前回のエッセイから一か月が経ちました。お元気でしたでしょうか?

 つい最近、遠くにいる友人とZoomで数年ぶりに話をしました。友人は私の人格が作って投稿しているTwitterに気づき、連絡してくれました。しかし、言われたのが「裁判しないのなら、あやみちゃんが言ってることは信用しない。嘘ならまだ取り消すことができるんじゃない?あやみちゃんの行動がお父さん、お母さんを傷つけてるのわからない?いい家族じゃん!前も言ったけど、そんなことをするお父さんに見えない。恵まれてることに気付きなよ。お父さんと娘がそういうことするのって、ほんと気持ち悪いよ」と言われました。裁判をして心が回復するのであれば、私は告発しているかもしれません。例え、勝訴になったとしても私のこれまでの過去が消えるわけでもなく、癒されるわけでもありません。
これまでにも友人から「あやみちゃんはそういうお父さんとお母さんを選んで生まれてきたんだね」「引き寄せの法則があるから、私はあなたと一緒にいると不幸になる」と言われたことがありました。
心がなくなりそうな思いでした。言葉という刃で心はズタズタにもなります。

 支援者や当事者の方は「二次加害・二次被害」という言葉をよく目にすると思います。虐待や性暴力によって傷ついた心を壊すかのように、二次被害の影響はかなり深刻だと私は思っています。たった一度でも二次加害を受けると、社会から切り離された人生を選択してしまう人もいるくらいです。今回は私が受けた「警察と行政からの二次加害」と「18歳の法の壁」についてお話しできたらと思います。

18歳という法の壁にぶつかる心の傷み

 第一回目のエッセイでお伝えしたように、私は18歳と1ヶ月の時に知り合いのジャーナリストに告白し「今すぐに東京に逃げておいで」と言っていただき一時的に東京に避難しました。当時、私の家族は宗教に入っており、親からの暴力だけではなく宗教からも逃げるために東京に行く決意をしました。

地元の警察署には3回ほどお世話になり、1回目は警官が交代する時間帯に相談しに行きました。
相談することを躊躇っており、警察署の前に数時間突っ立っていました。「声をかけられたら相談しよう…」しかし、誰一人声をかけてこない。ちょうどパトカーが署に停まり、降りてきた警官に「相談したいことがあるんです」と声を掛けました。
小さな個室に案内され7人くらいの警官がその部屋を出たり入ったりし、安心して相談できる空間ではありませんでした。家でのことを少し話そうとすると新たな警官が入ってきたり。最終的には女性が1名、男性が2名計3名で話を聞く状態になっても見物のように覗きにくる警官がいて、事細かなことは一切話せませんでした。
「ずっと若い子が立っているなぁって見てたんだけどね!」とドヤ顔で言う警官。
今思えば18歳になる前も外で夜を過ごしたこともありましたが、一度も補導も受けたことはありません。

2回目はその翌日でした。
東京のジャーナリスト長田美穂さんが110番をしてくれてパトカーに乗って警察署に行きました。しかし前回の相談記録が残っていない…。生活安全課の方が署内に怒鳴り散らしていたのを覚えています。「相談しにきたと言ってる!なぜないんだ!」と。今度はその人ともう1人、そして私の3人だけの空間となり家でのことを話すことができました。話し終えた頃に母親が署についたとのことで「お母さんと話してくる。安心して休んでいたらいいから」という警官。しかし、母親への事情聴取は隣の部屋で行われており、丸聞こえでした。泣きながら話す母親。「宗教は悪くありません。私が望んで入ったことです。家ではそのようなことはない」と更に泣きじゃくる母。泣きたいのはこっちだ…そう思って聞いていました。
「お母さん、帰ったよ」と。帰った?私を置いて先に帰った?幼い頃から「あんたは女だ」と言われ「お父さんはお母さんとはしてくれない」と何度も言われてきましたが、それでも母親には理解してもらいたかったのだと思います。

母親が帰った後、警察の方から「宗教に関しては宗教の自由っていうものがあるから、目の前で暴力を見たわけじゃないから何もできない」と言われ、親からの暴力行為も伝えましたが、それに対しても「目の前であなたを殴ってないから捕まえることも注意することもできない。18歳未満だったら児童相談所に保護してもらえるんだけど、あなたを保護するところはない。ごめんな」と言われ、私は親からも社会からも守ってもらえないということに孤独を感じました。当時は地元には家庭支援センターはありませんでした。
「家まで送っていくよ」そう言われたのですが、私は「いいです」と言って、家とは真逆の方向に歩いて行き、何処でいつどう死のうか考えていました。鞄の中には包丁も入っているしいつ死んでもいいけど、こんな世の中おかしい。18歳未満なら保護してもらえるのに、どうして年齢の壁でこんなにも待遇が違うのかと社会に対して怒りを覚えました。

