シネマラウンジ

views

1540

映画評:『孫文』  上野千鶴子

2010.05.03 Mon

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.

 知られざる時期の孫文を描いた、男による男らしさについての映画。

 蒋介石は悪役だが、中山先生こと孫文(1866-1925)は、中国共産党も認める建国の父、清朝を打倒して中国を近代化へ導いた革命家だ。日本とも縁が深く、民族主義者の宮崎滔天や頭山満とも親交があった。

 1910年、孫文44歳、9回の蜂起に失敗して再起を期す革命家の亡命先、ペナンでの4ヵ月ばかりを濃密に描く。辛亥革命1年前のこの時期の孫文についてはあまり知られていないから、かえって香港出身の監督、デレク・チウの想像力は自在にはばたく。 亜熱帯の英領植民地、コスモポリタンな港湾都市のペナンを舞台にしたこの映画では、風が主役だ。冒頭から孫文こと、台湾の俳優ウィンストン・チャオの白麻のスーツが海風にはためく。ひょおっ、かっこいー。この時代の男って、どうしてこんなにダンディなんだろう。

 清朝の暗殺者に命を狙われながら、彼は革命のための資金集めに奔走する。革命のためならアヘンの専売業者からの献金もためらわない。だが革命を「投資」と考える富豪たちは、度重なる蜂起の失敗に、投資効果がないと考え始めている…。

 狂言まわしに登場するのが富豪のじゃじゃうま娘、タンロンと、医師でもある孫文にひたすら尽くす看護師、ツイフェンだ。それにしても孫文はよくもてる。男盛りの男前、義侠心が厚く、死を恐れない胆力の持ち主、というだけではない。見ているうちに、謎が解けた。亡命中の革命家ほど、女心をそそるものはあるだろうか。

 失意のうちにある英雄、いずれは一国のリーダーになるかもしれないが、今は他人の情けにすがってでなければ一日たりとも生きられない。今こそわたしの出番、と女たちが使命感を燃やすのも無理はない。

 なるほど、こうやって坂本竜馬を祇園の芸妓が支え、チャンドラ・ボースを中村屋の夫人、相馬黒光が支援し、トロツキーにメキシコの女性画家、フリーダ・カーロが入れこんだわけね。事実、孫文にも、日本だけでなく行く先々に女性がいたらしい。この構図、どこかで見た覚えがある。死地に赴く男を、柱の影で見送る女の組み合わせだ。映画の最後には、埠頭を離れる男と、置き去りにされて待つ女のお決まりの構図が再現される。おっと待った。この構図にしびれるのは女じゃなくて、男の方だ。愛より女より、大切な革命の大義がある…。だからやっぱりこの映画は、男による男らしさについての映画なのだ。

監督:デレク・チウ
出演:ウィンストン・チャオ、アンジェリカ・リー、ウー・ユエ、チャオ・チョン、ワン・ジェンチェン、ヴィッキー・リウ
制作年:2009年
配給:角川映画

(クロワッサンPremium 2009年10月号 初出)








カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:映画 / 上野千鶴子