2012.03.18 Sun
石岡瑛子さんを想って
In Memoriam Ishioka Eiko
石岡瑛子さんとの出逢いは、1980年代に遡る。Paul Schrader 監督作品日米合作劇場用映画「MISHIMA」に参加したときだ。
当時私はアメリカ在住だったが、「MISHIMA」のプリ・プロダクションと撮影のために、シュレイダー氏とともに日本に来ていた。そしてある日、黒装束の実によく似合う、カッコいい女性に紹介された。それが石岡瑛子さんだった。
私が、「MISHIMA」は自分にとり初めての映画の仕事なのだと話すと、「私もこれが初めての映画の仕事なのよ」と、気さくな返事が返ってきた。しかし当時の私は、面識もないのにマンハッタンにあったポール・シュレイダーのオフィスに押しかけていき、何時間も話した挙句、「映画経験がまるでないから、何に使ったらよいのかわからぬが、何かに使えそうだから雇ってやろう」と与えられたチャンスに飛びついた、まだ学生に毛の生えたような小娘。アメリカの大学でドイツ語と日本語を教えていたとは言うもののまだ大した人生経験もつんでいず、無知で怖いもの知らずだった(「雇ってやる」と監督に言われると、私は若気の至りで即大学に電話をかけ、辞職してしまった)。瑛子さんはというと、すばらしいキャリアを積んだアーティストで、画期的なプロダクションデザインを欲していたシュレイダー監督に口説かれてプロダクション・デザイナーとして参加した稀有の才能のアーティスト。今考えると、「お互い初めての映画ね」、などと気さくにおしゃべりをするような関係になること事態がおかしかったのかもしれないが、それ以来、実に三十年近くもの間彼女にはお付き合いいただいたことになる。それは、今考えてみると、信じられぬほど不釣合いなお付き合いだったが、そのようなことはまったく感じさせられなかった。「MISHIMA」は1985年のカンヌ国際映画祭コンペ部門に選出され、瑛子さんは芸術貢献賞を受賞。私はシュレイダー兄弟が書いた脚本の日本語版の共同執筆というすばらしい仕事を任され、撮影中はシュレイダー監督およびJohn Bailey撮影監督の通訳を受け持った。今となって思うと、あれがわが人生最高の film school だった。「MISHIMA」は瑛子さんと私の友情の出発点のみならず、お互いのキャリアにとり、重要なmilestone となったのだ。
その後、私は人生を蛇行し、脚本家となった。いつの日か瑛子さんと一緒にパートナーとして対等に仕事ができる日も来るかもしれない、などと生意気なことを考えることもあったが、それはひそかな思いにとどまり、彼女は逝ってしまった。人生の真っ只中にいたあの人がいなくなるなど私には想像もつかぬことだった。
瑛子さんの功績を称えようと思えばそれは簡単なことだ。彼女がデザイン界で残した業績を挙げるだけであっという間に何ページも何ページも埋まってしまうだろう。しかし、素晴らしいデザイナーそしてアーティストとしての石岡瑛子は、私にとっては、彼女の半分でしかない。もう半分の石岡瑛子は、育った世代も世界もまったく異なるにもかかわらず、私が自然に、何の屈託もなく付き合えた唯一の日本人女性だった。私はどこでどのように生きていても、子供のころから必然的にアウトサイダーという人間だが、今となって考えてみると、石岡瑛子という人も常にアウトサイダーだったのかもしれない。瑛子さんは、いくつになっても物事にエキサイトできる感受性を持ち、素直に喜び、怒り、天真爛漫な人だった。彼女と一緒にいると、子供のころからの友人といるような錯覚さえ起こるほど、少女のような面のある人だった。
しばらく前の話だ。ある晩、マンハッタンのJoe Allenというレストランで、瑛子さん、ポール・シュレイダーと夫人の Mary Beth Hurt そして私の四人で食事をした。そのレストランはブロードウェイ関係者の間では有名なところだそうだが、私は聞いたことすらなかった。そこに向かって瑛子さんと一緒に歩いているとき、彼女に叱られた。
「だめじゃないの、アキコは、まだ私の本を読んでくれてないのね!」
彼女の本「I DESIGN」が2005年に出版されたとき、瑛子さんは、即私に一冊プレゼントしてくれた。その中にジョー・アレンのことが記述されているというのだ。彼女が scenic designer 及びcostume designer として手がけたブロードウェー作品、「M Butterfly」の章に出てくるが、そこは、ブロードウェーの失敗作のポスターばかりを集めて壁に飾ってあるという独特なユーモアのレストランだ。