法律というのは一体誰を守る為にあるのか、何の為にあるのか。

加害者を法で裁けないよう、加害者を守る為の法律なのか・・・当時の私はそんなことを思いながら川沿いを歩いていました。
しかし、その日直ぐに親から捜索願が出され、私の携帯電話には警察から電話が鳴り止みません。数回は無視を続け、あまりにもしつこかったので電話に出ました。「お父さんもお母さんも心配してる。こんなに心配してくれる親がそんなことするわけない。何処にいる?迎えに行くから」と。相談内容は否定されてしまいました。
私は何故、自分の居場所を教えてしまったのか・・・。帰る場所も居場所も無かったからだと思います。
車で迎えにきた警察官に何度も「家にだけは帰りたくない」と言い続けましたが、「家の玄関までならついて行ってあげるから」と言われ、警察官にしがみつくようにして家に戻りました。ここで語るにはあまりにも長くなるので省略しますが、家に入りパニックになった私を奥の部屋にいた父親が出てきて「もう大丈夫。大丈夫。一緒に部屋まで行こう」と言い私を抱きしめました。さっきまで嗚咽が出るくらい泣きじゃくっていたのに、父親の言動でフリーズしてしまい、警察は「ほら、抱きしめてくれる父親がそんなこと娘にするわけがない。よかったな」と。
宗教のことで相談しつつも私は実父からの性的虐待も伝えていました。しかし、そう簡単にすべてを口に出すことは出来ず「触られる」とだけ伝えていたと思います。
しかし、最終的に警察のその言葉によって纏められたのです。
「警察官の前で泣きじゃくる娘を抱きしめる父親は良い父親なのだと」
【性被害に遭った人を抱きしめる性暴力加害者は良い人間なのか?】と、その当時の警官に問いたいくらいです。
第一回目のエッセイでお伝えしたように、私は18歳と1ヶ月の時に知り合いのジャーナリストに告白し「今すぐに東京に逃げておいで」と言っていただき一時的に東京に避難しました。当時、私の家族は宗教に入っており、親からの暴力だけではなく宗教からも逃げるために東京に行く決意をしました。

女性同士でも理解はされない

警察にも相談していたわけですが、同時に保健所にも相談していました。宗教からの暴力のことも。宗教もエスカレートしていき多額な費用を要求してきたり、先生と呼ばれる人が、私や家族に身体的暴力をふるうようになりました。
「今すぐここで首を吊り。あんたが生きるのに相応しかったらロープは切れるから、はやく持っておいで」そう言われ、このままだとニュースに載るような事件が起きると思いました。私以外の家族は宗教の先生から言われるがまま。洗脳されていました。
保健所でも最初は親の暴力や宗教からの暴力のことだけを伝えて、助けを求めていました。何を言っても助けてくれない大人たちに私は言いたくない事実を打ち明けました。「お父さんから性的なことをされるのが嫌で耐えられない」すると一瞬「え?」という表情に変わり、私は期待してしまいました。同じ女性なら理解してくれるだろうと。
どのようなことをされているのか聞かれ、性行為までされていることを伝えました。
しかし、次に耳にした言葉は「生理だと嘘ついたらそんなことされないでしょ」私は直ぐに「そういう問題じゃない・・・」と涙をこらえながら言いました。何とかして助かりたかったのだと思います。そしてまた「介護用のおむつを履いて
いたらげんなりしてそんなことしてこないでしょ?」と。これ以上話しても傷つくだけだということがわかり、私は帰り道「車にはねられて死なないかな?」とか思っていたと思います。

数回にわけて助けを求めたわけですが、それ以前の保健所での相談では「そんなに家が嫌ならネットカフェを使ったらいいじゃん」とネットカフェ難民を強いられました。私自身高校を卒業したばかりだったので所持金もそこまであるわけじゃありません。何度かネットカフェを利用しましたが、やはり金銭面的に限界がきてしまいます。
「まだ若いのだから体を売ればいいでしょ」と保健師に言われ、頭に浮かんだのは風俗でした。しかし、私は風俗ではなくSNS上で出会った知らない男性と性行為をすることで稼ぎを得ました。そのお金をネットカフェに使ったり、食費代にしたりしました。実父やその友人・知人から性行為を強いられるより心の傷は深くない。当時はそう思っていました。しかし、今となってそうではない。望まない性行為というのは、例え過去であっても、心に残る傷です。
最初の性行為というものを大切にしてほしいと私は今の若い男女に伝えたいです。大人たちにも「性教育」を学んでほしい。私は性的虐待被害者・性暴力被害者として性教育の必要性を感じています。
もし、望まぬ初体験をしてしまったとしても「決してあなたは悪くもないし、穢れてなんかもいない」そう伝えたいです。

