それから30年を経た1991年『アカネちゃんのなみだの海』で完結する。だからモモちゃんとアカネちゃんのママは「お仕事ママ」で、子どものために書かれた話には珍しく、両親の離婚も扱われる。そんな「お仕事ママ」をいつも助けてくれるのは「森のくまさん」だ。松谷さんも『アカネちゃんのなみだの海』のあとがきで、「子育てを支えてくれた多くの友人たちは、〈おししいもののすきなくまさん〉」となったと綴っている。子ども時代にモモちゃんシリーズを読みそびれた人も、子ども時代にモモちゃんとアカネちゃんのお話が大好きだった人も、『じょうちゃん』と併せてモモちゃんシリーズを是非読んでほしい。懐かしさとともに、きっと新しい発見もあるはずだ。
次回「1年の重みと軽さ」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから
カテゴリー:リレー・エッセイ