2010.10.15 Fri
「2泊3日ソウルの旅」と私
こちらに滞在してから半年ほどが経った頃から、日本の友人・知人や家族などが訪ねて来てくれるようになったのですが、日本では3連休だった先週末も、友人5人が2泊3日の日程で遊びに来ていました。
彼女らとの出会いのきっかけはインターネットであったため、1人は仙台、埼玉と神奈川からそれぞれ1人、残りの2人は東京在住ですが、羽田経由で連れ立ってやって来たのでした。全員女性ですが、年齢も20代中ごろから30代後半、職業も主婦から会社員、和裁職人までとバラエティに富んでおり、そんな人々がつながることのできるインターネットの力に改めて驚く一方で、出会いの間口は広くとも、やはり直接顔を合わせて付き合うことが人間関係を作っていくのだなとも感じています。
さて、そんな彼女達が“私に会うために”来てくれた韓国旅行――その旅を思い出深く充実したものにするため尽力することが、今回の私の役目でした。
日本からの各種パックツアーが数多あり、主要観光地では日本語表記が多く見られるだけでなく、日本語のできる(接客に必要な日本語スキルを持つ)スタッフも各店舗に待機しているという現在では、韓国を旅行すること自体はそう難しいことではありません。
ですが、私の友人の場合、全員が韓国初訪問であり(うち1人は海外旅行自体が初めて)、ハングルはもちろん英語もほとんどできない彼女達にとって、現地に知人がいるという強みは、国境を越える最も大きな要因だったようです。航空券と宿泊は旅行会社を通じて確保しながらも、あとは「未定」という彼女達から、それぞれリクエストを聞き、具体的な旅行計画を立て、それに沿ってリサーチをし、当日はエスコートもし、必要に応じて通訳と解説もする――こちらに住んでいる人間として当然のことのようですが、ゲストを迎えるホストの役割を担うこと、そのことに対するなんとなく複雑な気持ちを味わいました。
10月9日の夕方、金浦空港へ到着した彼女達を出迎えるところから、私の「仕事」は始まりました。空港には、日本の旅行会社からの委託を受けた「現地係員」がおり、彼女達を待っていたのですが、その係員よりも私が先に彼女達と落ち合いました。(ちなみにこの「現地係員」は韓国人男性だったのですが、韓国では恐らくモテるだろうと推測されるタイプの人でした。“韓国男子考”については、また改めて書きます。
その後、旅行会社の手配した車で、宿泊先である江南(カンナム)区のビジネスホテルへ。ソウルは、都市を横断する漢江(ハンガン)によって大きく南北に分けて把握できますが、北部は昔から栄えた地域、南部は新興開発地域だと言え、とくに南東部に位置する江南地区はビジネス街や高級住宅地区として有名です。ホテルの近くにはCOEXというアジア最大規模の地下ショッピング施設もあり、便利ではあったのですが、ホテル最寄り駅から主要観光地(漢江より北の地域)まで地下鉄で40分かかることが、率直に言って手間でした。
この日は
、ホテルに荷物を置いたあと、明洞(ミョンドン)へ移動、ロッテ百貨店本店のスター・アベニューへ。ここは、「韓流スター」10人近くの写真・動音声を用いた20メートルほどの広告通りです。友人のなかに東方神起ファンがいたので、彼女のために寄ったのですが、「スター」の豪華な顔ぶれのみならず、何種類ものPR写真が数分毎に切り替わり、タッチパネルを利用した壁面液晶パネルなども含め、まさに免税店のエントランスにふさわしい(?)、力の入れ様でした。友人が必死に写真を撮るのを見守った後は、夕食に参鶏湯(サムゲタン)を食べ、観光客でごった返し独特な雰囲気を放つ繁華街・明洞を散策し、化粧品店や服飾店を巡りました。
(写真 スター・アベニューにて、東方神起メンバーの写真の前でポーズをとる友人。最近は韓国で、アイドルグループ「嵐」が「新しい日本に来て下さい!」と韓国語で呼びかけるCMが流れています。)
翌10月10日は、韓国一の売り場面積だという書店・教保文庫(キョボムンゴ)を軽く見たあと、「ハナ通信②」でも取り上げた世宗大路(セジョンデロ)を歩いて景福宮(キョンボックン)へ。前日が「ハングルの日」(ハングルナル。世宗大王が「訓民正音」を頒布したことを記念した日。かつては休日だったそう)だったため、世宗大路の世宗大王像の前には、ハングルをデザインした家具のアート・パフォーマンスが行われていました。
( 「ハングルに座る」。後ろに見える金色の像が世宗大王像。2010年10月10日、著者撮影)
景福宮をゆっくり見学した後は、仁寺洞(インサドン)へ。仁寺洞は、伝統工芸品店などが集まる通りとして有名ですが、ここで遅めの昼食として少しお高めのコース料理・韓定食(ハンジョンシク)を頂きました。(お高めと言っても、日本円にして一人15,000ウォン=1,000円ほどです。ちなみに、朝食はホテル近くの食堂でキムパッ=風海苔巻きなどを食べましたが、6人で15,000ウォンでした)。
仁寺洞で様々な買い物をした後、伝統茶を飲みたいというリクエストに答え、五味子茶(オミジャチャ)と菓子のセットを。(五味子茶と菓子のセット。2010年10月10日、著者撮影)
食後はソウル駅に併設のロッテ・マートへ。ガイドブックに載っていたという「ゆず茶ポーション」をあわせて11袋、ごま油を10本、そして大量の菓子・・・と、「小分けに出来る、配る用のお土産」を。5人の買い物と思えばそう多くないのかもしれませんが、やはり圧巻でした。
