カレンダーは大型連休。せっかくのゴールデンウィークに、あろうことか4月28日~5月7日まで10日間の緊急入院。5月8日に無事退院となり、ようやく日常が戻ってきた。退院の翌日、あまりのいいお天気に近くの御所まで、お散歩に出かける。5月の新緑の若葉が目にまぶしい。

御所・出水の小川から若葉を仰ぐ

御所・閑院宮のお庭を眺める
4月27日、午前と午後に用事があり、自宅から四条まで歩いて往復1万歩を超えて用を済ませた。数日前、パソコン業務の仕事に追われて根を詰めてちょっと疲れていたこともあったけど、夕食前、なんだか寒気がして小刻みに震える。熱を測ると38.4℃。「医者に行きたくない」と言う私に、娘は「ダメよ」と救急車を依頼して近くの第二日赤へ。119番は、ここ数年で3回目。ああ、申し訳ない。反省しなくちゃ。救急外来でカロナール(解熱鎮痛剤)を飲み、採血と検尿とレントゲン撮影。点滴をしながら待合室で検査結果を待つこと3時間。夜10時過ぎ、研修医から「血液も尿も肺も正常値で今日のところは大丈夫です」と言われてホッと一安心。病院前にタクシーがいなかったので、自宅まで10分ほど歩いて帰る。
翌日、家庭医に報告して帰宅すると日赤から電話があり、「時間差の血液培養検査の結果、血液中に菌があるようなので再検査に来てください」と言われて再び病院へ。採血と検尿、造影剤CT、心エコー、眼科と歯科の診察の結果、担当の女性医師から「CRP(C反応性タンパク)の数値が高いので、血液中に菌があるようです。GBS(B群溶連菌)による「菌血症」で放置すると「敗血症」になる可能性があります。治療は1日3回の点滴でビクシリン(ペニシリン系抗菌剤)を投与するので、今日から入院です。血液に菌が入った経路は不明ですが、尿は正常値で異常なし。退院後、歯医者で確認してみてください」とのこと。そういえばここ数年、歯医者に行ってないな。歯磨き後、重曹でもう一度、歯磨きをしているから大丈夫と思っていたけど、高齢者は自覚がない場合もあるとか。主治医の説明を娘に連絡して入院の支度を頼む。
同世代の高齢者4名の病室へ。点滴は1日3回、朝8時と夕方4時と夜中0時に。食事は毎回、おいしくいただいて完食。ほうじ茶(京都のお茶)が、とってもおいしく、ペットボトルに何度も入れては飲んでいた。リハビリは5階から1階まで階段を往復。それでも1000歩に足りない。普段は5000歩ほど歩いていたから。その後、数回の採血の結果、数値も正常値に近づいたので、主治医から「5月8日には帰れる予定。退院後はカプセルを1日3回、5日間飲むだけでいいです」と告げられる。
若いトレインドナースたちやケアワークに携わる若い人たちが、患者をテキパキと処置して実に優しく親切だ。お掃除のおばさんも、きっちりとしてくださる。高齢者特有の我が儘気ままな患者もいて、時には暴言を吐くこともあるが、ナースたちは決して怒らず、丁寧に対応するのをカーテン越しに聞いて、ほとほと感心する。「まさに医療ケアは、こうでなくちゃ」と実感した。
私が入院中、99歳の叔母の世話をできないので、娘に、あれこれとラインで指示する。デイのお迎えの時、娘が事情を話すと、ケアワーカーの方が心配されてケアマネさんから電話が入り、数日、叔母をショートステイにお願いしてくださることになった。まあ、うれしい。ほんとにありがたい。
おかげで5月5日、娘と孫娘が大阪・長居のヤンマースタジアムでのMrs. GREEN APPLEの野外コンサートに、滅多にあたらないチケットの抽選に、たまたまあたって出かける予定だったので、無事にライブへ行けて、ほんとによかった。お天気にも恵まれて、とっても楽しかったようだ。
病室の面会は、なぜか「年齢16歳以上。友人はダメ、家族のみ」というのは何だか変だなと思う。子連れで面会に行かないといけない人たちだっているだろうし、家族より友人の方が親身な関係も、あるだろうに。
10年前、男友だちが買い物先で脳梗塞で倒れ、救急搬送された時もそうだった。警察から緊急連絡先の私に電話が入り、即、病院に駆けつけると主治医から「ご家族でないと病状の説明はできません」と言われて、実弟のいる金沢大学に連絡をとり、たまたま研究室にいた弟さんに主治医が電話で病状を説明されるのを間接的に聞くしかなかったことを思い出す。どこまで家族主義なのかと思う。その後の毎日の見舞いや洗濯物の取り替えに通った時は友人でも見逃してくれたけれど。
ああ、もう一つ思い出した。1972年、50数年前、まだ20代だった私は微熱がなかなか下がらず、当時、住んでいた船橋から千葉大学附属病院へ3歳の娘を連れて診察に行ったら、「溶連菌による「結節性紅斑」です。自宅で1カ月の安静を」と言われて九州の母に1カ月間、千葉の家に来てもらったことがあった。1カ月で治ったけど、血液に溶連菌が入りやすい体質なのかもしれない。
その時、病院の待合室のテレビで、沢田研二が当時、流行っていた「勝手にしやがれ」を歌っていた。それを見た3歳の娘が、リズムに合わせて激しく踊り回っていたのを周りの患者たちが笑って見ていたのを、自分の病気のことより印象深く今も記憶に残っていることが、なんともおかしい。

