
京雛

百年前の能舞台の翁
春3月、今年もお雛さまの季節がやってきた。96歳の叔母が、実家の百年前のお雛さまを片づけようとして転んで腰骨にヒビが入り、1カ月入院したのが、ちょうど2年前の3月。
今年2月、98歳になった叔母は持病の骨粗鬆症が悪化して、かかりつけの整形外科にいくと「寒い間、しばらく入院しますか」といわれて、北野天神さん近くの専門病院を紹介してくださった。お誕生日の2日後に入院。リハビリをして、ベッドの横のポータブルトイレに自分で行けるようになった。「あまり長く入院するとADLが落ちるから」と主治医の指示で、2週間ちょっとで無事、退院。家にはまだ、お雛さまが飾ってある。
2月25日、退院の準備に向かった病院からの帰り道、北野さん界隈は大勢の人たちで賑わっていた。あっ、そうか。この日は北野天満宮の「梅花祭」なのだ。この冬はとりわけ寒かったせいか、まだ梅は咲いていないようだ。でも境内にはたくさんの出店が出ている。骨董品や逸品が所狭し、と並ぶなか、一つ気に入ったカシミヤのストールを買い求めた。わあ、あったかい。
そして北野天満宮大鳥居横の蔵を改装したポルトガル菓子&カフェ「Castella do Paulo」に立ち寄り、一服する。ポルトガルのパティシエ・パウロさんがつくるカステラが、ほんとにおいしい。娘と孫にもお土産に買って帰る。

北野天神骨董店

カステラ・ド・パウロ
叔母はマンションの同じ階の別の部屋で過ごしている。ケアマネさんと相談してベッド横に手すりつきのポータブルトイレを置き、デイサービスを1日増やしてもらい、若い支援員の方が車椅子で移動してくれて、デイでは、なるべく自分で動けるように工夫してもらう。
退院の翌日、整形外科で退院報告をし、月1回の骨粗鬆症改善のイベニティの注射をしてもらう。待合室には金髪でロン毛の若いお兄さんが、車椅子の母親に優しく接する姿など、病院風景もまた微笑ましい。
叔母は食欲もあり、機嫌もよく、今はまだ私が食事を部屋に運んで食べてもらっているが、もうしばらくしたら以前のように手押し車を押して、私の部屋で娘と孫と賑やかに夕食を食べられるようになるだろう。以前よりは少し見守りや支えなど手がかかるようになったが、それを手伝うのも私の老化防止のため、と思って気軽に動いている。
叔母は1927年(昭和2年)、熊本生まれ、4人きょうだいの末っ子。戦時中、女子挺身隊で軍事工場に動員され、女学校ではロクに勉強もできなかったという。戦後、若い男たちが大勢、戦死したため、「男一人に女がトラックいっぱい」といわれた時代、叔母は、ずっと独身を通してきた。
一番上の姉は大正デモクラシーに触れていたせいか、「こんな戦争、負けるに決まってる」と思っていたようだが、母と妹は軍国少女で「日本は必ず勝つ」と信じていたそうだ。上の姉は陸軍所属の裁判官だった夫とハルピンから台湾へ向かい、夫は隊長として、負けるとわかっていた台湾奥地への突撃で捕虜となり、戦時、軍事裁判で自ら下した厳しい判決を悔いて獄中自殺をはかったことを、戦後、部下だった人が伯父の遺書をもって伯母を訪ねて伝えてくれたという。
兄は1943年(昭和18年)、東大から学徒出陣で奉天へ出征。飛行機の通信兵士として戦い、戦後、大学へ復学する。東大安田講堂で連日開かれたクラシックコンサートに、戦争で受けた心の傷をずいぶん癒されたという。いつだったか、小さかった私を蚊帳の中で寝かせつけていた伯父が、ボソっと言ったことがあった。「同級生の戦友が下士官に苛められて、便所で首を吊って死んだんだ。絶対に戦争はしてはいけないよ」と、自分に言い聞かせるように語ってくれたことを覚えている。
3年前に亡くなった母は、女学校卒業後すぐ父と見合い結婚で北京へ向かう。だから私は北京生まれだ。好奇心の強い母は、北京の胡同(フートン)で中国の人たちと仲良く暮らして中国語も習ったらしいが、病気を患い、戦中、私を連れて帰国。父は戦後に帰国。大阪・淡輪で山を開墾して農場を開く。飼っていた牛やヤギの絞りたての乳をたっぷりと飲み、母はその後、すっかり元気になったという。
叔母たちの父親は酒で身上(しんしょう)を潰した後、算盤がうまかったので魚市場でセリの仲買人になる。頑固一徹で怖い父親だと聞いていたが、孫の私には、とっても優しい祖父だった。
戦後すぐ、伯母と叔母は自活のため洋裁店を開こうと、熊本から私の父と母が暮らしていた大阪へ来て、上田安子服飾専門学校へ1年間通う。そこで最新の立体裁断を学ぶ。今、再放送されている朝ドラ「カーネーション」の小篠綾子とその娘たち3人みたいだ。今も熊本の150年前の古い家には、アメリカの親戚から送られてきたシンガーミシンが3台残っている。
2018年、95歳の母と91歳の叔母を熊本から京都に引き取って7年になる。1年後、2人を連れて熊本へ里帰りして、その2年後、母は元気に、あの世へと旅立った。97歳と9カ月だった。子どもの頃からオテンバだった母に比べて泣き虫だった叔母は、母も超えて、きょうだいの中で一番の長寿となった。きっと100歳まで元気でいてくれるだろう。