その後は再びホテルのある江南へ戻り、COEX内ロッテ免税店に東方神起グッズを貰いに走り、営業時間ギリギリまでCOEX内でCDや化粧品など買い物をして一日が終わったのでした。 写真は、全員のお土産をあわせたほんの一部で、これにフェイスパックなどの大量の化粧品と、仁寺洞で買った一枚1,000~2,000ウォンの大量のポジャギ=風呂敷を用いた小袋が加わります。
最終日は、お昼過ぎには空港行きの車に乗らなければならないため、午前中が勝負でした――地下鉄で片道40分の道を、再び明洞へ向けて歩を進め、ソウルのシンボルでもあるNソウルタワーへ。
ソウルタワーのある南山は、植民地時代に朝鮮神宮があった場所でした。曇り空のため景色があまり鮮明ではなかったこともあり、タワーの展望台滞在時間はわずか5分で、下山しました。(写真 ソウルタワーを見上げる。2010年1
0月11日、著者撮影)
その後は再び江南へ戻り、COEXでピビンパッやキムチチヂミなどの昼食を取り、重い荷物を抱え、空港行きの車へ。私は地下鉄で空港に向かいましたが、旅行会社による航空券+宿泊パックのお約束として、空港への道の途中では、土産物屋への立ち寄りが含まれていたようです。空港到着後は出国ゲートまで見送り、「無事皆を帰す」という私の役目はそこで終わりました。
以上長々と書いてきましたが、何が言いたいかというと、私がセッティングしても結局、お決まりの観光コースと同じような行程であったということです。海外観光旅行というものが生まれて150年ほどになるそうですが、「観光への期待はあらかじめ作られており、旅行はその期待を期待通り実現し、満足をえるもの」(※)であり、その意味でこの2泊3日も、それに対応するものでした。
観光客でごった返す観光地をただただ巡り、「韓国と言えば」という食事をとり・・・そして、「韓流スター」グッズと化粧品、安いながらも「伝統」を感じさせる工芸品や、行ってきたことを示す「小分けにできるお土産」などの買い物の「戦利品」と充実感が残るだけ。日本であれ、韓国であれ、「伝統」って何だろう、「日本らしさ」や「韓国らしさ」などというものはあるのだろうかということをいつも考えながら、それを当たり前のものとして受け入れることに抗いながら生活している私にとって、何だか悔しいような気持ちになる経験でした。
日本と朝鮮半島の近代の歴史もほとんど知らない、韓国が軍事独裁政権にあったことも知らない、ましてやそれほど韓国自体に興味もなく、知人がいるし近いし、最近流行っているようだし・・・という理由で国境を越えた彼女達(全員がそうであったわけではないですが)。
そんな彼女達の期待に応えつつ、一方で、私が案内するのであれば、私なりのメッセージや思いも伝えたいという思いで、折に触れて、朝鮮半島の近現代史についていくつか話をしたりもしました。私なんかが解説して良いんだろうかという思いを抱えながら、朝鮮半島の歴史を「代弁」するのではない方法でいかに語れるだろうかと迷いながら、そして、彼女達が必要としているものと私の「悔しさ」やもどかしさを何とかすりあわせようとしながら。
せめてもの抵抗は、ガイドブックに載っていない飲食店に行く、日本語メニューのない店に行くということであり、結果「成功」し、友人達は喜んだのですが・・・そんな「抵抗」が一体何になるのかと思われて仕方ありませんでした。
先にも書きましたが、明洞や仁寺洞など、外国からの観光客が多い地域では、日本語や中国語、英語など、接客に必要な外国語スキルを持つ店員が数多くいます。老若男女問わず、店の前を通る人間全てが客予備軍であるため、それらの人に対してどの言語を用いるべきかを一目で判断し、声をかけるという、それが彼女ら彼らの生きる術であり、そのような視線の元では、私などは一発で「日本人」だとばれ、日本語で話しかけられてしまいます。
ですが、私は出来れば「日本人」だとばれたくないという思いが強いため、何とか韓国語だけでコミュニケーションを取ろうとします。すると、「韓国語が上手ですね。勉強してるの?」という質問から、「留学しているんです。店員さんも日本語がとても上手ですよ」、「いえいえ、今勉強中なんです。」といった会話をすることがかなり多いのです。そうすると、彼女や彼にとっては私も外国人の観光客なのですが、こちらに住んでいることと韓国語での会話が成り立つということなどから、何となくただの外国人の観光客とは異なるような態度を見せてくれることが多く、一方でこちらはこちらで、「私は観光客ではない」、「案内している」といった感覚をさらに増すことになり、「私は何のつもりなんだろう・・・」という思いを一層強くすることになるのでした。
友人達は景福宮の雄大さや美しさに満足し、私が時々こぼす朝鮮半島の歴史を驚きつつ聞き、もちろん買い物や観光も存分にできたため、満足した面持ちで帰路につきました。観光旅行の何がどう問題なのか?という問いに答える余裕がここではないのですが、いくつかの意味で、政治的・社会的・文化的なせめぎ合いの場であることは間違いなく、そのはざまで考えさせられましたという、ご報告でした。
(※)有山輝雄『海外観光旅行の誕生』吉川弘文館・2002・7ページ。
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