2014.09.11 Thu
母たちはたしかに戦争の被害者であった。しかし同時に侵略戦争を支える“銃後”の女でもあった。何故にそうでしかあり得なかったのか。
こんなことばを掲げて、『銃後史ノート』を創刊したのは1977年11月。いま読むとなんとも堅苦しいことばだが、当時のわたしたちの切実な思いだった。
そのころ、女性の社会参加を促す声は巷にみちていた。しかしわたしたちは立ちすくんでいた。日本の経済侵略や買春ツァーへの批判が強まるなかで、どっちに向かって歩き出せばいいのか? 侵略国家への平等参加が女性の解放なのか?
あーでもないこーでもないの議論の末、女性史に関心をもつわたしたちがたどりついたのが「銃後史」だった。「銃後」とは「前線」で戦う兵士の後方支援活動のこと。戦時下、母たちは「銃後の女」として戦争に協力した。しかし現在、わたしたちも経済戦士の「銃後の女」ではないのか? そんな思いから、会の名は「女たちの現在(いま)を問う会」とした。
しかし、わたしたちは歴史の専門家ではない。指導してくれる「先生」もいなければ研究費があるわけでもない。とにかく国会図書館に通って、戦時下の新聞・雑誌から女性の姿を拾い出す作業をはじめたが、当時はデータベースもないしボタンひとつでコピーできるシステムもない。手作業でカードに書き写すのだから、時間も手間もハンパではなかった。それでも続けられたのは、戦後書かれた歴史書や体験記にはない、刻々の<現在>として戦時下を生きる女たちの姿が見えてきたからだろう。
『銃後史ノート』も3号まではまったくの手作りだった。仲間の一人がタイプを打ち、学校関係者が休みにこっそり輪転機をまわし、製本は仲間の家に集まって、みんなでホッチキス止めした。表紙のデザインは友人がボランティアでやってくれたが、『青鞜』の表紙からヒントを得たとか。
それにしても、いまからふりかえると、なんて平和な時代だったことだろう! 防衛省はまだ防衛庁だったし、社会党が健在でしっかり自民党に対峙していた。もちろん、憲法9条を骨抜きにする集団的自衛権が閣議決定されるなんて、ユメにも思っていなかった。 だから現在における「銃後の女」といっても、あくまで比喩にすぎなかった。 安倍政権のもと、いま進行している「女性の活躍」政策、ひょっとすれば日本の女性を、ふたたび比喩ではない「銃後の女」にするのでは? いや、202030で、女も「銃後」ではなく、男と肩を並べて「前線」に立つ? ( 加納実紀代 )
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