2010.07.05 Mon
7月3日土曜日の昼下がり、WWNにてショップ・シリングさんを偲ぶ会
を開催しました。
ショップ・シリングさんは、昨年7月に68歳で、膵臓がんのため逝去されました。1989年から2008年の12月まで、ドイツ選出のCEDAW委員を務められ、最長、屈指のベテラン委員であり、「歩くデイクショナリー」と言われたそうです。
2008年末、ベルリン自由大学から女性差別撤廃に尽力した功績が認められ表彰されました。
九州から、東京から、名古屋からもお越しいただき、約30名の皆さんが参集しました。林先生からの差し入れのフランスの高級シャンパンを分かち合って、ショップ・シリングさんのご冥福を祈りました。
みなさんからの、ショップ・シリングさんの感想を総合すると、
小柄で知的、おしゃれでいつも笑顔で、優しく、でも、少し気が短く、そして、決して偉そうな態度はとらず、リンとした声が魅力、
お好きな色は黄色、でした。
下記に、みなさんのご挨拶をサマリーにてお送りします。
林弘子先生:
林弘子先生とショップ・シリングさん、赤松良子さんは、コーネール大学のアリス・クック教授を師とする教え子だそうです。
この師の教えが、脈々と3人の中に息づいてきた事を感じるとのこと。
師の自伝に、ドイツのショップ・シリング、日本の林弘子が登場します。
今般、CEDAW委員の林陽子さんと、ショップ・シリングさんの最後の著書「The Circle of Empowerment」を翻訳中です。
1997年にWWNがEU、ILO、訪問のおり、ショップ・シリングさんを尋ねてドイツに立ち寄った事を契機に、1998年に、ショップ・シリングさんとルストさんをお招きし、WWNでは、初めての国際シンポジウム「男女平等の国際基準」を開催、EUの男女平等の実態を学びました。
当時、お二人をお招きすることを巡って、越堂と林弘子先生との国際的な抗争シーンがあり、それを、面白く披露されました。
姫岡とし子先生;
ドイツ歴史専門の、東大・姫岡とし子先生は、2005年に立命館大学にショップ・シリングさんを客員教授として招聘された立役者です。昨年の3月、ハンブルグのショップ・シリングさんのご自宅を訪問されました。その時はまだお元気で、ベルリン自由大学から表彰され、約1億円もの今後の研究費、活動費が保証されていました。
女性のための今後の構想、とりわけNGOとのネットワークづくりなど、夢を語られ、「桜の咲く頃に日本へ行くので」というのが最後の逢瀬となりました。ずっと、悲しかった。彼女の笑顔見て、また会いたかった。みんなのために、やって欲しかった。
通訳の岡田仁子さん:
講演や質問があった時、懇切丁寧に説明されていた。「みなさんに条約を知ってもらいたい、使ってもらいたい」という思いがいつも伝わってきた。
2003年、NYにてWWNが「コース別のこと」をロビイングしている時、ショップ・シリングさんは、「政府も頑張ったとは思いませんか」と言われました。
これは、政府の弁護ではなく、WWNにもっと、「NGOとして洗練された理論にたってもらおう」と思って言われたことです。
昨年のNYの審議会では、CEDAW委員が、WWNの内容をそのまま使って政府に質問していた。自分たちの問題を理論的に、原則にあてはめて皆に伝えられたと思います。
住友電工・元原告西村かつみさん:
2001年、レマン湖沿いを歩いてきたショップ・シリングさんと運命的な出会い。
大阪地裁全面敗訴の翌年、国連・社会権規約委員会の傍聴参加の折です。
この時、「私たちも選択議定書が使えますか」と質問、「勿論!でも批准が必要です、そのために頑張ってほしい」と言われました。
2003年、NYにて、ランチタイムにショップ・シリングさんにロビイングの時、「あなた方の事をそのまま聞くのではなく、自分が研究してきた自分の言葉で発表する」いわれた。
翌日の日本政府審議会において、リンとした声で「コース別は間接差別」と意見と質問、そして、昼からは「雇用管理区分と指針」について質問があり、大変感動した。
昨年、パッテン委員に「CEDAW勧告のおかげで、裁判が勝利和解した」と伝えると「CEDAWとNGOのコラボレーションです」と言われました。
住友メーカー元原告全員と、名古屋からの岡谷綱機元原告藤澤さんからスピーチをいただき、最後は会場の皆さんの自己紹介で、それぞれの思いを語りあいました。
(報告 越堂静子)
カテゴリー:ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク