アイスランドの1975年の女のゼネラルストライキを描いた映画『女性の休日』の上映が各地で始まった。女性の9割が参加したと言われるストライキの日の圧巻の街頭行動の様子は、ウェブ上の多くの動画や画像でもみることができる。
女のストライキは過去のものではない。近年ストライキを呼びかけ組織する女の運動が世界各地に広がっている。この運動にはフェミニストのイニシアティヴの下に多様な人種、世代、性別と性的指向の人々が結集し、大規模な行動を実現している。伝統的ストライキのような組織された行動とは異なる新しいスタイルで展開するグローバルな女のストライキ運動を連載によって紹介したい。
(1) アルゼンチン発のNi Una Menos運動に触発されたイタリアのNon Una Di Menoのストライキ
3月になるとイタリアの花屋には黄色いミモザの花束が溢れる。商店街のショーウィンドウにはミモザ色のスカーフ、ミモザのブローチ等々、女へのプレゼント商品が並び、男たちは妻や恋人に花束やプレゼントを贈る。3月8日の国際女性デーは華やかなお祭り気分の記念日ではある。しかし国際女性デーはその起源どおり、今日も女の政治行動の日である。筆者の留学中の1981年の国際女性デーは1978年に合法化された人工妊娠中絶を再び禁止しようとする右派の国民投票を前に、各地で大規模な街頭行動が展開し、中絶禁止法案は否決された。この年の12月に、レジスタンス期に結成され長年イタリア共産党の傘下にあったUDI(イタリア女性連合)は、中絶問題について保守派と妥協しようとした党を見限って独立した。1991年にイタリア共産党は解散したが、UDIは代表的全国女性組織として今日も活動している。そして2017年以来、この日はフェミニストが呼びかける女のストライキの日となった。
2017年3月8日、イタリア全国の街頭行動を仕切ったのは、2016年に結成されたNon Una di Meno(「一人の女性も殺させない」の意)をスローガンに掲げる運動であった。「フェミサイド」と呼ばれる、女性に対する暴力への対抗運動に取り組むNon Una di Menoはその後毎年国際女性デーに「女のストライキ」を呼びかけ街頭行動を組織している。私は2019年3月8日にミラノで街頭行動に参加した。女だけでなく、世代も性別も人種も多様な人々がフェミニストのイニシアティヴの下に集まっていた。日中は広場でミーティングが開催され、様々なグループが資料を配布して活動をアピールしていた。中高生のような若者たちが車座で性の多様性やセックスワークについて当事者を囲んで真剣に議論していた。19世紀末から活動している歴史的女性団体である「全国女性連合」(Unione femminile nazionale)のメンバーが主催サイドで活動していた。日本のウィメンズマーチのことを話すと彼女はたいそう喜んで「それはストライキか?」と聞くので、少し困った。デモ行進の際に、主催者のアナウンスは世界各地の女のストライキ行動に連帯を表明し、日本のウィメンズマーチも紹介してくれた。
夕刻になると、ミラノ中央駅前の広場に続々と人々が集まってきた。「歴史的フェミニスト」と呼ばれる1970年代の活動家たちの姿もあった。街宣車の上でフェミニスト、難民などさまざまなグループや個人がスピーチをし、「生産しないぞ!」「再生産しないぞ!」「ストライキだ!」というシュプレヒコールが叫ばれた。デモコースの集合住宅のベランダにはエプロンを吊るして家事労働ストライキを表明する女たちがいた。シンボルカラーのフューシャピンク色のスカーフや覆面のゲリラ戦士のようなスタイルが特徴的で、ミモザの花束などどこにも見当たらなかった。

2019年3月8日ミラノのデモ街宣車
この日の午前中、ミラノの公共交通は、おそらく部分的ではあっただろうが、ストップしていた。ナショナルセンターのCGIL(労働総同盟)はフェミニストのストライキの呼びかけに応じることはなかったが、それに応える動きが現場では生じたようである。昼間の集会には小規模な労働組合のおじさんたちもブースを出していた。移民労働者のアピール行動もあった。1970年代のフェミニストたちは無償の家事労働者としてメーデーにでかけ、冷ややかな扱いをされたが、今日フェミニズム運動は多様な運動の結節点であり、労働組合も参加するのである。
イタリアの運動がアルゼンチン発のNi Una Menos運動に触発されていることは、運動名称がそのままのイタリア語訳であることにも端的に示されている。Ni Una Menosは2015年に14歳の女性が交際相手により殺害され遺棄された事件をきっかけに開始され、同年6月にはブエノスアイレスだけでも20万以上の規模でのフェミサイドに抗議する街頭行動を起こした。翌2016年の16歳の女性の惨殺事件をきっかけに「女のストライキ」を国内外に呼びかけた。Ni Una Menos(一人の女性も殺させない)というスローガンは、フェミサイドと闘い、2011年に自身も36歳で殺害されたメキシコの女性詩人スサナ・チャベスの詩の一節に由来する。運動のもうひとつのスローガンはVivas Nos Queremos(「私たちは生きていたい」の意)である。この運動は暴力、搾取、収奪に対して生存を要求してきた中南米のフェミニズム運動の流れの中から登場した。

2019年3月8日ミラノのデモ風景 NonUnaDiMeno di MilanoのFacebookより
イタリアのNon Una Di Menoのきっかけも女性の殺害であった。2016年5月、ローマ第三大学経済学部の22歳の学生サラ・ディ・ピエトラントニオが交際相手によって虐殺された事件が引き金となり、Io Decido(「私が決める」), Donne in rete Contro la viorenza(D.I.Re)(「暴力に抗する女性ネットワーク」)、そしてUDIの共同主催によって10月8日、ローマで全国集会が開催され、数百もの女性団体、LGBTQIのグループ、個人、労働組合、そして左派政党が参加した。これを契機に、続く11月26日には女性に対する暴力撤廃国際デーを記念する街頭行動が展開し、ローマだけで20万人が参加した。そしてNi Una Menosの呼びかけに応え、翌2017年の3月8日にNon Una Di Menoはストライキを呼びかけた。
ストライキという戦術について、Non Una Di Menoの行動計画は以下のように述べている。
「私たちは、2017年3月8日にグローバル女性ストライキで開始されたプロセス、すなわちこのストライキという行動を、フェミニストの視点による卓越した闘いの実践としてあらためて採用し、意味付与するプロセスを継続することが最も重要であると考える: 労働組合機構だけが独占するのではなく、誰もが用いることのできる手段としてのストライキは、生産労働と再生産労働を巻き込み、労働組合や国家を超え、労働と非労働を、世界の人々を分断する代わりに統合することができる; 搾取と不安定性という新自由主義の暴力を拒否し、性的ヒエラルキー、ジェンダー規範、押しつけられた社会的役割を覆すために。この意味で、私たちはこれを「ジェンダーの、ジェンダーによるストライキ」とも呼んでいる。」
( NonUnaDiMeno. Abbiamo un piano: 31 )
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