入院中、一番ホッとするのは枕元の本を読むとき。奈倉有里著『背表紙の学校』(講談社、2026年3月)を読む。ロシア文学研究者であり、翻訳書でもある著者の文章が、優しく心をほぐしてくれた。子どもの頃の思い出やロシアの詩人たちの優しく、力強い詩の引用を味わいながら深く読み進んでゆく。
「だいぶ奥のほう」では、「どうやって記憶をとっておくの?」と聞かれるほどに奈倉さんは子どもの頃のことをよく覚えている。私もそうなのだ。「なんでそんなしょうもないこと、あんた覚えているの?」とよく聞かれる。何の脈絡もなく、その時々の光景が、色やにおいや声や息づかいとともに鮮やかに蘇ってくるのだ。それが私の「だいぶ奥のほう」の記憶。とりとめもなく、他愛もないことばかりなんだけども。
「背表紙の学校」では、「町の本屋さんで背表紙を眺めるのが楽しい。棚にぴっちり並ぶ本のところどころに、背の数文字だけで私に語りかけてくる本がある」。これもまた同じように、私も近くの本屋さんでそうやって本を探すのだ。背表紙の文字が「この本、ぜひ買って読んでね」と語りかけてくるような気がするからだ。
ロシアのクリミア半島併合から8年後、2022年のロシアのウクライナ侵攻以後、ロシアから移住した人たちが「これまで」と「これから」について語る詩がある。衝撃と逃亡と移住の日々を。
ロシア語の慣用句に「朝は夜より賢い」というのがあるという。「もう寝て明日の朝、考えよう。朝は夜より賢いんだから」というふうに。その意味を奈倉さんは「心を明日に向けて、はじまりを掴むために」と繙く。
「空港に急ぐ」では、「空港に着いた時、掲示板に私の乗る便の番号があったためしがない。出発便の搭乗案内開始のはるか前(3時間ほど前)にやってきてしまうからだ」と。私もまた同じく海外旅行は、いつも出発のはるか前に空港に着く。何をするでもなく。ただイラチなだけなのかもしれないが。
そして今、奈倉さんは「もはや東京からモスクワへの直行便もなく、乗るべき飛行機のチケットもなく。嘘のような戦争が嘘のように続き、たくさんの人が叫んでも止められず、世界の亀裂が随所で増えていく」と無念の思いで結んでいる。
「不安なときを超えて」では、1899年、若き日のアレクサンドル・ブロークの詩を引用する。
怖いんだ 夢みることを許されぬ
ときが近づくのを 感じるから
心が 希望と指針のずれを
見分けられなくなるときが
20世紀を前にした「世紀末の不安」を表現する詩だという。
その詩を受けて「私たちは家で、列車で、道端で、詩を読んだり聴いたり思い返したりしながら、ひそかに世界の声に共鳴し続ける。どこかからきた声は一瞬にして私のものになり、いつまでも残りながら、同時にほかのすべての人のもとに戻っていく。また誰かが、この不安なときを越えられるように」と奈倉さんは心からの平和を願う。
そして弾圧が激しくなっていった時期のロシアで見かけた「君はひとりじゃない」という壁の落書きを見つけて「勇気をもらった」と結んでいた。
この本をベッドサイドで読み終えて、「ああ、いい本にめぐり合えてよかったわ」と感謝の気持ちでいっぱいになった。
今回の入院では娘にも孫にも叔母にもいろいろと迷惑をかけてしまった。心配をかけて余計な用事を増やしてしまって、ごめんね。これからは私が、みんなにお返しをする番だ。今日は玄米と豆乳を発酵させてつくる手作りヨーグルトを準備したし、叔母の部屋のコタツと電気毛布も片づけられた。やっと戻ってきた日常を大切に丁寧に紡いでゆこう。
連休中に行くはずだったケン・ローチ監督『オールド・オーク』は、もう上映が終わってしまった。でも大好きなメリル・ストリープ主演『プラダを着た悪魔2』は、まだ上映中だ。「ゴールデンウィーク明けに行こう」と思っていたら、娘が退院祝いに誘ってくれたのでいっしょに出かける。
メリル・ストリープ(ミランダ)もアン・ハサウェイ(アンドレア)もエミリー・ブラント(エミリー)も、女優たちが、とってもおしゃれで演技がすばらしい。「ああ、これはファッション雑誌が時代の波にのまれてしまう現代を描いているけれど、それを覆すほどの力強い「シスターフッド」を描く映画なのかもしれないな」と思いつつ、感慨深く見ることができた。
はてさて、またまた個人的なことばかりを書いてしまって、ごめんなさい。毎日の、ありきたりの家事と、本を読むこと、映画を見ること、ラジオを聴くこと、そして歩くことが、私の、いつも繰り返される日常だ。そんな日々が戻ってきたことに感謝して、これから無理をせず、穏やかに暮らしていきたいと心から願って。