18歳までなら保護対象になるが、18歳を超えると保護する場所もなければ、相談にのってくれる場所もない。
警察から教えてもらった相談先は薬物や非行に走ってしまった少年少女の相談窓口でした。電話をし来所相談まで行き、これまでの経緯を話しました。
今まで話してきた大人とは違って、凄く親身になって話しを聞いてくれて、この先どうしていけばいいのかも真剣に考えてくれました。落ち着いて父親のことも話すことができました。
「家を出たほうがいい」と言われましたが、地元ではもう自分の生きる道はないと感じ、私は東京のジャーナリストの元に新幹線で向かうことになりました。片道だけのお金を持って。

18歳成人に立ちはだかる壁

2022年4月1日から民法改正で18歳から成人になりました。
家を借りるにも保証人が必要です。虐待をしてくる親が保証人になってくれるでしょうか?なってくれたとしても居場所を教えてもいいのでしょうか?
機関保証というのはありますが、それを使用できないシステムなところも実際あります。18歳で家を出て働けずに生活保護を申請したとして、生活保護の支給金額でやりくりをしないといけない。年々、生活保護支給額も減っています。昔とは違い、今はスマートフォンは必需品です。それがなければ仕事も探せないし、職にもつけません。食費を削るしかありません。まだ6月上旬というのに、気温も上昇する中、エアコンも節約しないとやっていけない。
実態に対して社会が追い付いていない。

「安心・安全」物理的に虐待親から離れる

今年の1月から一人暮らしを始めることができたのですが、保証人は会社の人がなってくれました。会社の人と呑む機会があり、「真野あやみは私の中でパーフェクトでいてほしいの」と言われ、私の中でパーフェクトになりたくてもなれない。睡眠薬も飲んでるし家のこともあるし、なれるわけがない。そう思っていました。「パーフェクトでいてほしいのにどうしてそんなに髪の毛が傷んでるの?」と。お酒も呑んでいたのもあるかもしれませんが私は苦笑しながら「虐待にあってたからじゃないですかね」と。すると「やっぱり?仕草や体つき見てたらわかるよ」と返ってきました。私はなぜ話してしまったのか今でも不思議です。
「昔から。別に父親だけじゃないし、伯父からもだったし…」と性的虐待を受けていることを話してしまいました。「やっぱり…。仕事が終わって普通、成人越えた娘を迎えにくる?車で私も駅まで送ってもらったけどさ?あやみちゃんに話すお父さんの口調が親じゃないもんね。もう彼女に話してるかのように話すもんね。言って悪いけど、もの凄く気持ち悪かった。この父親は普通じゃないなって」

不動産との契約を交わすのに、主人格である私ではなく8歳の人格、永遠ちゃんが会社の人に支援員と話してほしいとラインを送ったところ、会社の方が相談室まで来てくれました。
「保証人、母親でいいんですか?居場所、父親に言わない?」そう言って、「私が保証人になります。三か月分くらいなら私払ってもいいですし」そう言って保証人になってくれました。
住基ブロックもかけ、100人を超える人格が私の中にいるわけですが、誰一人として家族に住所を教えていません。きっとそのくらいのことが、これまでずっと屋根の下で行われてきたのだと思います。それでも母親は「家に招待してもらっていない」と不服のようです。

最近、主人格である私と記憶や感情をもった別の人格とが話すことがあります。私はまるで他人事かのように出来事を聞き、「よく生きてくれたね。ありがとう」とその子たちに言ってしまいます。
私の中ではまだ他人格が経験した「出来事」を「出来事」としてしか受け止められません。それも自分に起きた出来事とは思いたくもありません。
血の繋がりのある実の父親から、性的なことを幼少期からされ、父親の友人や知人と何回も何回も性行為をしたという現実や、管理売春をさせられてきたこと。そして、母親から「あなたは娘ではなく女だ」と幼少期の頃から言われてきたこと。

私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて

著者:オルガ・トゥルヒーヨ

国書刊行会( 2017/09/29 )

  次のエッセイからは私が東京で受けた支援や、その後のことも書こうと思います。

解離性同一性障害の当事者、オルガ・R・トゥルヒーヨさん著「私の中のわたしたち」という本があるのですが、日本には解離性同一性障害の当事者が書かれた本はほとんどありません。自分のことを知りたい為に、他の当事者の方の本を読みたい。解離性同一性障害と診断された人はどのように生き延びていいのか。この日本社会でどのように生活すれば、生きていきやすいのか。 次回は許可がとれましたら、日本で活動されている解離性同一性障害の方の本をご紹介できたらと思っております。

また来月、ここでお会いしましょう!熱中症にはお気をつけて!