2011.02.05 Sat
今や韓国ドラマのジャンルと形態はずいぶん多様化している。それでも定番といえば、やはり連続劇の家族ドラマであろう。単調に見える日々の中には、実はいろんな出来事がある。一つ間違えば命を失い、人の一生を左右するような出来事もない訳ではない。そんな深刻な問題を何とかくぐりぬけて、ハッピーエンドになるというのが、およそこうした連続ドラマの特徴であろう。普通の人々に起こり得る軽重様々な事件を、登場人物たちとともに、はらはらドキドキして乗り越えるのを観るところに醍醐味がある。今回取り上げる「空くらい、地くらい」(KBS 2007、全165回)もそんなドラマの一つである。
このドラマを制作したのは中堅の人気脚本家、崔賢瓊(チェ・ヒョンギョン1961~写真右)と、プロデューサのムン・ボヒョンである。二人は、「百万本のバラ」(2004)や「悲しみよ、こんにちは」(2005)ですでにコンビを組んだことがある。作家の崔賢瓊は、常に家族構成員間の愛情を描くことを大切にし、“香辛料を入れないドラマ”を作ることで有名だ。「ガラスの城」(2008)や「お隣さんは元ダンナ」(2010)の作家でもある。一方のプロデューサのムンも、ドラマの中に“悪人を作れない演出家”と言われている。「ミスターグッドバイ」(2006)、「シングルパパは熱愛中」(2008)、「家に帰る道」(2009)などのKBSドラマを手がけてきた。
ストーリーは、小さな食堂を経営しながら暮らしている庶民の三世代家族(ムヨンとサンヒョンの家)と、社会的地位と金はあるが夫婦間の愛情が乏しい核家族(ウンジュとウナの家)、母親を亡くし片親ではあるが仲睦まじい家族(ジスの家)などを中心に展開される。それぞれの家庭で育った若者たちが、いろんな問題にぶち当たりながら、それを一つ一つ乗り越えてみんながハッピーエンドになる過程を描く。中年のカップルも含めて、三組のラブストーリーが同時に進行する。
三つのラブストーリー
その一つは、ムヨンとジスの物語。ムヨンは幼い頃、母親が「必ず迎えに来るから」と言って出て行ったきり戻って来ず、大家だったミョンジャの一家に育てられた。ミョンジャはムヨンを実子同様に大事にしたが、ムヨンは実母に捨てられたという思いから精神的に不安定な思春期を過ごす。ミョンジャの実子であるサンヒョンとは姓が違うため、周囲からいじめられもした。家族との一体感が持てず、常に除け者という思いがあったムヨンは、高校を中退し家出を繰り返す。ミョンジャの母親(スニム)や弟(叔父)は、ムヨンに「血のつながりがないお前は家族ではない」と心ない言葉を浴びせ、一層彼の心を傷つける。
そんなムヨンを小学校時代の仲良しで幼馴染みのジスが愛し、必死で支える。ムヨンもジスのことが好きだが、自分の気持ちを伝える勇気と自信がない。それでムヨンは心の傷と向き合うために実母探しの旅に出る。だが、ようやく探し当てた実母は、白血病を病む息子を抱えて憔悴していた。ムヨンは悩んだ末に脊髄移植の求めに応じ、弟を救って実母と和解する。その過程で精神的に成長し、養親が経営する飲食店を手伝いながら勉強に励み、大学に合格する。ドラマでは、ジスがムヨンを支えたいと結婚を急ぐが、ムヨンの独り立ちのためにそれが良いかどうかはやはり疑問が残る。
もう一つは、ムヨンの義兄サンヒョンとウンジュのストーリーである。貧しいながらも家族の絆を大切にする父母の下で育ったサンヒョンは、家族を第一に考える孝行息子である。妻のウンジュが働くことには賛成だが、子どもを産んで楽しい家庭を築きたいと思っている。片や物質的には恵まれていても、家庭内別居をする両親の下で育ったウンジュは、家庭に対する思い入れよりも、自己中心的に描かれる。働くことが生き甲斐で、子どもを欲しいとは思わない。また、狭いアパートに大勢の家族が肩を寄せ合って暮らす婚家のことも理解できず、付き合いは最小限にとどめたいと思っている。自分はサンヒョンが好きで結婚したのであって、婚家の嫁になったとは考えていない。
