エッセイ

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職場の女性差別(女の選択・5) Т子

2013.01.25 Fri

 いつのまにか能面のような顔になってしまった。

  長年ため込んでいた写真を整理しながら自分の顔を眺めていると、時を重ねるにつれ、表情がなくなってくるのが見て取れる。年をとれば筋肉が垂れ下がってくるのは止むを得ないとしても、男社会の組織の中で心のうちを抑制し、生き抜いていくすべを身に着けているうちに次第に表情をなくしてしまったのだろうかと、今更ながら我が身の変化に思いをめぐらす。

  43年前に入学した大学のキャンパスで、「女性問題研究会に入りませんか?」と誘われたことがある。だが、その頃の私は、女性問題や女性差別などには全く関心がなかった。ひとりっ子で育った私は、家庭では第一の性であり、特に女であることを意識せずに大人になった。

  しかし、社会へ出るとそれは突然やってきた。

 39年前の職場は、しっかりと女と男の役割が分かれていた。当時、私が受けた市役所の採用試験制度では上級と初級の区分があり、私は上級で入ったが、そんな区分は全く関係がなく、あるのは女と男という区別であった。

 女である私に与えられる仕事は、庶務と雑用。

 そして、女だけがこなさなければならない慣習もたくさんあった。朝早く出勤し、机の上をふく。上司や同僚・後輩の男性職員にお茶を入れる。終業時には、湯呑みを洗い、男性職員が吸ったタバコの灰皿を片付ける。床を掃く。ごみを回収する。上司に命令された仕事ではなかったものの、長い間引き継がれてきた女性職員の役割であった。

職場で愛用した湯呑

  これらの慣習としての役割は、周囲からの疎外を覚悟すれば、私自身が拒否するという選択もあったかもしれない。

 だが、私個人ではどうしようもない制度的な差別もあった。

 入庁して10数年経った頃だった。同期で上級で入った男性職員は一斉に昇格した。しかし、私だけは昇格しなかった。女性職員は初級であろうが、上級であろうが、仕事が出来ようが、出来まいが、とにかく勤続20年を経過しなければ昇格させないというものであった。私に限らず先輩の女性職員も、20年を経過していないという理由で昇格できなかった。

 私は仰天した。なんと理不尽なことだろう。優秀な男性職員はもちろんいるが、どう考えても私と同じ位の男性職員もいる。もしかしたら、私の方が頑張っているかもしれない。

 情緒的に感じていた女性差別が、顕わな形となって眼前に立ちはだかった思いであった。本当に「女」という理由で差別されているのだとはっきり認識した瞬間だった。

  理不尽な差別と不愉快な慣習を理由に、この職場と決別するという選択も私にはあったと思う。しかし、私はこの職場で働き続けることを選択した。

長年使ったメモばさみ

  おそらく日本の社会はどの職場でも大差はないだろう。もしかしたら、結婚し、子どもがいても、昇格できなくても、働き続けている先輩の女性職員が複数存在するという点では、他よりはまだよいのかもしれない。とにかく、女であってもできる仕事がある、そしてあの男性職員よりもこの女性職員の方が組織にとってプラスになるという実績を積まなければいけない。そうして実績を積めば、私個人の実績にとどまらず、女の実績になっていくだろう・・・そう考えるよう頭を切り替え、私はどんな仕事もこなした。

 「できません」という言葉は使いたくなかった。逃げることだけはしたくなかった。自分ができそうな仕事はすすんで引き受けた。頼まれたこと以上の仕事をするよう努力もした。そうこうしているうちに、女にしては責任をもって仕事をしていると思われたのだろう。次第に上司や同僚からの信頼を得ることができた。信頼を得ると仕事はやりやすくなり、私はますます仕事に励んだ。

 今から思えば、男社会の規範に合わせるようつとめたのである。

  こうして私は管理職になるまでの27年間をすごした。

 この間、時代は変わっていき、男社会の規範は依然としてまかり通っているものの、はっきりとしたシステムとしての女性差別はなくなり、慣習もずいぶん薄らいできた。

  顔には人間の生き様が刻まれる。今まで様々な人々と縁があったが、顔は嘘をつかないものである。

 私の顔には、私の生き方が刻まれた。自分が選択した結果であるから、どんな顔になってもいたしかたく、後悔はないものの、この能面のような顔が、年を重ねながらもわずかなりとも変貌する日があるのだろうかと思うこの頃である。

連載「女の選択」は毎月25日に掲載の予定です。以前の記事は以下でお読みになれます。

http://wan.or.jp/reading/?cat=53

カテゴリー:女の選択

タグ:女性差別 / 雇用機会均等法 / ワークワイフ・バランス