2013.03.18 Mon
「フレンチ・フィーメイル・ニューウェーブ」
「グッバイ・ファーストラブ」「スカイラブ」「ベルヴィル・トーキョー」
3月30日(土)より、
渋谷シアター・イメージフォーラムにて3作品同時6週間限定ロードショー!
他全国順次公開
公式サイト http://mermaidfilms.co.jp/ffnw
三作品に寄せて 川口恵子 (映画研究・批評)
ブルターニュの光の中で 『スカイラヴ』
『スカイラヴ』は愛くるしい、人生と家族への賛歌に満ちた映画だ。監督はかつてゴダールやカラックスのミューズで名を馳せた女優ジュリー・デルピー。青白く神経質な美少女として描かれた彼女の、監督としてのこのおおらかさはどうだろう。フェミニストの闊達な精神で自在に物言う女性として映画の中にも出演しているが、健康的でみずみずしく、かつて男性監督たちに描かれたヒロインとはまったく異なるオーラを放っている。光あふれる海沿いのブルターニュという土地の魅力も十分にひきだされている。スカイラヴという題名は、アメリカがうちあげた人口衛星だが、それがあたりに落ちてくるかもしれないという報道前日に、ブルターニュに住む田舎の祖母(三人夫がいたというだけにきれい!)の下に次々異父兄弟姉妹とその伴侶が子連れで集まり誕生日を過ごすという設定が魅力的だ。老人、大人、いとこたち入り乱れての家族の喧騒が懐かしい人間味に満ちている。1970年代という時代がもっていた、破天荒な政治の季節としての60年代の名残りが、デルピー演じる女優とヒッピー崩れのような俳優の夫にうまく表わされている。かと思えば、男性上位で人種差別主義者の男も登場しアルジェリア戦争に参加した過去が夜半の男同士台所でくみ交わす酒の場面で観客に伝えられもする。豊かな台詞回し、歌、表情豊かな俳優たちの演技を楽しみながら時代と人生を追想する―映画のもつ豊かさを暖かな情愛と共に味あわせてくれる作品に出会えた。
『スカイラヴ』©Paolo Woods
恋と建築と微光のモチーフ~ロワール河渓谷の光の中で 『グッバイ・ファーストラヴ』
心のありったけを恋にそそぐ女子高生だったヒロインが恋にやぶれ精神的痛手を負う前半の情景描写と、やがて彼女が立ち直り、建築という、広い意味で人が生きるための空間を設計する仕事に目覚めてからの後半の空間描写の対比にみごたえがある。トリュフォーやゴダールがヌーヴェルヴァーグを興して以後、映画が戸外の空間を、人が現実に生きる空間をどう映画にとりいれるかは常に映画作家が取り組むべき課題になってきたと思われるが、それは大抵の場合、都市空間であることが多かったように思う。ミハ・ハンセン=ラヴ監督の『グッバイ・ファーストラヴ』においては、それはロワール河渓谷というフランスの現実の自然だけでなく、光をどうとりいれるかという建築論としても、映画の中に組み込まれている。建築を学ぶ主人公の参加するゼミで微光をめぐり言葉が交わされるシーンがあるが、こうした知的な議論を映画の中にとりいれることのできる監督の技量とそれを許す知的風土がつくづくうらやましいと思った。微光のモチーフは、若さゆえに全身全霊をかけた愛が一通の手紙で唐突に終わるという絶望を知ったヒロインがやがて少しずつ生きる意欲を取り戻してゆく過程のメタファー(隠喩)としてもきいている。音楽も秀逸。最初の彼と今の大人の彼が交差する場面がステキに映画的でみごたえがある。
愛のゆくえ アーティストの街角で 『ベルヴィル・トーキョー』
『ベルヴィル・トーキョー』という題名に魅かれれて見始めると失望する。TOKYOという言葉はここではヒロインの同居相手が作り上げる架空の出張先でしかなく、空虚な記号にすぎない。もう一方のベルヴィルというパリの特定の場所もアーティストたちの集まる街という印象を与えるほかはさして魅力的に描かれるわけでもない。かつてヌーヴェルヴァーグの監督たちが魅力的に描いた50年代、60年代の初々しいパリの魅力はもはや消え去ろうとしている・・・のだろうか。
あまり観客の集まらない名画座に老人二人と勤める若いヒロインと、そのろくでもない彼氏―映画評論家らしい―のきれそうできれない愛の行方を描く。偉大なる映画の時代はすでに去り、どんなに名画を上映しても人が集まらない。それでも映画は上映し続けていくことに意味がある。なのにヒロインのミスである時、大事な映画のフィルムも水浸しに―。保険をかけている?ヒロインが老人に聞く。保険?一本しかないフィルムだってあるんだ。ヒロインのかけがえのない愛の相手の不実もやがて明らかに。映画も人生も、共に、ここでは静かな破滅に向かっている感じだ。映画の唐突な終わりかたに、けれどまだまだこの先へと二人の愛の営みは続いていくことが暗示されているような気がする。むろん映画だって!自らも名画座の広報を務めた経歴をもつエリーズ・ジラール監督の、台詞の中にちりばめた映画への言及と物語がもう少しうまく絡まっていたらと願わずにはいられない。映画上映会での映画評論家の言葉と、上映されるヴィスコンティの『イノセント』の一場面の引用とそれを見る妊娠中のヒロインの心境という三者―映画をめぐる言葉・映画自体・観客としての女性の人生―が絡む場面は興味深い。女性監督ならではの趣向といえるかもしれない。この路線でもう一本とっていただきたい。
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:くらし・生活 / フェミニズム / 川口恵子 / 女性監督,フランス映画