No.1: ヴァージニア州民になる 
No.2: わが村の雪の日々(アシュビィ・ポンズ#1)
No. 3: 村での暮らし―4か月目

No.4: 尻もちがくれた恩寵(おんちょう)

「起き上がるな!起きちゃだめ!」
隣のボッチャコートにいた2人の男性が叫びました。

とはいえ、私は立ち上がれるはずもなかったのです。彼らは施設に備え付けてあった緊急コードを引っ張り、助けを呼びました。

3月11日、私はボッチャチームのキャプテンからルールを教わっていました。彼の指導の下、私はソフトボールくらいの大きさの赤い木製のボールを芝の上に転がして、小さくて白いジャックボール(目標球)にできるだけ近づける練習をしている最中のこと。彼が自分の番で投げようとしたとき、私は一歩後ろに後ずさって……コートの縁の5インチ(12.7cm)の段差にかかとを引っかけてしまいました。

転び方はまったく優雅とはかけ離れたものでした。体をひねりながら、不意にバランスを崩し、片足はもう一方の足の上に乗ったままの状態で尻もちをついて、尾てい骨と腰の右側を強打しました。耐え難いほどの痛みに襲われましたが、腰に体重がかかるのが辛くて、何とか起き上がろうとしました。ようやく上体を起こすと、キャプテンに私の背中を支えるよう、背中合わせに座ってほしい、と頼みました。 数分後、赤い救急リュックを背負ったセキュリティスタッフが2人到着。1人は私のバイタルを取り、「頭を打ちました?」と尋ねました。幸い、私は頭は打っていなかったのですが、地面に倒れたとき一瞬星が見えて、意識が遠のきそうになりました。彼らは、私の脇の下に幅広のベルトを通して、ベンチまで引きずるように運んだ後、救急車を呼びました。ここではほぼ毎日救急車がやって来るのを見かけていましたが、まさか自分が運ばれることになるなんて!

救急外来では、医師に脳震とうと椎間板ヘルニアの疑いがあると言われ、CTスキャンとX線検査を受けることになりました。看護師が、10段階の痛みレベルでいうと8くらいの激しい痛みを和らげるための痛み止めを注射してくれました。スマホで「椎間板ヘルニア」を検索したところ、典型的な症状である背骨から足にかけての放散痛は私には当てはまりません。結局、第三腰椎の圧迫骨折と診断され、「やっぱり椎間板ヘルニアじゃなかったのか」と納得しました。まるでアコーディオンが潰れたように、椎骨が潰れる横向きの骨折で、治癒には時間と安静が必要と伝えられました。

2時間後、装具技師がしっかりした背中用のコルセットを持って現れました。立ち上がった私のウエスト、胸の下、腰を固定するようにマジックテープで巻きつけていきます。続いて2本のひもを引っ張って締め上げると……思わずウッと息が詰まりました。まるでビクトリア時代のコルセットに締め付けられるかのようです。

睡眠時以外は常時装着するように、と医師から説明を受けました。帰宅する前に、パーコセットという鎮痛剤、筋弛緩剤、抗炎症薬が処方されました。6週間後に、経過観察のための受診とX線検査を受けられるように、脊椎専門医を紹介してくれた。

その夜、自宅で泣きました。激痛のせいもあるけれど、それ以上に、春に向けて楽しみにしていた計画が骨折によってぶち壊しにされた悔しさのせいで。ようやくこの場所で落ち着きを感じ始めていたのに。朝のウオーターエアロビクスとエクササイズが週5日、瞑想とジャーナリングのクラス、ブリッジゲーム、遠足の企画、ボッチャの練習……春の訪れとともに、私はこの地の美しい屋外環境を、隣人と一緒に、新たな方法で楽しめるようになっていたのに。

今や、それらすべてのアクティビティができなくなってしまいました。
私は専門医とX線検査の予約を入れました。同じような脊椎骨折を経験した住民が「そのうち痛みは和らいで、ちゃんと良くなるわ」と教えてくれました。その言葉を、私は折にふれて自分に言い聞かせるようになりました。
さて、これからの「半分軟禁状態」の生活をどう生きるか、考える必要がでてきました。

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この6週間は、ちょうどカトリックの四旬節と重なります。予定外の暇な時間を、お家でのリトリート(黙想期間)にするのはいいんじゃない?
私はすでにルイスビルのアース・アンド・スピリット・センターで、2つのオンライン瞑想コース(「現実へのスピリチュアル・ガイド」と「仏教の八正道」)を受講していました。リチャード・ロアの新著『The Tears of Things(物の涙 未邦訳)』も読み始めていました。その本では、ヘブライの預言者たちの教えを手掛かりにして、私たちの混乱した現時代に対し、社会全体でどう対応していけるのかを導こうとしています。

私は毎日、祈り、ロアの本から霊的な一説を読み、20分以上のマインドフル瞑想をして一日を始めます。次に、「瞑想とジャーナリング」クラスで使っているマデュの本を読み、ジャーナリングをします。日中も意識的に立ち止まり、今この瞬間への「気づき」を取り戻す時間を持ちました。そして、オンライン講座を1本聴きます。仰向けでコルセットを外して休む長時間の休憩も含めて、このようなルーティンが、私の生活に穏やかなリズムを与えてくれました。私は孤独を大切にできるようになり、この療養の時間が思いがけない祝福になりました。

