No.1: ヴァージニア州民になる

No.2: わが村の雪の日々(アシュビィ・ポンズ#1)

初日
写真にてご覧いただけるように、月曜日は冬の積雪ワンダーランドで目覚めました。雪は5インチ(約13センチ弱)ほど積もり、早朝のクリスマスツリーと輝くライトがまるで魔法のように見えます。

まもなく除雪機がやってきて、忙しく木々の間を走りまわり、シャベルで歩道の除雪をしました。さらに降雪があったので、この作業は一日中続きました。

これは、居住者のために働く食料サービス部や管理部などの施設スタッフ、個人用ケアの提供者が構内でそれぞれの仕事するために必要な作業でした。私たち居住者は、ガラス張りの囲まれた通路ですべての建物間を安全に移動できるので、屋外に出る必要はまったくありませんでした。

この降雪のために大きく変更されたスケジュールは、食事のサービスに関わるものでした。開いていたのはそれぞれの近隣棟のクラブハウスの主要なレストランのみで、テイクアウトのランチが12時から14時まで、ディナーが16時から18時までのオープンでした。二つのプールは閉鎖。外部から来る講師のすべての授業(床とウオーター・エクササイズクラス)がキャンセルされましたが、他のクラスはすべて通常どおりに行われていたようです。入居者はカードゲームや麻雀用の集会室に集まったようです。ピックルボール・コートではボールが跳ね返るスタッカートが聞こえました。犬を連れた幾人かの入居者はいつもどおりに注意しながら散歩に出ていました。「実力中位程度のブリッジクラス」で知り合った4人の女性仲間は、「ブルーリッジクラブハウス」で予定通りブリッジをしました。 

その日一日中、スケジュールの変更の件と、できることは何かという連絡をメールで受け取りました。ご不便をかけて申し訳ありませんというお詫びと、安全に部屋で過ごしてください、というメッセージとともに。

それとは対照的に、以前住んでいたルイズビルの近くにある戸建て所有者協会の理事長から誤って送られてきたメールには、道路が除雪されていなかったり、外出できるようになっていなかったりする理由とその説明が堂々と書かれていました。そこでは、袋小路の私道の雪かきや塩まきを自分たちでやらなければならず、大通りさえも除雪されていないために立ち往生することもしばしばでした。アシュビィ・ポンズは、メンテナンスフリーのライフスタイルを提供することを売りにしていますが、この点ではその通りでした。

アシュビィ・ポンズ概観


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2日目

今朝、マデュウ・ワングさんの「瞑想と健康習慣記録ノート」の今年最初のセッションのために、私たち20人が教室の大きなテーブルを囲みました。私たちはノートとペンを持ち、律儀に彼女の書いた本を持参し、私は新しい友人のベティとボブの間の一番後ろに座りました。マデュウさんは、まず9人の復帰メンバー(1人は12月に死亡)に、今年もこのクラスを受講する理由を尋ねました。Rさんがなにかブツブツいってから、クラスの女性全員が大きなノートを持ってきていることに気がついたと言いました。彼は、自分の4×6のノートを掲げ、「わたしは簡潔です」といいました。

廊下で数人の新会員とすれ違いました。Mさんは、クリスマスの数日前に夫が亡くなったと話してくれましたが、「でも長い間ずっと体調が悪かったんです」と少し和らげてくれました。別の女性は、夫が2か月前に亡くなったと話してくれました。(ベティさんの夫の一周忌は、まだ1月3日でした) わたしは彼女たちの夫の死が気になり、彼女たちがどうしてここにいて活動しているのか不思議に思いました。アーヴィングが亡くなった12年前の私には、そんなことはできませんでした。(私が若かったから、そして私たちが一緒に年を重ねていなかったから、それが私たちの結婚生活の当然の一部だったから、私の経験がよりつらかったのでしょうか。それとも何か違うのでしょうか?)この退職者コミュニティの生活では、私たちのほとんどが死という形でここを去ることになります。

マデュウがクラスについて数分話していると、Tさんが大声をあげました。「Rさんが何か変ですよ!」TさんはRさんの隣に座っており、彼の眼は閉じられいささか前かがみになっているようでした。幾人かが立ち上がりRさんのところに駆け寄りました。「彼は発作でも起こしている?」「よだれをたらしていますよ」「ペーパータオルを持ってきて」「息はしているの?」「誰かAEDの使い方知ってますか?」 そんななかで唯一役に立ったのが「緊急コードを引っ張ってください!」という叫び声でした。緊急コードはここにも設置されており、私の小さなアパートだけでも4つもあります。

すぐにスタッフが来て、その後大きな救急箱を持ち黄色のベストを着た女性が数分後に着きました。彼女はスタッフに救急車を呼ぶようにいい、Rさんを介抱しました。私たちは部屋を空けるように、救急隊員が台車付きの担架を運び込めるよう歩行器や椅子を片付けるようにいわれました。

