
区の広報に、ピアノとバイオリンの伴奏で歌を歌いませんかというお知らせを見ました。60歳以上という条件にも合います。
大学で教えていたころは、1日3コマも立て続けにしゃべって、家に帰ったらもう一言も話したくないという時期もありましたが、今は退職して家にいると1日誰とも話すことがない日もあって、そういう時は声を出したいという気にもなります。そこで、その歌の会に出てみました。80人定員という会場がほぼいっぱい埋まっていました。
ピアノとバイオリンの伴奏で、いちばんやさしい小学唱歌から始まります。「春の小川」「早春譜」「花」と、おなじみの春の歌が続きます。「荒城の月」となると、少し声が出にくい高い音程の箇所も出てきます。前の席の男性は80歳は過ぎているように見えますが、首を振り振り一生懸命歌っています。隣の70代と思われる女性はソプラノで声を張り上げています。
昔からの春の歌を1曲ずつ歌い終わったところでカラオケバージョンに移りました。「北国の春」までは何とかついていけたのですが、その後だんだんついていけなくなり、「オーシャンゼリゼ」「赤いスイートピー」「五番街のマリーへ」となるともうお手上げです。周囲の皆さん勢いよく楽し気に歌っていますが、私は与えられた歌詞を書いた紙の文字を目で追うだけ。そうやって目で追っているうちに、「なにこれ?」「こんな歌詞の歌が流行っていたの?」と何十年遅れでその歌のおかしさに気づきました 。1982年に、松田聖子が歌ってヒット曲になったという「赤いスイートピー」(松本隆作詞)です。
何故知り合った日から半年過ぎてもあなたって手も握らない
I will follow you あなたについてゆきたい
I will follow you ちょっぴり気が弱いけど
好きよ今日まで逢った誰より
I will follow you あなたの生き方が好き
このまま帰れない 帰れない
その当時若い女性は、I will follow youがトレンドだったんですね。今の若い人にこんなこと言いますかと聞いたら、「そんなこと、おかしくって言いませーん」とはねられそうです。ためしに最近の乃木坂46の「きっかけ」(2016年 秋元康作詞)という題の歌をみると、
生きるとは選択肢
たった一つを選ぶこと
決心は自分から
思ったまま…
生きよう
と、「決心は自分から」と自分が主人公になった潔い歌詞です。約35年の間にずいぶんよく変化してきたものです。安心です。
でも、「赤いスイートピー」の歌は今でもよく売れているらしい。インターネットの宣伝を見ると結構な数字が出ています。そして、今60歳以上の区民センターに来ている人たちがカラオケでよく歌った歌らしいです。ここにいる皆さんは、松田聖子が大人気だった80年代、この歌が流行していた真っ盛りの時期に、そうだ、そうだ、私もI will follow youだ、と歌っていたのでしょうか。そして40年経った今、幸い誰かいい人に出会えて、I will follow youと言ってついてきてよかった、幸せだった、と思いながら歌っているのでしょうか。
60歳以上の人たちは懐かしそうに歌っているけど、今のトレンドはもう全く変わって、乃木坂46の「きっかけ」のようなのが主流だと言えるなら万々歳です。社会の変化に歌もついてきているから、心配するには及ばないことになるでしょう。でも歌の世界はそう単純ではなさそうです。演歌の世界では今でも、「あなたどうして」とセリフが入るような、あなた依存の歌が新しく生まれています。たとえば「石狩ルーラン十六番地」(2022年 吉田旺作詞)という歌では
あなたが最後に見つめたはずの
景色をぽつんと見ています。
あなたどうして「あなたどうして」
わたし残して 風になったの 風になったの
と、「あなた」依存の従来通りのか弱い女性が歌われています。
80年代に「赤いスイートピー」が流行したのは、やはりその時代の女性の生き方の一つのサンプルが示されていたからでしょう。アイドル歌手の歌ったI will follow youも受け入れられる素地はあった、そして共感する人もいたということでしょう。その人たちが老境を迎えて区民センターの歌の会に集まり、うっとりとして「赤いスイートピー」を歌っているのを見て、これこそがジェンダーギャップ指数118位の現実なのだと思いました。飛躍だと言われるかもしれませんが、こういう歌が受け入れられ、いまだに恍惚として歌い続けられている、そういう日本人の心情がジェンダー格差を温存し続けている、そう思うのです。
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