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とはいえ、完全な引きこもり生活というわけでもありませんでした。友人が毎週、食料品や薬の買い出しに車で連れ出してくれました。彼は、私が車に乗り降りするのに苦労している様子や、座っているのがつらそうな様子は見ていたものの、それによって引き起こされる予測不可能な痛みまでは理解していませんでした。

彼は他の友人との夕食や土曜の映画、さらには瞑想クラスにも「参加したら?」と私を誘い続けていました。怪我をした日に5時間も救急病院で付き添ってくれ、必要な物資の買い物にも連れて行ってくれる親切な友人をがっかりさせたくはなかったのですが、最終的に私は「百聞は一見に如かずだ」と思い、彼に私の辛さを分かってもらうことにしました。

そこで、彼に私のコルセットを着用してもらいました。腹回りにコルセットを巻きつけ、2本のひもを引っ張って締めると、彼は息を飲み込みました──胸郭が締め付けられて息苦しくなるので、初めての人は誰でもそうなります。その状態でソファ、読書用の椅子、そして背もたれの硬い椅子に座ってもらいました。彼はどれも苦しく感じたようで、ようやく私が長時間座ることの困難さと痛さを理解してくれました。

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転倒事故から約3週間後の3月下旬には、アシュビィ・ポンズのワシントンDCへ行くお花見バスツアーが予定されていて、私はどうしても参加したかったのです。桜の美しさに  すっかり魅せられたのは、10年前の春。小さな子どもたちと暮らす姪のリンディを訪ねて日本を旅したときでした。東京にある彼女の家の近所で、リンディは6か月の双子をベビーカーで押しながら、私は4歳の女の子の手を引きながら、川沿いの満開の桜のトンネルの中をゆっくり散歩しました。

あの光景に心を奪われました。桜の花の繊細な美しさに心を奪われ、いつしか何世紀も前の日本の暮らしへと、心が引き戻されるような感覚に包まれました。「桜の詩を書きたい!」と言うと、リンディは笑って「何百年も前からみんなそう言ってるわよ」。

それ以来、私はワシントンDCで桜を見たいという夢を持ち続けてきたのです。そして今、私はまさにその場所に住んでいます!おそらく私は、アシュビィ・ポンズのお花見ツアーに、いの一番に申し込んだ住人でしょう。腰椎骨折の後、最初の2週間は激痛に苦しみましたが、その夢が私の心の支えとなりました。勇気を出してコルセットを締め、バスの揺れに耐えながら、タイダル・ベイスン(ポトマック川に隣接する入り江)沿いの桜を見に行きました。1912年に日本からアメリカに贈られた桜たち。私はバスの後方座席から、わずかにちらりとその景色を見ることができました。もちろん、その後痛みがぶり返したので、一日中ベッドから起き上がれない羽目になりましたが。

幸運なことに、アシュビィ・ポンズにも桜並木があります。チェリーブロッサムスクエアビルディングという名前の建物の前に植えられていて、その内には「1912」というレストランもあります。その週末はちょうど満開のピーク。春の陽ざしの中で、そよ風が桜の花びらをはらはらと舞い散らします。繊細で儚い美しさは私たちを魅了しつつ、まさに仏教の教えである「諸行無常」を思い起こさせます。

私は自室のドアの外の棚の上に、小さな桜の祭壇を作りました。療養中、いちばん楽しかったことだったから。そして、松尾芭蕉の句を添えました。

「さまざまの事思ひ出す桜かな」

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転んで骨折するなんて思いもよらなかった頃の私は、「ここでの新しい生活にどんな意味や目的を見出せばいいのか」と実存的かつ精神的なジレンマに悩んでいました。エクササイズクラス、ブリッジゲーム、レクチャー、映画や演劇、食事の場の表面的な会合、そして瞑想とジャーナリング……私の人生は、これだけじゃないはず。

その疑問を、友人のアンドリュー神父に話したところ、今も心に残る言葉をくれました。

「人生が最終的にどう落ち着くかではなく、その過程が大切なんだ。人生の意味や目的は、“未熟な私“には収まりきらないほど大きい。人生はあまりに広大で、常に変わっていくものだから、完全に理解することなどできない。意味や目的は“自分で決める”ものではなくて、“自然にそうなっていく”もの。大切なのは、どのようにそうなっていくか、——つまり、その過程なんだよ……要は、生き方を小さくまとめようとせずに、もっと“心を開いて生きる”こと、自分の人生にしなやかに関わっていく姿勢なんだ。」

あの不格好な尻もちをついたことで、新たな「恩寵」をもたらしてくれた。その過程についての気づきが、私の中で静かに根を下ろしています。

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No. 5に続く・・・
原文:Life in the Village No.4 --Months Five and Six (March-April 2025): THE GRACE OF A FALL ◆Jules Marquart
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翻訳:椎葉美祐紀