エッセイ

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週末にママ友とディスコで踊りあかすのは、ダメな母親か?!―スペインエッセイ 連載第14回目 中村 設子

2014.07.10 Thu

 

バルセロナ市内。港に近い下町

バルセロナ市内。港に近い下町

私のカタルーニャ人の友人で、女優のように美しい女性がいる。私がバルセロナで祭礼を調べていた数年間、毎年1~2ヶ月ほど、彼女のマンションの一室を間借りさせてもらっていた。

彼女は一流企業に勤める夫と長女の3人暮らしだったが、この年、大きな変化が起きた。10年以上共に暮らした夫と離婚したからだ。

元夫は子煩悩で、自分の娘と私の息子(偶然にも同じ歳)が5歳だった頃から、よく公園に連れて行き、夏場はマンションにあるプールで遊ばせてくれた。

彼女は私と出会う前から大の日本ビイキで、日本のデザインに興味を持っていた。そして、外国人のなかでも特に日本人は信頼できるとよく語っていた。

親切なこの一家との縁がなければ、コスモポリタンでありながらも、良くも悪くも「なんでもあり」で猥雑な大都会のバルセロナで、子連れで微力な外国人の私が、安心して長期滞在を続けることなどできなかった。

スペイン女性はベッドメイキングが得意な人が多い

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元夫が出て行った後の寝室はきれいに模様替えされ、夫のものは何一つなくなったマンションで、彼女は娘とふたりきりで新しい人生をスタートさせていた。それまで専業主婦として優雅に暮らしていた彼女は、経済的に自立するため、コンサートホールで働いていた。このように暮らしぶりが急変しても、それまでと同じように私たち親子を受け入れてくれた。

 クリスマスも近い12月のある朝、彼女が、出勤前の慌しい時間に私に

「セツーコ(=私のこと、スペイン人はこう発音する)、今週の金曜の夜は忙しい?」

と聞いてきた。

私は週末といっても、用事や仕事が入っていない限り、夜に出歩くことはほとんどない。

彼女の事情を聞いてみると、金曜日の夜、仕事が終わったその足で、女友達たちと食事をして、そのままディスコに繰り出す予定なのだという。友人たちも彼女と同じように子どもを持つ女性がほとんどらしい。

 まだ幼い娘をひとりきりにして家に置いておくわけにもいかず(イギリスのように、夜、自宅に子どもだけを置いて出かけると罪になることはないスペインだが)、できれば私に娘の面倒をみてほしいのだ。何も予定のない私は、お安い御用とばかりに快く引き受けた。

しっかりものの彼女は、私に相談する前に、まず元夫に電話をして頼んでいた。しかし、この日は出張で泊りになるらしく、断られたのだという。

今回はたまたま私を頼っただけで、普段、彼女が子どものことで頼りにしているのは元夫なのだ。いや、頼りにするというよりも、責任を分担しているといったほうが正確かもしれない。

 そもそも彼女が離婚することになったのは、元夫に若い恋人ができたからだ。しかも、元夫は家を出てすぐ、恋人と暮らしはじめた。しかもその新居は、残された母娘が暮らすマンションから、車で5分もかからない場所にある。

「そんなに近くに元のダンナが若い娘と暮らしていて、嫌じゃないの? ダンナを奪った女性が幸せに暮らしている家がすぐ近くにあるなんて…」

と怪訝な顔をしている私に、彼女はきっぱりといった。

「もう、元夫のことなんか、なんとも思っていないから。それに互いの家が近いほうが、何かと便利なのよ」

確かに、父親がその気になりさえすれば、いつでも娘に会いにいける距離だ。「スープが冷めない距離」というか、その気になれば、いつでも触れ合うことができる。

元夫婦は娘の学校の行事や特別なイベントの時には、必ず娘をはさんで過ごす。驚いたことに、娘は父親が恋人と暮らす家に、ひとりで泊りに行くことも度々あるのだ。

 この年のクリスマスに、私と息子は、彼ら=元夫婦と娘の3人といっしょに、5人でクリスマスの食事をした。

食事の誘いを受けたとき、私は親子水入らずの大切な時間を邪魔するようで躊躇した。カトリック信者のスペイン人は、クリスマスは家族や親戚のひとたちと、ゆったりと食事をし、延々と続くおしゃべりを楽しみながら、長い時間を過ごすのが一般的だからだ。

