
今年も森瑤子さんの元秘書から年賀状を頂いた。それに今年は森の33回忌です、と嘆息が聞こえるような文言があった。そうか、そんなになるのかと私も嘆息を合わせた。
まるで33回忌に合わせるように彼女の復刊が続き、今後も予定があるという。
ここに挙げた『指輪』は原題『イアリング』1986刊 角川文庫、『あなたに電話』は原題同じで1991 中公文庫。こちらの初版は1989年で、多作であったからこの2冊が晩年(1993年没)の作かどうかはわからない。最初の頃のインナートリップといえるような内面の苦悩、葛藤、心痛、心理描写が、軽妙、洒脱で都会的な恋愛物語にいつ頃変わったのか今は不明である。
初期時代の著作に私はセラピストとして関わっている。一つは『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』(講談社1983)で,もう一つは『叫ぶ私』(主婦の友社 1985)である。前著にはセラピストとの面談会話がふんだんにでてきて、チェックを頼まれたけれど小説だから一字も手は入れず、後者はテープに取られた週一の8か月にわたるカウンセリングの会話がそのままでてくるドギュメンタリ―である。これは対話者が私なので、共著を望まれたが、長い対話を全部記載するのは不可能で、相当カットをしなければならない。カット場面の合意が森さんと私とでは困難と思い、単著にしていただいた。
カウンセリングについていえば、中途半端のまま中止された。その後誘われるかぎり彼女と食事等をご一緒したが、常に有名人に囲まれた華やかな存在であった。そんな中になぜ私をお誘いくださるのか不思議であった。亡くなる1か月ほど前に、多摩丘陵にそそり立つようなホスピスで拝顔した。たまたま小康状態にあって、病者とはみえない健康時そのままの彼女に、良くなったらもう一度カウンセリングをやり直しましょうよ、と私は提案したが、彼女は無言であった。
この2月、32年前の告別式で同級生が献奏されたヴァイオリンの曲、マチネの「タイスの瞑想曲」(森指定)の堀米ゆづ子さんによる演奏を聴きに行った。余談になるが、その時堀米さんは、ステージより、観客席のほうの響きが良いとおっしゃり、なんと下に降りられたのである。他曲のようにピアノ伴奏がなく、すばらしい単独熱演で、私には思わずこみあげそうになるものがあった。
嘆息の続きはこれくらいで置いて、2著の感想に入らなくてはならない。
第一に、どの作品にも興味深いのは作者に自他未分化とみえる感覚少ない、ということである。自他未分化とは、言葉どおり自分と他者がくっついているということで、分かりやすい例は母子密着のような状態。作品に戻せば、あなたはあなた、私は私という距離があることだ。それぞれが自立した個(完全ではないとしても)であると換言してもよい。自他が密着しているのがまさに日本文化の特徴であってみれば(同調圧力、言わなくてもよく気がつく等)、森作品はこの点で欧米的といえるだろう。英訳にとても適した作品なのである。したがって会話は、内容やニュアンスにおいて少なくとも対等で、私は「居酒屋にて」(『あなたに電話』)の出だしの主人公がしばらく女性と思っていた。たしかに男言葉と女言葉は峻別されているが、我が国にはこんなことを言う、表現をする男女は沢山いない。ちょっとズラした感じの一例。貞淑そうな顔をして浮気している女を幾人か知っている、という女に「自分も入れて?」と男が聞く。たじろぐことなく「別にして」と女。「「朝帰り」(『あなたに電話』)。「冗談でしょう?」「だったらいいんだが」というしゃれた会話がふんだんにでてくる。
二番目は、舞台や主人公の豪華さである。<ロシア産の銀狐の七分丈コート>「一等待合室」(『指輪』)。この彼女は国際的にして超美人、会話を弄びながら男をてだまにとっていく。<カシミア混紡の春物>にまして多くの人の知らない高価なシャンパンの登場。「朝帰り」(『あなたに電話』)。
三番目は、表現の細かさ、妙、というか過剰さ。<指先に漂う倦怠感>。「一等待合室」(『指輪』)。これってどうすれば感じ取れるだろうか。<アメリカのテキサスあたりの中年女がよくかけているような装飾過剰の眼鏡>「女たち」(『指輪』)
例をあげるときりがないので、ぜひ読んでいただきたいというしかない。こんなクライメイトの作品を書けるのは、以前も以後も森さん以外にいないと私は思うから。架空の贅沢さを駆け抜けた森作品の鼓動が響いてくるようだ。
私はエッセイも含めて森作品の「付録」にはなったが、森さんを自著に取り上げたことは、『1982年、女たちは「自分」を語りはじめた』(2023 幻冬舎)を除いてない。森さん自身がカムアウトしている以上、守秘義務はないようなものだが。カウンセリング内容は『叫ぶ私』にあるから省略し、クライエントの彼女についての感想を書いた。これ自体に今は触れない。「世界でただ一人自分を理解してくれている人」と私を評してくれていたが、一体私は彼女の何を、どこを理解していたのだろう。森さんは本来空虚な人だ、という私の森観の後、拙著の最後のページにこうある。「森さんがヴァイオリンを止めたのも、不満ばかりの夫と決して別れようともせず、露悪的に自己開示をしたのも、彼女からすれば、どうでもよかったのではないかと思われます。では被り物でもあって(非常におしゃれで美装家)、ドンドン皮をむいていけば、森瑤子の実像が現れたのでしょうか。人の実存にその人の実像などあるのでしょうか。森瑤子とは誰だったのでしょう」
◆書誌データ
書名 :指輪
著者 :森瑤子
頁数 :244頁
刊行日:2024/6/14
出版社:角川春樹事務所
定価 :748円(税込)
◆書誌データ
書名 :あなたに電話
著者 :森瑤子
頁数 :272頁
刊行日:2025/2/14
出版社:角川春樹事務所
定価 :858円(税込)
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