さて、キャロル・ギリガン著/川本隆史・山辺恵理子・米典子訳『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』(風行社、2022年10月)を読む。
この本は、1982年発刊後40年を経て、16の言語に翻訳され、70万部以上売り尽くして世界的ベストセラーとなっている。その増補版の完訳。
キャロル・ギリガンが本書を書き始めたきっかけは、1970年代初頭、女性解放運動の高まりの頃、とりわけ1973年、連邦最高裁判所のロウ対ウェイド判決によって妊娠中絶が合法化されたことによるという。ところが、あろうことか、2022年、このロウ対ウェイド裁判の判決が覆されてしまったのだ。
「本書を読んでくださる日本の皆さまへ」(2022年8月7日)と「一九九三年、読者への書簡」(1993年6月)を読むと、キャロル・ギリガンの思いがダイレクトに伝わってくる。それに翻訳が、実にいい。
当時は「女性的」な声として聞こえていた「もうひとつの声」(すなわちケアの倫理の声)は、まさに「人間の声」のひとつであり、家父長制の声とは異なるものであること。「家父長制が押しつけられたもとでは、この「人間の声」は「抵抗の声」となり、「ケアの倫理」は「解放の倫理」となる」と書かれている。
「ロウ対ウェイド判決によって、女性たちの声が合法化され、女性たちに選択の力が与えられたことにより、女性自らが自分のために語ること、自分のものの見方に基づいて行為すること、他者をケアすることだけでなく、自分の選択についても責任を負うことは、決して「身勝手」ではなく「合法・正当」なものとなることが保証されたのである」とキャロル・ギリガンは書く。
またこの判決後、「家庭の天使」という道徳規範を、多くの女性たちが公然と問い質し始めたという。「家庭の天使」とは、19世紀の詩人コヴェントリー・パトモアが名付けた、女性の善性を象徴する聖像として表現された言葉だ。ひたすら他者のために行動し、他者の言葉に逆らわず、口をつぐんでしまう、その帰結として、女たちは自らの声を放棄し、関係性や責任から身を引いてしまう「家庭の天使」となるとされてきた。
それに抗して、キャロル・ギリガンが敬愛するヴァージニア・ウルフは、「私が「家庭の天使」を殺さなかったら、彼女は私を殺したでしょう」と喝破したという。
「語らないのではなく、語ること」「自分の声voiceに耳を澄ませること」「語ることは、関係的な行為、つながりを求めること」。そして「女性の声を公開して新しい会話を開始することによって、世界の声を変える現在進行形の歴史的なプロセスとなる」と、キャロル・ギリガンは最後に結んでいる。
わあ、すごいなあ。まさにそのとおり。まだまだ女たちは自分を語れてはいない。もっと自分の声に耳を澄まさなければいけない。
「父や家父長たちの声に特権を与え、善意や道徳性の名のもとに女性たちを黙らせてきた、ジェンダーに基づく生活秩序を揺さぶっていかないといけない」。そうでなければ家父長制は、いつまでたってもなくならないのだから。
人は一人では生きられない。だから「もうひとつの声」(ケアの倫理の声)を聞くことによって、人と人とをつないでいこう。それがすなわち女たちの解放への道につながっていくと思うから。
まだ私が若かった33歳の時、元夫の母がガンに倒れて看病が必要となった。当時、千葉にいた私たちは、「義母の世話をしたい」と私から申し出て夫の反対を押し切って京都へ移り住んだ。5年後に義母を看取り、そのケアを担ったことは、今も少しも悔いはないけれど、よくよく考えてみれば私自身、自ら望んで家父長制に組み込まれてしまっていたのではないかと、ふと思うことがある。
けれども、その後の私の人生は大きく広がっていった。46歳での離婚を経て、その後、たくさんの女たちとの出会いにも恵まれ、豊かな後半生を送ることができたのは、すべて女たちのおかげだと、今も心からの感謝でいっぱいの思いだ。
「力のある者も力のない者も、誰ひとり取り残されてはいけない」というケアの倫理。ケアによる人と人とのつながりを、誰かが、どこかで引き受けなければいけないのだとしたら、その中に聞こえる「もうひとつの声」に、じっと耳を澄ませて歩いていこう。
「ケアの倫理」が「解放の倫理」となる、そんな人生の豊かな道筋へとつながるプロセスを、あともう少し余生を楽しみながら、私も歩んでゆきたいと願っている。
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