素敵な晩だった。こけて、あっという間に消え去っていった、名前も聞いたことのないようなステージ・プロダクションのポスターに囲まれて久しぶりに四人で会い、楽しく夕食を共にした。シュレイダー夫妻と別れ、セントラル・パークの前にある瑛子さんの自宅のほうへ向けて、夜風に吹かれながら一緒にぶらぶらと歩いていったのが、彼女とすごした最後の時となってしまった。
瑛子さんにいただいた本は、読もう読もうと思いつつ怠慢がたたり、きちんと読まぬまま何年も経ってしまっていたのだが、シュレイダー夫妻に夕食に招待されたがためバレてしまったのだ。叱られた後、私はベルリンの自宅に戻ると「I DESIGN」をすぐにひっぱりだしてきて読み出した。
その中に、Miles Davisのアルバム「TUTU」のカヴァーのことが載っている。グラミー賞を受賞したこのアートワークは瑛子さんがデザインし、写真の巨匠 Irving Penn が撮影したものだ。このように小さな仕事をペンのような大御所の写真家がはたして引き受けてくれるのだろうか、と不安を胸に抱き彼女がペンに電話をするくだりがあるが、彼があっさりと引き受けてくれる。そのときの感情を瑛子さんはこう表している。
― こうゆうとき、私はほんとうに身体中が青空で一杯になったような爽快な気分になる。
この「身体中が青空で一杯になったような」という表現が私はたまらなく好きだ。
今、我が家の窓から青空を見上げて瑛子さんを想う。
2012年3月7日
ベルリンにて
人見晶子(ベルリン在住・脚本家・ドイツ、ハルツ大学英語非常勤講師)
(screenwriter based in Berlin,part-time instrutor of English at Hanz University of Applied Sciences, Germany)
人見晶子さんのプロフィール: 東京生まれ、日本・ドイツ・アメリカ合衆国で育つ。 米国スミス・カレッジ、カリフォルニア大学アーヴァイン校、ドイツ・ハンブルグ大学にてドイツ文学・foreign language methodology 専攻(修士)、American Film Institute, Center for Advanced Film Studies 脚本科卒業、米国オレゴン州立大学独文科・日本語科講師を経て映画界へ。
通訳・アシスタント・助監督として参加 (抜粋):ポール・シュレイダー監督作品「MISHIMA」 & ボブ・ディランミュージック・ヴィデオ「TIGHT CONNECTION」、篠田正浩監督作品「舞姫」、柳町光男監督作品「シャドー・オフ・チャイナ」。その後、脚本家となり主にドイツ国営放送テレビドラマを手がける。
born in Tokyo, grew up in Japan, Germany & USA, currently based in Berlin as screenwriter and part-time instructor of English at Harz University for Applied Sciences, Germany
education: MA in German Literature (Smith College; University of California, Irvine; University of Hamburg, Germany), Screenwriting Program, Center for Advanced Film Studies, American Film Institute, USA
work: assistant director, writer & interpreter on (excerpts) MISHIMA & Bob Dylan music video TIGHT CONNECTION (dir.: Paul Schrader), SHADOW OF CHINA (dir,: Mitsuo Yanagimachi), MAIHIME (Masaharu Shinoda)
various screenplays mostly for public-TV movies for the German-language market and independent films
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:くらし・生活 / 人見晶子 / 石岡瑛子 / ポール・シュレイダー
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