はじめまして。連続エッセイを開始することになりました。真野あやみといいます。
私は被虐待当事者であり、性暴力被害者でもあります。
何故、連載に至ったかというと簡単に言うと実態に追いついていない法律や社会を変えたいからです。私はこれまで数々の虐待や性暴力被害、二次被害を受けてきました。医療や支援者の方には二次被害がもたらす影響も今一度考えて頂けたらと思います。

そもそも虐待とは?
心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、ネグレクトと四つにわかれています。しかし、これだけではなく宗教虐待や教育虐待も存在します。例えで私のことになりますが、17歳から約2年間宗教からの暴言暴力がありました。いくら宗教の自由だと言っても暴力はいけないことです。
私の場合、教育虐待は小学生から中学1年まで、一週間で習い事が無い日がありませんでした。塾だけでも三つ掛け持ちさせられていました。
限られた時間の中で友だちと遊んだりしていました。

私は今、33歳ですが、32歳まで家庭の中で心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、ネグレクトも受けて育ちました。成人になってからは仕事をしたりとネグレクトは薄れていきましたが、18歳から32歳まで私は記憶を違う人格に持たせ、感情をシャットアウトして生きてきました。私は今、解離性同一性障害と診断されています。(解離性同一性障害:昔でいう多重人格)
聞くところ人格は100人は存在するということ。衝撃的すぎてそれを知った時、私は「そんなことはない」と自分を2ヶ月否定し、受け入れるまで5ヶ月かかりました。最初は自分が解離していることも受け入れられませんでした。

何故、18歳で相談したのか・・・。
私は18歳と1ヶ月の時に宗教からの暴力行為に耐えかねて警察署や行政に助けを求めに行きました。しかし、警察から言われた言葉は「目の前で殴るとか蹴るとか見たわけでもないし、宗教の自由っていうものがあるから警察は何も出来ない」。
また、行政の方には私がしびれをきらし、本当は恥ずかしくて言いたくもないことを口にしました。「父親から性的なことをされるの嫌だ」 しかし行政は「生理だと言えばしてこないでしょ?」 「介護用のおむつを履いていればいいじゃない」 私はその言葉を聞いて、誰も助けてくれない、自分で何とかしなくてはならないと思いました。
自分が死ぬか、家族を殺すか。その二つで迷って家を飛び出したこともあります。当時の私の鞄の中にはいつでも死ねるように包丁が入っていました。
警察にも行政にも保護されず、行政からは「ネットカフェを利用したら?」とも言われましたが、虐待家庭の中で育った私には手持ちのお金などありませんでした。外で過ごした夜もあります。

一冊の本をきっかけに出会った大人がいます。
「問題少女」と背表紙に書かれた本は、親から嫌なことをされるのは自分に問題があるからだと思っている自分には惹かれるタイトルでした。その本の著者である長田美穂さんに「お父さんが夜、部屋に来る。怖くて眠れない」とメールを送りました。それまでは宗教の暴力や家庭の中に潜む身体的・心理的虐待について、少しずつ電話やメールで話していました。性的虐待に関して長田さんに言えたのは出会って1年後のことでした。
実の父親から性的虐待を受けていると知った長田さんは警察を呼んだりしてくれましたが、警察から「本当に虐待が行われているなら、なぜ18になった今までどこにも相談しなかったのか」とはなから訴えを疑われましたが、長田さんはまず心身の安全をということで私を東京のご自宅に招いてくれました。「とにかく逃げておいで!お金はタンスとかにあると思う!盗んでいいから逃げておいで!」私は家の中をあさり、東京までの片道切符代を集め、新幹線に乗って東京に避難しました。私の住む地域から二時間半かかりました。

東京に着いて、その方の家に二週間滞在しました。私ははじめて「お父さんとやったことないの?」と疑問を抱きました。
それまで、娘と父親は性的な行為をすることはごく普通であり、みんな内緒にしてしていることで、嫌なことも皆我慢しているのだと思っていました。記憶にある中で4歳の頃から性的な行為はあったと思います。
私の問いに対し長田さんは「そんなのしない!絶対にしない!」そう言われても理解ができ ない・・・。幼少期から「内緒だよ」「みんなしていることだから」と言われると洗脳され、それが普通なのだと思い込まされてしまいます。我慢し続けてしまいます。
大人になってから虐待を受けていることに気付く大人も少なくないと聞きます。 私自身も「殴るというのは身体的虐待であって殴られる必要なんてないんだよ」 と言われ続けて、他の家族を見ることで「あぁ・・・自分の家族とは違う。」と凄く違和感を感じ、自分は虐待を受けていたのだと知ることが出来ました。

しかし、18歳で家を出て18歳で私は虐待のある実家に自ら戻ってしまいました。
戻ってしまったのにはきちんとした理由があります。
戻るまでの経緯や、社会の対応についてもこれから書いていければと思います。

32歳になり、性的虐待として私は性暴力被害者センターワンストップの支援員さんの力を借りて、ようやく安全な一人暮らしができるようになりました。
どのようにして一人暮らしまで辿りつけたか。
解離するというのはどういうことなのか。人格が所有している記憶と感情と、主人格である私が向き合うこと。
そして社会に何が不足しているのかということについても書いていけたらと思います。
虐待や性暴力によって傷つく人が少しでも減る社会になることを願っています。

問題少女―生と死のボーダーラインで揺れた

著者:長田 美穂

PHP研究所( 2006/03/01 )

長田美穂さんへ
あなたは私の命の恩人です。例え18歳で実家に帰らざるを得ない状況になってしまったけれど、私は今、念願の一人暮らしをすることが出来ています。18歳の時に「父親と娘はそんなことしない!絶対にしない!」と言ってくれたことが私の潜在意識の中に刻みこまれたのだと思います。18歳から32歳になるまでの14年間、様々なことがありました。解離して沢山の人格を生み出したけど、私は今、生きています。
あなたが生きていたら、あなたはジャーナリストとして14年経過したサバイバーである私を取材し、社会に伝えていることだと思います。あなたが出来ないことを私はしていきます。社会を変えるために。何処まで出来るかやってみないと分からないけれど、今、出会っている方とのご縁を大切にしながら自分の人生を歩んでいこうと思います。天国から見守って下さっていると嬉しいです。
(長田美穂さんは2015年10月19日、乳がんのため逝去されました)