新婚旅行の時からことごとくぶつかり合ったこの二人は、間もなく離婚する。だが、家族観が違うだけだった二人は、また密かに逢瀬を重ねるようになり、そのうちウンジュが妊娠してしまう。ウンジュはシングルマザーになることを望むが、周囲の家族やサンヒョンの説得で再び一緒になる。その過程でウンジュが嘘のように“改心”し、婚家の嫁として振舞うところは、率直に言って説得力に欠ける。嫁の役割を負担に感じ、仕事に生きようとするウンジュを、あたかも未熟な人間のように描いている点もどうかと思う。
三つ目は、ミョンジュと高校の恩師ジョンフン(ジスの父親)とのカップルである。ミョンジュは高校生の頃からジョンフンに憧れ、ジョンフンが妻を亡くした後も師弟関係としての付き合いを続けてきた。自分をひたすら慕って、いつまでも結婚しようとしないミョンジュをみて、ジョンフンが意を決してプロポーズする。初婚の娘が、年齢差もあり孫までいる男の後妻になることに母親が猛反対するが、何とか説得して結婚する。その後は、同居する息子夫婦(とりわけ嫁)との関係でぎくしゃくするが、ミョンジュの度量の深さで克服しハッピーエンドになる。
興味深いのは、ミョンジュが結婚した途端、夫の息子夫婦や娘のジスが、それほど年も離れていないミョンジュを“お義母さん”と呼び、話し方も、子どもたちは敬語を使い、ミョンジュはため口を使うようになることだ。嫌がらせの意味もあるのだが、ミョンジュは嫁から“孫のおばあさん”と呼ばれたりもする。韓国の再婚家庭で、実際にこのような呼称が使われているかはさて置き、家族の序列と呼称へのこだわりは日本よりも遥かに強いのは事実だろう。残念ながらこうした違いは字幕ではわかりにくい。また、結婚後、自分の会社を興すことが夢だったミョンジュが、妊娠をきっかけに突如“良妻賢母になりたい”と言って仕事を辞めるのには拍子抜けさせられる。もっとも、保育園を始めると言うのであるが。
シスターフッド
こうした三つのラブストーリーにはとりたてて目新しさはない。だが、このドラマが描く“家族”はこれまでのような血縁にこだわらないという意味で、ある程度、旧来の家族の枠を破っている。ただ、その方向は家族を解体させて個人化を目指すとか、異性愛神話を打ち破るような画期的なものではない。要はこれまでの家族の枠組みを拡張させて、親密な人間関係を広げようとしているのである。そこには、「家族の愛が社会を愛する基盤」であり、「血縁を超えた幅広い人間関係を作りたい」という崔賢瓊作家の思いが込められているようだ。
ドラマの中で私が最も興味深かったのは、ムヨンを育てたミョンジャの産みの母親(ポンレ)がある日ひょっこり現れ、ミョンジャの育ての母親であるスニムと「姉よ」、「妹よ」と呼び合って同居し、家族として受け入れられるという設定である。こんな状況は日本では考えにくく、韓国社会でも現実にあるとは思えないが、ドラマの中では実に生き生きと描かれているのに感心した。私が韓国の女性たちとの付き合いを通して感じた女性同士の連帯感、シスターフッドともつながる何かがそこにある。
その昔、ポンレは結婚してミョンジャら二人の子どもをもうけたが、夫や婚家とうまくいかず、子どもを置いて家を出た。その後、スニムが後妻となり、ポンレが産んだ子どもたちと自分が産んだミョンジュを育ててきた(夫は早く亡くなる)。ポンレは離婚後、一人で苦労しながら飲食店を営み、一財産を築く。しかし、死ぬ前に子どもたちを一目見たいと、身寄りのない貧しいおばあさんの格好をしてスニムに近づき、人の良いスニムがポンレを家に連れてくる。ポンレが実はミョンジャたちの実母であることがわかって一騒動起きるものの、誰も彼女を追い出したりはしない。それに、ポンレが実は経済的に裕福だということがわかって、また一波乱起きるけれども、結局は一層打ち解けてすっかり家族の一員となるのである。子どもたちも母親同士も、育ての親と産みの親を互いに尊重して愛情を育んでゆく。この二人の間には家族の内と外で、ともに苦労してきた女性としての同情と共感があるのであろう。
韓国の母親像
