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女手の小説 『ゆめはるか吉屋信子』 田辺聖子

2013.11.07 Thu

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 「花物語」をはじめとした吉屋信子の美文調の小説は、糖衣にくるまれた仏蘭西菓子のようだ。鈴蘭、月見草、白芙蓉、梔子などの可憐な花々に彩られ、紫矢羽銘仙に海老茶袴の黒髪の女学生達が月夜に溜息を交わしあう。繊細で詩情に満ちたセンチメンタリズムは、「女子供の」という形容詞とともに、これまで正当な評価がされてきたとは言い難い。

この本は吉屋信子の生涯を、初期の作品から晩年にいたるまで文学的見地から詳細な解説を加え、女性礼賛と女の連帯を描いたフェミニストとしての側面も評価した評伝である。

吉屋信子の感傷が、蜜のように甘く豊潤であるのは、気骨を内包しているからである、と田辺は喝破する。抒情的な感性をいとおしむその根底に、家父長制や権威主義な男性文化への反発があることを解し、口伝調の美文は平安から続く女流文学の正の資産として受け止める。

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 吉屋信子の描く知的で感性豊か、潔癖で誇り高い少女たちは、結婚によって一様に「ただ奉仕と犠牲の生涯、それのみが女性の唯一の運命の路」をたどる。そのことに吉屋信子は義憤を隠さない。
また、中期の小説「良人の貞操」「女の階級」「女の友情」など、妻に姦通罪があり、婦人参政権もない時代に発表した挑発的な作品群しかり、作中に登場する横暴で形式主義の男性に対する舌鋒は鋭さを極める。
 
フェミニズム的な発想を、大衆に向けた一級の読み物として展開してみせたところが吉屋信子の真骨頂であり、それ故に、女性の熱烈な支持を集め、男性至上主義で純文学的偏重の文壇から二重に黙殺されてきたのだろう。
吉屋信子の小説は思想がない、社会制度への挑戦がないという批判こそが”男流文学論”である。 天下国家が一大事、大義の前の小事は無視し、目の前の生活を省みぬ国家主義や、正論で繊細な感情を踏みにじり、硬直化した体制を優先させる男性論理のアンチテーゼとして、彼女は情理を描き、詩的で細やかで”些末” な世界の美しさを強調したのだ。

それは、著者の田辺聖子の世界とも共通している。硬直したむつかしい”男言葉”でなく、生活のぬくもり、情のやさしみを称えた”ひらがな”の言葉を使いつづける田辺聖子は、まさしく吉屋文学の代弁者としてふさわしい。
田辺は吉屋信子の愛読者で、昭和十年代の戦時体制の折、空襲を告げるサイレン響く焼け野原、花一輪もない殺伐とした風景の中、防空頭巾にモンペ姿で「こんな花々を今生に見ることはかなわない」と思いながら、貪るように物語にのめりこんだという。
女の夢見る力、美しいものを愛する力を信じ、「いつの時代も女が女にやさしくあらねばね」と語ったという吉屋信子の同胞愛は、田辺聖子のみならず読者にあたたかく語りかける。
 
吉屋信子の生涯のみならず、彼女を取り巻く大正から昭和期の女性たちの躍動までをも、田辺流の柔らかな筆致で絵巻物のように描き出す様は圧巻で、昭和初期の女性を知る読み物としても非常に興味深い。(karuta)








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