マデュウが最終的に部屋をでるようにいうまでみんなは大きな部屋で静かな小さなグループになって留まっていました。ベティさん、ボブさんと私は一緒にランチをすることになっていたので、近隣棟3にあるオープンレストランに急ぎました。

その日の食事の変更は、3つの近隣棟のそれぞれにあるレストラン一軒で、ランチとディナーを組み合わせたメニューが12~15時の間テイクアウトできるというものでした。急いで用意されたビュッフェから、パンケーキ、ライス付ビーフシチュー、インゲン、そして既製のパック入りほうれん草のサラダを選んで自分のアパートに持ち帰りました。これまで食べたなかでもっとも奇妙な食事でした。私たち3人は、茶色のミールバッグを持って、片隅にある小さな誰もいないレストランに向かい、このピクニックランチにジョークを言い合いました。

その後、ヴァージニア州の特別な選挙の投票のため、ファームウェル・ホールへ向かいました。写真に写っているのは、建物の間を縫うように建つ、とがった屋根を持った2階建ての教会のような建物です。敷地内で大規模な集会などがあるときに利用できる、開放的な多目的施設です。昨日から、アシュビィ・ポンズの専用の投票所として、この建物も投票所になっていました。

受付では、氏名と住所を告げるように言われました。少し考えてから、「21144カーディナルポンド・テラス アパート#216」と、まるでずっとここに住んでいるかのようにスラスラと答えました。州議会議員選挙は、下院の支配権を維持するために極めて重要な選挙でした。民主党候補は12月に行われた進歩派グループの会合で、私たちの支持を訴える演説を行いました。昨夜、彼が勝利したことを知りました。これにより、バージニア州下院では民主党が51対49で多数派となり、上院でも21対19で多数派となりました。

アパートに戻る途中、同じ階に住む親切な男性が、車いすに乗った95歳の隣人をレストランへ押して連れて行ってくれました。私のランチを覗き込んだメアリーが、「今日のランチは何?」と尋ねました。たいしたものじゃないと言い、メニューを説明しました。メアリーは笑いながら「私の家にあるものよりたくさんあるよ!」と言いました。私はアパートに急いで戻り、昼寝をしました。

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3日目

ヴァージニア州北部、ワシントンDC,メリーランド州の学校は積雪の影響を受け、今日も閉鎖しています。アシュビィ・ポンズはあらゆるところで普通のスケジュールに戻り、オープンしていました。一番の気がかりであったレストランはすべてオープンしており、そこで食べたり、テイクアウトもできるようになっていました。

水曜日の午前中は、骨の強化のクラス、筋力とバランスのクラスで始まりました。10時半には、歴史グループがコミュニティを対象とした月例のプレゼンテーションを行いました。入居者の一人である元コミュニケーション学の教授が、マーティン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある」の演説について講演しました。彼は、この演説がアメリカ史上最も影響力のある4つの演説のうちの一つであると述べ、そのレトリックや1960年代の政治的文脈への影響、そしてアメリカ人の生活において今なおも引き継がれる意味を分析しました。その一つは、キング牧師が正義を重視したのは、公民権運動のためだけではなく、女性の権利のためでもあったというものでした。

招待客のグリーン名誉教授(現在90歳)も講演を行いました。彼は、若いころヴァージニア州立大学の教壇に立ち、キング牧師とともに活動していました。キング牧師が彼に、彼の学生指導の経験を活かし、怒りに満ち、苛立っている若い運動家たちを説得するよう依頼してきた時のことを語ってくれました。彼はキング牧師に「マーティン、私をミシシッピに送り込むなんて、あなたは本当に私のことが好きじゃないんだね!」と言った時のことを懐かしそうに語りました。またある時、南部のどこかでキング牧師と一緒に車に乗っており、ガソリンスタンドで車を止めたときのこと。怒りに満ちた白人の従業員が車の窓際にやってきて、ピストルを彼のこめかみにあて「撃ってやる!」といいました。キング牧師は彼の眼を見て「兄弟、私はあなたを愛しているよ」といいました。そのあと、後部座席に座っていたアンディ・ヤングは「マーティン、あなたのために私たちみんなが殺されかけたんですよ」といいました。

最後に、私が夫のアーヴィングから聞いた私自身の話でこの回を締めくくりたいと思います。彼はキング牧師よりも3歳年上で、南部の公民権運動の行進にキング牧師とともに参加しました。あるイベントで、アーヴィングが麦わら帽子をかぶりキング牧師のそばに座っている写真があります。アーヴィングの追悼式の展示台に飾ったものです。今となると、この話の全容を知りたいと願っています。

先に逝った人たちによって体験された歴史は、現在の生きている歴史そのものです。

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No. 3に続く・・・

原文:"The Adventure of An Older Widowed Woman: Moving into a Coordinated Care Retirement Community" --- No.2: Snow Days in My Village (Ashby Ponds#1) ◆ Jules Marquart

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翻訳:河野 貴代美

No.1: Becoming a Virginian
"The Adventure of An Older Widowed Woman: Moving into a Coordinated Care Retirement Community" --- No.1: Becoming a Virginian ◆ Jules Marquart