2012.05.23 Wed
5月19日、次の日の「原発を問う民衆法廷」に参加するために初めて郡山市を訪れた。
友人を介して、午後はお一人の元高校教員Sさんからお
話が聞けることになっていた。偶然、法廷の会場となる市民交流プラザが入っている郡山市のビルの前で待ち合わせ。ホテルにいったん戻り、待ち合わせ場所に戻るその途上で、同ビル一階に設置された「賠償相談窓口」を見る。やはり、京都にいるのと現実感がまったく違うことを痛感しながら、S さんとお会いすることになった。
まず、お会いするなり S さんは、「是非見てほしいものがあるんです」、と言って、やはり同ビルの22階にあるプラネタリウムへ。そこは、市長の主導で大きなビル(24階)を建てしまったけれども、テナントが入らず困っているところに、東電が参入してできたという。世界で一番高いところにある、プラネタリウム。そこは、郡山市が一望できる展望台ともなっていて、もちろん展望するのは無料。隅々まで、東電の「気配り」が生き届いている。
さすがにプラネタリウムにまでは入らなかったが、21日の金環日食のイベントも計画されており、午後からは地元バンドのコンサートも開催されるなど、なかなかの盛況ぶりを感じた。
さて、S さんのお話。
彼女は、まず福島の自然の豊かさを話してくれた。ご実家がりんご農家ということもあり、今回の原発事故は、山菜や川魚といった自然の恵みを季節季節に楽しみにしていた、日々の喜びが失われた、と。お話する間とても柔和な笑顔のS さんの顔が、時々厳しくなる。贈答用のりんごを全国に出荷し、生計を立てていた彼女の実家は、注文が7割減ったという。それでも、励ましの年賀状などを顧客からいただき、むしろ例年より多くの注文をとってくれる人もいたと、そうした人たちにとても感謝しているのだ、という。
昨年の3月11日、まだ教員だった彼女は、ちょうと入試判定で会議の途中に地震にあう。三日後の14日に予定されていた合格発表は、さすがに延期され16日となったが、それでも、1週間はまったくなんの指示もなかったという。つまり、受験した中学生たちは、原発事故の後、危険性をなにも知らされずに、こうして外出し続けていたのだ。S さんも飲料水が1週間ほどなくて困ったことをしきりに訴えられた。政府対応が遅れたその1週間、老いも若きも、妊婦の方も、給水のためにずっと道路に並び続けた。放射能を浴びながら。
だが、彼女ははっきりと覚えているという。12日の夜、福島県にいる東電関係者が一斉に県外へと逃げていったことを。
教員をされていて、ご自身もバレー部の顧問だったS さんは、県立高校などのスポーツ有力校がいかに、東電からの支援を受けているかをよく知っている。立派な校庭、体育館など東電のおかげなのだ。たとえば、サッカーファンなら知っているであろう、J-Village なども、そうだという。
〈電力会社の植民地〉、S さんのお話にそんな言葉が頭をよぎる。
彼女は、教員になりたての頃、原発の不必要性を説く本を先輩に読むよう勧められたという。
「わたしたちは、何も悪いことはしていない、という人はいる。でも、強く反対しなかったわたしたちにも、、、」と、原発事故が起こるまで、電力システムのことなど考えもしなかった、ご自身を反省しているようだ。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.話の最後には、教育そのものがトップダウン式になって、上からの指針に反対できないような雰囲気が、最近できあがっていることへの不安を語られた。それは、行政の密室性やマスコミへの不信感とも連動しているという。今はなるべく、自分で情報を取捨選択していると、今回のインタビューには、『朝日ジャーナル』の特集号を持参された。
彼女の言葉で心に残ったこと。
「もう、国なんて要らないんじゃない。なにもやってくれなんだから。固定資産税なんて、払いたくない」。
「でも、最後は笑い。開き直って、笑っちゃう。生活していくしかなんだもん」。
「原発を問う その3 郡山市にて」は、法廷の様子まで、②③④と続きます。
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