「セツーコ、あなたたちは私たちと家族同然よ。だから今年は5人で食事をしましょうよ」

家族同然・・・といってくれたその言葉が、私は胸にしみた。

クリスマスならではの豪華な食事を囲みながら、彼女の幼い娘は、以前、つまり父親とともに暮らしていたこととほとんど変わらずに自然に振舞っていた。誰が見ても、離婚した両親と娘には見えないだろう。まだ7歳だというのに、この子は離婚した両親の生き方を受け入れているように思えた。

話はもとにもどるが、このしっかりものの女の子は、母親が留守になる金曜日の朝、部屋から起きてくると、大人びた表情で私に宣言したのだった。

「私が晩御飯をつくるからね!」

約束どおり、夜8時になると、花柄の可愛らしいエプロンをつけた。踏み台を使って、やっと調理台に手が届いた彼女は、豆の缶詰を開けだした。しかし、なかなかうまく開けられない。スペイン製の缶切りは、よくできた日本のものと違って使いづらい。

私とふたりで苦戦しながら、やっとの思いで缶を開けた。そして、豆を一気にザルにあげて、水気を切った。

それを素早く3つのお皿に盛り付け、冷蔵庫から取り出したケチャップをなみなみとふりかけた。

「はい、これでできた!!」

これこそ、彼女が母親と相談し、予定してくれていた今日の夕食だった。

私と息子、そして彼女も、ケチャップで口のまわりを赤くして、お互いの間の抜けた顔を見ながら、ゲラゲラと笑って「手作りのご馳走」を食べた。

 このとき、この子の母親は仕事でも特別な用事でもなく、ディスコで友人たちと羽を伸ばして夜な夜な楽しく踊っている。それを子どもなりに理解していて、こうして私たち親子と、おとなしく母親不在の時間を過ごしているのだ。

ディスコでいっしょに羽を伸ばしていた友人たちも、子どもを持っていることから、彼女たちのパートナーもおそらくは子どもたちの面倒をみているはずである。

 彼女は月曜日から金曜日までよく働き、母親としても教育熱心だ。授業料の高いインターナショナルスクールに入れて、英語もしっかりと勉強させている。しかし、遊ぶときは徹底的に遊ぶのだ。

子育てに関して、自分だけでは力が及ばないときには、彼女は堂々と、何のためらいもなく元夫に協力を求める。もし、それで解決できないことがあるなら、次の手立てを考えている。人生を楽しむために、いまやりたいことを主張し、自分の気持ちに正直になることに恐れたりはしない。

一方的な見方をしてしまえば、わがままな母親ともとれるが、彼女には自分にとって必要な時間は、自らの手でつかむ強さを身につけているのだ。

母親と父親が子どもに対して、その役割をしっかり果たすのは当然だが、互いにときには息抜きのための自由な時間を持つのは当然だという考え方が彼らの根底にはある。

 旧市街にある花屋さん。男性から女性へのプレゼントはやはり花束が定番

旧市街にある花屋さん。
男性から女性へのプレゼントはやはり花束が定番

 男は外で遊んでもいいが、女性はダメ・・・。子どもを産まなければ一人前でない・・・と決めつける、度量の狭いパートナーでは、彼女のような女性と向き合うことはできないだろう。

「子育てと仕事だけが女性の人生じゃないのよ!!もっと生きることを楽しまなきゃね!」

日本のなかで、時折、いいようのない息苦しさを感じてしまう私は、今でも彼女からそういわれているような気がしている。

カテゴリー:スペインエッセイ

タグ:くらし・生活 / 子育て・教育 / スペイン / 中村設子