2013.06.17 Mon
タイトル:いのちを楽しむー容子とがんの2年間
映像製作:ビデオプレス
映写時間:102分
取材・構成:松原明 佐々木有美
6/28まで東京都渋谷 シアター・イメージフォーラムにて上映
6/15~7/5 大阪 シネ・ヌーヴォXにて
8月神戸本町映画館にて(日程未定)
順次全国で上映予定
本ドギュメンタリーフィルムは、タイトルのごとく、ある女性のがん闘病記です。
ただ、これが単なる闘病記以上のメッセージをもつことにこころを動かされて、ぜひWANのみなさんに見ていただきたくにお知らせしています。
そのメッセージとは、端的に言えば、自分で生き方=死に方を選択・決定していくという女性にとってはいまだ馴染みにくい過程を、見事に実践するということの大変さ、楽しさの開示であり、また近所の友人を巻き込んだ闘病というユニークさでもあります。
主人公、渡辺容子さんは、2008年がんが全身に転移し2010年3月、医師から「余命1年」という最終宣告を受けます。「早期発見・早期治療には根拠がない」と主張して伝統的ながん医療に挑戦し続けている慶応大の近藤誠医師が容子さんの主治医であり、 彼女も彼の考えに共鳴しての同行が始まります。
その過程を詳細に記すことが本評の主なる目的ではなく、また何か特別なことが起きるわけでもありません。
定期的な通院はしなければならないし、終盤骨転移の痛みから神経ブロック治療のために緩和ケアへの入院を考えたりされています。積極的に治療をしなくても、病気の小康状態や悪化はあり、最終的には死に至るプロセスを避けることはできなく、容子さんは、2012年3月に亡くなります。
しかし病気を抱えながら、原発反対の集会に出たり、逝去の3ヶ月前の本映画の試写会で「遺言状」を読みあげたり、口述で最後のブログも更新し、結構活発に動いておられました。
それは積極的に治療に参与しなかったからできたのか、また宣告の1年が2年に延びたのか、私には判断できません。
映画のなかに、子宮肉腫(がんより増殖が早いといわれている)に罹患していた友人の大田さんが出てきます。
太田さんは、容子さんとは対照的に積極的に治療をし、容子さんより1年半先に逝っています。
評者の親友であった竹村和子さん(当WANに竹村さんの追悼特集があります。ぜひご覧ください)も大田さんと同じ病気で、あらゆる治療に挑戦し、発病10ヵ月後に逝きました。
治療への参加の真剣度は、医療者を含め、家族や友人に相談しても結局は本人の意思次第ということになります。
生死に関わる事項ですから、どのような決定がくだされても、それを当人が納得すれば、「あなたの意向を尊重する」と言うことになります。
この大変な過程を、既述したように容子さんはたいした迷いもみせないまま、決定していきます。
私たちフェミニストは、自立を目標としてきて、いまだこの目標は色あせていないと思われます。
容子さんは、この意味で見事な役割モデルと言えるでしょう。
評者も一フェミニストとして自己決定=自己責任を貫いて生きてきたつもりで、その意味では全く悔いはありません。
ただ、正直にいえば、こころの隅のどこかで自己決定=自己責任とは、とてもシンドイことだなあ、とちょっと愚痴っている自分もいて、だれかに決めてもらう場合のラクさを感じないわけではありません。
容子さん、私はあなたを深く尊敬していますが、ときにシンドクなかったですか。
それと最後にもう一つ。
容子さんが試写会で読み上げた「遺言状」は、このように終わります。
「、、、私のことはすぐに忘れてくださってかまいません。生きている間が大事なんです。生きているたった一人の人を大事にしてください。たった一人から世界が始まるんです」。
忘れないで、風化させないで、という時代の大合唱のなかで、なんと反時代的な言葉でしょう。
忘れるなと言っても、人は忘れいくでしょう。
なぜなら、古い記憶は忘れないと、新しい記憶が入りませんから。
入らないままだと前に進めませんから。
でもね、容子さん、いつまでも(忘却するまで)、誰かのことを想起し続けることは、とても慰めに満ちた営みでもあるのですよ。
カテゴリー:新作映画評・エッセイ