男性中心の戸主制家族では、建前上許されなかった異姓養子や、二人の母を差別なく迎え入れて、仲睦まじく同居する家族の姿を描くこのドラマは、やはり戸主制が廃止(2005)された社会だからこそ制作され、人々に受け入れられたと言えるだろう。だが、たとえ血縁にこだわらずとも母と子の絆を強調し、母親になることが、女性の役割であり幸せであるというメッセージを含んでいるのも確かだ。
このドラマには様々な母親像が登場する。娘たちをただ庇って甘やかし、犠牲的になろうとする母(ウンジュの母親)、息子を無条件信じ、献身的になろうとする母(ミョンジャ)、先妻の息子を甘やかして育てた母(スニム)、息子を立ち直らせようと厳しく接する母(ポンレ)、意地悪な嫁に対して忍耐と愛で接する義母(ミョンジュ)、ひたすら涙を見せるムヨンの産みの母などである。これらの母親たちはそれぞれ異なって見えるけれども、子どもたちを限りなく愛するという“人間本来の母親”であるという点で共通している。
ともすれば母親礼賛につながると考えられるこのドラマの背景には、歴史的にみて韓国社会の根強い“賢母像”がある。その代表的な例が、2009年に導入された5万ウォン札に載った申師任堂であろう。申師任堂(シン・サイムダン1504~1551)は朝鮮王朝時代の著名な儒学者栗谷李珥(ユルゴク[号]イ・イ1536~1584)の母親で、自らも優れた書と画を残した女性である。朴正煕(パク・チョンヒ1917~1979)の軍事政権時代に、申師任堂は賢母良妻の鑑とされ、軍人李舜臣(イ・スンシン1545~98)将軍とともに国民を統合する象徴として利用された。申師任堂の銅像が(時には息子の銅像とセットで)全国各所に建てられるようになったのもその頃であろう。また1970、80年代の女子中・高校では、生徒が模範とすべき女性として、申師任堂と柳寛順(ユ・グァンスン1902~1920:三一独立運動の時にとらえられて獄死した)が挙げられた。
ちなみに、一部のフェミニストたちは、5万ウォン札の肖像をめぐって、申師任堂よりも柳寛順にするべきだと主張したという。また、このドラマについては、血縁主義にとらわれない再婚家庭を描いた点は高く評価しつつも、一部からは母性イデオロギーが強調され過ぎていると批判されている(韓国女性民友会メディア運動本部モニター分科「日日ドラマの家族、進化しているのか」2007)。
ここで参考のために、大韓母親会(1958年設立)が制定した大韓民国母親憲章(1965年5月8日制定)を紹介しておこう。現在、申師任堂とその息子李珥の銅像が建つソウルの社稷公園に、この母親憲章の碑が建っている(1966年5月8日、徳寿宮に建立)。
(前文)母親は、息子と娘を産んでしっかり育て、家庭と社会と国家に尽くし、より暮らしやすい世の中をつくるために限りなく努力する。そのため、ここに母親憲章をつくる。
1)結婚し、家事をし、子どもを産む仕事は、女性たちの良心と自由に任せることであり、いかなる強要もあってはならない。
2)母親は、親としての義務と権利を父親と同様に持ち、家庭の隷属物になってはならない。
3)母親は、息子と娘が家庭と社会で人間らしく振舞えるよう、意味のある教育を施さなければならない。
4)母親は、職業を選ぶ自由をもち、他人がその社会参与を干渉してはならない。
5)母親の身体は、家庭と社会と国家が保護しなければならず、妊娠や出産に際して事前に対策を立てなければならない。
6)母親は、清らかで睦まじい家庭をつくるために、経済的保障と家族の精神的な協力を得なければならない。
7)母親は、知識を広げ、教養を積むために、そのための時間と機会を持たなければならない。
写真出典:(上から)http://www.yes24.com/24/goods/2596392/ ,
http://www.newswire.co.kr/, http://www.mydaily.co.kr/news/,
http://www.kbs.co.kr/dmz/, http://www.kbs.co.kr/dmz/, http://www.ohmynews.com/,
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